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2010年3月 3日 (水)

見田宗介の活元運動

<連載 見田宗介/真木悠介論>

前便 「麻原か 見田宗介か その分岐である」 より つづく

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  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

 第一審の弁護人を務めたNさんによれば、 豊田と接見するなかで、 かつて彼に私が語った 「自分の存在の根」 という言葉が、 出家などにあたって重要な役割を果たしたのだという。 確かに、 私たちはそういう話をしていた。 だが、 そこに、 オウムに走るようなものは何もなかったはずなのに…… 一定の責任も感じながら、 私は思いをめぐらせた。

187頁

この一節は、 伊東先生が 「見田ゼミ」 の思い出を語る

「第七章 調教 現象と詐術の接木」 を含む

「第二部 証言」 の冒頭 エピグラフのようにおかれたエッセイ

  • 通過電車を待ちながら…1999~2004 (187-91頁)

の最初にある段落である

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伊東先生は、 次のようにして 「見田ゼミ」 を知った

 浪人や海外放浪などで大学への入学年次が3年遅れていた私は、 大学入学以前から、 高校時代の親しい同級生、 O君から魅力的なゼミの話を聞かされていた。 社会学の見田宗介享受の合宿ゼミだ。 O君は1年の夏休みにそれに参加して、 大変な影響を受けていた。 特に 「手かざし」 のような 「能力」 が話題になった。 それは野口整体の 「活元運動」 と呼ばれるものだったが、 「電車の中で見ず知らずの人の病気がわかって、 そこに手をかざしたら治せてしまった」 といった話とともに、 不思議な説得力をおって語られていた。 バグワン・ラジニーシの 「ダイナミック・ヨーガ」 の話も魅力的だった。 1983~84年ごろのことだ。

229頁: ルビは省略。 ただし、 「活元」 には 「かつげん」 のルビ

「見田ゼミ」 では 通常授業とは別に合宿を行っていた

[……] 1987年7月、 見田ゼミは八王子の 「大学セミナーハウス」 で 「自我論・間身体論」 ゼミナールの2泊3日合宿を行った。 事前に 「ここであったことは、 外では話さない」 という約束をして参加するのがルールである。 20年の時間が経過しているが、 今も個人に関わることはここには記さない。 泣き出す人、 固く抱擁しあう人、 いろいろな人間の 「自我」 と 「間身体性」 にまつわる 「なまもの」 の出来事がそこにあった。

 この 「見田ゼミ」 合宿で、 私に一番決定的な変化をもたらしたのが 「活元運動」 だった。 [……]

231頁

「活元運動」 については 別サイトをご覧いただくとして

伊東先生は、 この合宿での 「活元」 の実践を通じて

「身体的愉悦」 を感じた、 と記している (235頁)

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<つづく>

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04E 連載 見田宗介/真木悠介論」カテゴリの記事

コメント

見田先生と活元運動がこんなにも密接な関連があったとは驚きました。。

ただ、私も野口整体は道場が家から歩いて20分位の所にあり
大学院のゼミで先生と一部のゼミ生と共に参加したことが一度だけあります。

その時の体験から推して、
見田ゼミの内容が口外無用とされ、また参加者が感涙に咽ぶ、
というのも理解はできますが、
何となくあの見田ゼミ人気の裏にはそんなことがあったのかあ・・・
という思いを今更ながらに抱きました。。
 

馨子さん>

はい、そういうことだったみたいですね

見田先生のコミューン論からの社会学を 僕は高く評価しますが
このあたりの「問題」は やはり語られないままになっていますね
それでいいのか、悪いのか… なかなか難しい問題です

一般的に活元は そんなにエキセントリックではないでしょうが
(セッション・リーダーによっては とんでもないことにもなりましょうが)
やはり問題は ラジニーシのところにあるか、と…

見田先生の著述外実践において ラジニーシの教えと実践がどうなっていたか
活元とどのようなミキシングがあったのか、なかったのか
(この種のミキシングは 当時 世界中でふつうに行われていました)
そのあたりの問題はあるわけです

ここは コミューン運動、とくにニューエイジ系のそれの
非常にデリケートな部分です
ドラッグ・カルチャーの方が、今や あっけらかんと語られるのですが…

デリケートというのは、僕は 本当に慎重に
しかし 言うべきことはちゃんと 言う、という
とても難しい綱渡りを 強いられているということです

このことを書くときは、 ホントーに 緊張します…

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