ラジニーシがあらわれる1960年代末のイギリスという舞台
前便 「ラジニーシから入り やがて抜け出る 《神秘のインド》」 にて紹介した本
前便 では 訳者の 鴫沢立也さん の
ラジニーシとの出会い、 《神秘のインド》 との出会い
そして別れについて紹介したので
本便では 著者 ヒュー・ミルンさん の場合をば――
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まずは端的に、 当時の時代状況の回想
なぜこの男とその教えが、 私や、 のちには数千の西洋人にこれほどまでの大きな影響を与えることになったのだろう。 その答えの一部は、 六十年代後半から七十年代前半にかけて世の中を覆っていた性的および社会的風潮に見出せるのではないだろうか。 フリーセックスの教義を引っさげてバグワン・シュリ・ラジニーシが登場したのは、 多くの若者たちが社会を抑圧的で自己中心的、 うつろで時代遅れのものとみなし、 その制約を振り捨てようとしていた時代だった。 当時は、 自由を求めるさまざまな声がいたるところで沸き起こっていた。 誰もが自分を自由に表現しようと欲し、 親や祖父の世代から踏襲されたものではない、 自分の気持にぴったりくるライフ・スタイルを捜していた。 若者だった私たちは、 感情を自由に発散させることのできる機会を求めていた。 感情を押し殺すのではなく、 不安と恐怖の拘束衣から開放されたかった。 六十年代風の言い方をすれば、 「気ままにやろうぜ」 ということだ。
22-23頁
よく知られたカウンターカルチャー運動の風潮を
一スコットランド人が 想起しつつ書き記したものである
この回想の中にはまだ 《神秘のインド》 表象は登場していない
「自由」 とか 「解放」 とか、 そちらが前景化している
23頁から 己のこととして赤裸々に強調されるのは
「性の自由」 (23頁) ということだ
「人生の目的や意味を探求しようという欲求」 とともに
「初期の女性信者たち」 が
「若くて魅力にあふれ、 実に挑発的な服装をしていた」 こと
これが 何としても魅力だった、 というのである
ここに わずかに 《インド》 という表象があらわれる
バグワンがインド人であり、 セックスや裸にやかましい国でフリーセックスを説いているという事実が、 たしかに魅力の中核にあった。 […] ここにいる人物は権威をもってこう語る。 苦行などするな、 自分自身を否定してはいけない。 覚醒した意識をもって行うかぎり、 性への耽溺と快楽の充足は悟りに至る道となりうる。 性の快楽を通して人は真の精神的超越を実現することができるのだ、 と。
23-24頁
ここでの 《インドの神秘》 とは
「真の精神的超越を実現することができる」 道を
示してくれるものだということだが、 それだけではない
「セックスや裸にやかましい国」 ではない、 ということ
そこと連続している
そのようなものとしての 《神秘のインド》 であった――
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さらに著者 ミルン氏は
「バグワン自身の個性とカリスマ」 に言及している
とてつもない彼の魅力、 その影響力に無感動でいられる人はほとんどいなかった
24頁
それはたしかに重要なことであったろう
しかし、 《神秘のインド》 表象の問題でもあるまい
ラジニーシと出会う以前のミルン氏、 そして氏をとりまく環境――
このあたりを あらためて見てみる必要がある
<つづく>
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