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2010年3月 4日 (木)

神秘的ではまったくないが、 強烈に非日常的な肉体の体験

<連載 見田宗介/真木悠介論>

前便 「見田宗介の活元運動」 より つづく

====================

  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

「活元」 の理論――

[……] 心臓が勝手に鼓動し続けるように、 人間の手も足も首も、 骨格筋も内臓のさまざまも、 本質的には自分の意思とは無関係に自立的に動くことができるし、 また動きたがっている。 [……]

232頁

これだけ書いてしまうと 何のことだかわからないだろうが

とりあえず はっきりと確認しておきたいのは

こうした理論にもとづくセッションを通じて

「身体的愉悦」 (234頁) を伊東先生が 実際に得たということ

そして、 それらが単なる 「生理的事実」 にすぎないという

「詐術」 ではない 「説明」 を 見田先生から与えられた

と、 述懐していることだ

 何一つ神秘的な話などなかった。 すべては生理学で説明でき、 また、 社会学のゼミであるので、 シェアリングの場でも、 実社会的な広がりや間身体性の中でこれらをどう考えてゆくか、 ということが論じられた。 ここでもし 「アラー」 とか 「シヴァ大神」 などの思し召しで、 勝手にカラダが動く、 などと刷り込まれたら、 大半の人は完全に騙されてしまうに違いない。 [……]

234頁

伊東先生のカラダは よく動いた

 「活元が出ているときには、 止めない方がいいんです」 見田先生はそう言われ、 私は揺れ動く自分の身体を愉しみ続けることにした。 身体的愉悦、 とはこういうことかと思い知った。 私はこれらの感想として 「自分が自分自身の肉体ですら、 所有していないということに気づいた」 と記した。 「中学時代、 初めて射精したとき以来最大の、 自分自身の体への認識の変化だと思った」 とも書いた。 小学校低学年時、 鉄棒類で感じた快感との関係も、 ヨーガや精神分析などの用語と的確に対照させながら整合して理解することができた。 こういう 「引き金」 によって人は宗教心を持つのだという、 確かな手ごたえを持った。

234-35頁

神秘的などではまったくないが、 強烈に非日常的な

生理的・肉体的な体験――

それを 「引き金」 とする 「宗教心」 の芽生え――

もう一つ 別の箇所からも引用しておこう

[……] 見田ゼミ合宿で知った 「活元が他の人に移る」 事実は神秘的な波動でも何でもない。 男女どちらかが骨盤レベルから本当に反射運動するとき、 残りの個体もそれに連られてひきつれてくる、 そんな程度の、 悲しいほど即物的な 「死すべき生き物のさが」 に過ぎない。 生きることの全般を根拠をもって説明できる端緒を与えられたのだから、 見田先生から与えていただいたものは本質的に 「宗教的」 と言うべきだろう。 [……]

239頁

====================

<つづく>

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04E 連載 見田宗介/真木悠介論」カテゴリの記事

コメント

 他人様に教えていただかなくとも、女の私には、身体が自然に適応しようとすることをよく知っています。定期的に、思考がぼやけ、身体が重力に逆らえず、二足歩行で無理をさせている腰や腹が痛み、そして出血します。
 そんなときに、なるべく無理をせず、自然に身をゆだね、その時に考えられることを考え、ゆったり時間を過ごせる工夫をする。

 しかし、私がそのような行為にずっと沈んでしまったら、私がけでなく、家族が困ることになります。なぜなら、私たちは社会的な生き物だからです。
 社会に生きるということは、自然に生きるということではありません。しかし、私たちが自然に支配されている身体を持っている以上、そのことからは回避できません。

 《生む》という宿命を背負って生きる女にとって、社会と自然に適応できないことは死に価します。また、だからこそ、何も考えずに適応できる能力を持っているようにも思います。

 ここのところを、男女でよく話せるようになったらいいのになぁと思う出来事が最近ありました。神秘に対する好奇心を悪ふざけに振り向けずに、向かって言って聞いてみたらいいのです。想像よりもはるかに深い何かを得られるに違いないと思います。
 そして、女性にとっても理解されることは不利益にはなりません。だって本当に苦労しているんだから、どれだけ大変な思いをしているかわからせてやった上で、がんばりを認めさせるチャンスだからです。

 ちなみに私はブーブーいって困らせるタイプです。

 すごく中途半端なところで話題を切り上げてしまったので、私の言いたいことがきっとわかっていただけないだろうなぁと感じたので補足させてください。

 先生がここのところずっと考えておられる、《リアルな生と性》の問題を乗り越えるために何が必要なのか考えている矢先に、ちょっとした出来事があって、その事件と重ねると、なんだか問題の根っこの部分が男女関係の中にあるのではないかと思ったわけです。しかも、おたくがとか、男性がとか、そういったものではなく、性の問題を超えて生の問題に至る病を持った日常について、真剣に考えるべきなんだろうなぁと。


確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
 
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに、ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
 ― やっぱり I was born なんだね ―
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
 ― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたのか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たのか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後  思いがけない話をした
 ―蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね―
僕は父を見た。父は続けた。
 ―友人にその話をしたら 或日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るには適さない。胃の腑を開いても入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが、卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは―。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。

 ―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―。

   ( 吉野 弘 「I was born」 )

 リアルな生と女性観。そしてもう一篇。


ふたつの乳房に
静かに漲ってくるものがあるとき
わたしは遠くに
かすかな海鳴りの音を聴く。

月の力に引き寄せられて
地球の裏側から満ちてくる海
その繰り返す波に
私の砂地は洗われつづける。

そうやって いつまでも
わたしは待つ
夫や子どもたちが駈けてきて
世界の夢の渚で遊ぶのを。

 ( 高良 留美子 「海鳴り」 )

 私もこんな風に上手に言いたかったな、というほどの私の言いたかった女性の性。

 こうした関係が以前は築けていたのに、なにが二人を引き離してしまったのか。こうした関係が、生を人間の現実に取り戻すと分かっているのに、なにがその道を拒むのか。
 二つの道を目前にした時、本物の生に引っ張っていく引力は、本物の性の中にあると感じるのです。
 

yokosawa さん>

最初のコメントで 十分おっしゃりたいことは伝わってきてましたよ
第二便では たしかにそれが とても美しい言葉になってますね
ちょっと感動しました

このブログで紹介したことがあったでしょうか…
中沢新一先生の本のどれかだったと思うのですが
中南米のどこかの部族の成人儀礼、もちろん男のためのものですが
それは、酩酊系の薬草を使って、山の中での秘密の儀式――

それはそれで ロマンチックな記述があったと思うのですが
いかしているのは、それについての 村のおばちゃんのコメント――
「男は ああでもしないと、こんな簡単なことも分からないんだよねぇ」
みたいな…

大好きなエピソードです

どの本に載ってたっけなぁ…

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