ラム・ダス 『ビー・ヒア・ナウ』 (原1971年)
前便 「1970年代 ロンドンのさまざまなセラピー・グループ」 より つづく
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著者 ヒュー・ミルン氏 が 《神秘のインド》 といかにして出会ったか――
ずいぶんな連投になって ご関心のない方には無遠慮だが
いよいよ物語も佳境に入ってきました
もう少し お付き合いをお願いいたします
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1972年12月ごろの話であるそうだ
その頃、 私はリチャード・アルパートという人の手になる一冊の本と出会った。 彼はニームカロリ・ババと呼ばれるインド人グルの弟子になり、 自分の名前をラム・ダスと変え、 私の考えにぴったりくるような生き方を唱道していた。 『ビー・ヒア・ナウ』 というその本は、 戦争、 浪費、 残忍性の不毛を説き、 内なる平和を得るための探求の旅について語っていた。 一九七〇年前半の大ベストセラーになった本だ。 […]
35頁
段落の途中だが 『ビー・ヒア・ナウ』 について
ヒッピー文化のなかで とにかくよく読まれた本
原著は Remember Be Here Now 1971年初版
もともとはパンフレット形式で
1977年から あらためて書籍スタイルでの頒布がはじまった
たとえば 上のリンクから検索していただくと
本当にいろいろと面白い話が出てきます
《神秘のインド》 表象との関連でいえば
『ビー・ヒア・ナウ』 になると もはやそればっかりで
あまりにも豊富すぎて… といったことになってきます
現代日本で流通する 《神秘のインド》 表象の
明確な源泉のひとつはこれだ、 と特定できそうです
もちろん この本自体
より大きな 《神秘のインド》 表象の製作過程のなかに
あるわけですから、 むしろ それ自体で
一つの研究対象とみなすべきなんでしょうね
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さて、 先の引用のつづき です
[…] 私は他にもユングの本や、 ゲシュタルト、 サイコドラマのパイオニアたちの著作に接し、 エンカウンター・グループにも参加したりした。 この宇宙の秘密を一足飛びに知って、 すべてに片をつけたかった。 子供の頃スコットランドの山でかいま見たあの空間をもう一度経験したかった。 患者の悪いところがすぐわかる治療師としての経験のすべてが、 私を知への旅、 答えを求める度へと導きつつあった。
35-36頁
「そんなあるとき…」 と 次の段落につづきます
いよいよ ラジニーシのセッションに参加することになるわけです
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<つづく>
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