タントラとヨガ、 東洋哲学・魔法・錬金術
前便 「《神秘の東洋》、あるいはラジニーシ、マハリシ、瞑想、 タントラ、 スーフィー、チベット」 より つづく
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著者 ヒュー・ミルン氏 が 《神秘のインド》 といかにして出会ったか――
連投してきたこのテーマの記事
本便は そのエピローグになります
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詩人、 芸術家、 性の錬金術師、 官能の自由思想家、 大魔術師、 宮廷の道化師といった性質を兼ねそなえた者としてバグワンは登場した。 それに疑いようもなく史上最高の賢者の一人といってよかった。 彼は無限を約束してくれる人、 世界の内なる世界、 知識を超えた知識をほのめかす者だった。 この人物には絶対会わなければならないと決心するまでに、 そう時間はかからなかった。
40頁
翌年の1973年、 ミルン氏はボンベイへと渡り
ラジニーシのもとに弟子入りし
コミューンの中核メンバーとなり
1981年、 師の側近としてアメリカに渡るが
「秘書」に牛耳られたコミューンの体制に反発し
翌82年、 運動から離れることになる
ヨガを教えるグルはその教えどおり独身を貫いて苦行しなければならないが、 タントラのグルは、 もっと刺激的な教えを身をもって自由に教えることができる。 だが、 いかなる師といえども弟子になんでも要求できるわけではなく、 そこには人道上、 法律上、 また弟子を思いやる上での制限がある。 ラジニーシはそのすべてを踏みにじってしまったのだ。 もしそれがなんらかの霊的な教えであるとしたら、 それは悪いお手本だった。
439頁
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最後に ミルン氏によるタントラ解説を紹介する
そこには 《神秘のインド》 表象の一側面が
とてもくっきりと浮き出ているからです
それはいうなれば 《神秘のインド》 表象に対して
とくに強い強度で与えられた内容のようなもの、 と言えます
以下引用
[…] タントラはインドの神秘主義においてヨガに取って代ってあらわれた教えで、 この両者は多くの点で正反対の性格を持つ。 ヨガ (「合わせること」 「つなげること」 を意味する) は放棄の道を説くが、 タントラはあらゆる種類の耽溺を奨励する。 もっともその耽溺は自覚を保ちながら為されなければならないが。
それまでも私は数年にわたって真理探究の努力をしてきたし、 東洋哲学に対する興味は増しこそすれ衰えることはなかったが、 どういうわけかヨガについて魅力を感じたことは一度もなく、 ヨガをやっている人にも興味が持てなかった。 ヨガの体位とかそういった身体的な側面だけではなく、 身体をねじまげたりすることにともなう心の姿勢が肌に合わなかったのだ。
ヨガをやるのは、 マクロビオティック (自然食養生法) の信奉者にでもなりそうな、 過敏で貧血気味の人なんじゃないかと私は感じていた。 ヨガをやっていて本当に健康そうな人にそれまで会ったことがなかったのだ。 頬がこけて青白く、 元気を出すのは苦行をしているときだけ、 といった内省的なタイプの人がほとんどだった。
42頁
それにひきかえ、 バグワンが紹介するタントラはまったく異なったアプローチによって人を悟りへ、 自己超越へと導いていく。 タントラ行者が唱道する性的苦行は禁欲ではなくセックスの中にトータルに没入することによって成し遂げられる。 […]
42-43頁
タントラは、 本来汚いものはない、 善悪の性質を本質的にそなえたものは存在しないと説く。 このことを理解していたシェークスピアはこう言っている。 「考えるからそうなるのだ」 と。 人があるものを善と考え、 悪と考え、 あるいは道徳的、 不道徳的と考えるのは、 その人自身の心の姿勢にかかっている。 性行為そのものは本来よくも悪くもない中立的なものだが、 私たちはそこに肯定的ないし否定的な意味を投影するのである。 しかしタントラはただ単にセックスを通してセックスを越えた地点に人を連れていくだけのものではない。 タントラの重要な点は、 人々をその強固な条件づけから解放することにある。 タントラの究極のゴールは、 精神的/霊的な明燈性、 自分のエゴをより大きな意識の中に消滅させること、 全体性、 永遠、 空性、 至福の存在状態の中への自己の消滅である。 キリストの生まれる五百年前、 仏陀はこの空間のことを 「サマーディ」 「もはや何者の存在しない超越の超越」 と呼び、 イエスはこの同じ意識状態のことを 「神の王国」 と呼んだ。
バグワンはそれを 「光明 enlightenment」 と呼ぶ。 彼はみずから、 二十一歳の時に光明を得たと言い、 地上で同じ時代に同じ意識状態に到達できるのは八~九人しかいないと言う。 彼は自分自身が特例であることを明確にするために、 さらにこう宣言する。 おそらく他にも九人の悟った者が存在するだろうが、 ある一定の時代に損zないする悟りを開いたマスターはただ一人しかおらず、 自分こそはその一人である、 と。
43-44頁
今からふり返ってみて、 こうしたセッション [プネーにあったラジニーシのコミューンにおけるタントラ・セッション] を猥せつきわまりない有害無益なものと批判することは容易である。 しかし私の知るかぎり、 誰もいやな思い出を持っていないようだ。 運動の初期の頃は家族のような一体感があったし、 みんなバグワンを心の底から愛していた。 骨折や、 もっとひどい怪我をした者でさえセッションを恨んだりしなかったし、 ましてやこの組織を訴えようとする者などいなかった。 セッションは常に明るく前向きな姿勢が感じられ、 魂の探求が真剣に行われていた。 私たちにとってセッションは魔法か錬金術のようだった。 自分自身の内面的な問題、 恐怖、 抑圧と取り組んでいるという実感があったのだ。
46頁: 引用おわり
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非常に長い連投になってしまいました
お付き合い ありがとうございました
<この連投 おわり>
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