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2010年3月 2日 (火)

麻原か 見田宗介か その分岐である

<連載 見田宗介/真木悠介論>

前便 「「見田ゼミ」 により与えられた原点」 より つづく

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  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

伊東先生は 「見田ゼミ」 の思い出を語ります

 半年のゼミでは、 まず教室で、 禅の 『十牛図』 や、 バグワン・ラジニーシの 「ダイナミック・ヨーガ」 などの話題を扱った。 ちょうど豊田が 「オウム神仙の会」 に通い始めたころ、 私は大学のキャンパス内で、 「社会学」 という学問の枠と 「自我論・間身体論」 というテーマ設定がある中で、 クンダリーニなどのヨーガの概念を知ることになったのだ。 まったく偶然だが、 豊田とほとんど同じ時期、 類似の興味の持ち方をしていた自分と彼と、 航路を原点から分かつものになってしまった。

231頁

「豊田」 とは誰であるかは、 前便 でしっかり書いたので

ここではもう繰り返さない

ともあれ、 伊東先生にとって 「見田ゼミ」 は

オウム真理教に近接しながらも、 それとは決定的に異なる

建設的な道行きを与えてくれるものだった

「豊田」 が向かったのは 「後戻り不能の坂道」 (239頁) だったが

伊東先生は

大学の社会学の合宿ゼミで三田先生に錐体外路系の解放を指導してもらうことで、 この社会に適合する形でおのれの心身を理解することができた

のだという

本の最後のパートで 伊東先生はこう語る

 地下鉄に乗った同級生同士の、 豊田と私を分けたものはなんなのか? 初めはほんの髪の毛ほどの差もなかった。 ほとんど偶然のような小さな分岐点が、 次第に大きく私たちの生活を分けてしまった。 [……]

332頁

 小さな分岐点がポイントを逆に切り替えていたら、 二人の立場は逆だったろう。 そして、 いまもそのまま、 小さな分岐点が私たちの社会に根深く残っている。 豊田は私で、 私は豊田だ。 東大に助教授として招聘が決まったとき、 豊田のお母さんはYシャツの生地と仕立券を送ってくださった。 それから7年がたった。 いまだにYシャツを仕立てられない。

333頁: ルビは省略

「小さな分岐点」 ――

伊東先生にとってそれは 若き日に出会った導師が

麻原か 見田宗介か その分岐である 

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