《内的世俗化》 が徹底した今という時代
- マルセル・ゴーシェ 『民主主義と宗教』 (伊達聖伸+藤田尚志訳, トランスビュー, 2010年2月)
連投で 自分のメモかねがね いろいろご紹介しております
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ゴーシェの議論の結論は とりあえずフランスの
次に西ヨーロッパ諸国の、 さらに先進諸国の
社会において、 いわゆる 《世俗化》 が
行き着くところまで行ったのだ、 ということです
(1)
なおちなみに ゴーシェ自身は
「secularisation」 という概念に 留保をつけています (37-40頁)
ちゃんと議論すべきポイントですが、 すいません
とりあえず 日本語でのいわゆる 《世俗化》 ということで
話をつづけさせていただきます
ゴーシェによれば、 それは 「宗教」 の否定ではありません
社会から 「宗教」 が消え去っていく、 ということではありません
「宗教」 が 「自律」 をみずからに取り入れることで
それ自体として変容する、 ということです
(2)
ここで もう一つの留保――
次の引用に明らかですが、 ゴーシェは
フランスの事情をあまりに一般化しすぎています
彼自身の卓見を表現し 伝達するためにこそ
「宗教」 という普遍概念を用いないほうがよい
と、 僕には思われます
その点は すでに前便で論じました
要は、 下記引用文中の 「宗教」 とは 当面
フランスのカトリック教会とその影響圏という意味で
《カソリシズム》 を指す、 と脳内変換をおこない
一般的な宗教論には直接つなげないように お願いします
ということです
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ところが今日、 人びとの意識が宗教の方へと向かう場合、 探求や懇請は、 逆に当然の需要として正当化されている。 あらかじめ定められた意味のようなものがあって、 それに従ったり、 そのために自分を曲げたりすべきだとは、 まったく思われていない。 だが、 個人としては、 自分を個として確立するために、 世界の神秘や自分の実存を正当化してくれるものを問わねばならない。 今や宗教的な行動の核心をなすのは、 探求であって受容ではなく、 自分のものにする動きであって無条件の自己犠牲ではない。 信仰が模範的であるか否かは、 その信念が堅固かどうかよりも、 不安が正真正銘のものであるかどうかにあり、 既存の宗教もその例に漏れない。
意味の需要は、 自分のことに無自覚ではないし、 それに個人的な性格を要求している。 したがって、 そこから出発して、 内実を備えた真実に至る野望が抱かれることはありえない。 目指されているのは、 真ではなく意味であって、 完全な正確さを期して言うなら、 問題なのは、 真が客観的であるかどうかではなく、 ある主体性にとっての意味が、 客観的な必然性に適っているかどうかである。 […]
158頁
これは いわゆる 《内的世俗化》、 あるいは 《宗教の個人主義化》
という事態を 赤裸々に描写している部分です
この揺るがしがたい、 と言うよりも すでに完全に既定路線と化した
社会=心理様態の時空において
いわゆる 《宗教復興》 も注意深く解せよ、 とゴーシェは言います
つまり、 それは 《世俗化=個人主義化》 した宗教の台頭であって
単なる 「復興」 などではなく、 《近代的なもの》 (引用者の言葉) に
そっくりそのままあてはまるのだから、 と
では、 ゴーシェの言う 「宗教」 (主としては、 《カソリシズム》 ) に
それ自体としての、 独自の 「仕事」 は
もう残されていない、 ということなのか
ゴーシェは それはちょっと違う、 と言います
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<つづく>
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