« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月の記事

2010年4月13日 (火)

日本の保守政治家の考え方 (古屋圭司議員) 2/2

前便 「日本の保守政治家の考え方 (古屋圭司議員) 1/2 」 より つづく

====================

(2)

前便 の最後で指摘したように

日本にとって大切なものを守る――

日本を守り、 地域共同体を守り、 家族を守る――

故郷を守り、 ふるさとを守る――

これだけを言ってしまえば、 すべての良識的市民/国民は

もれなく 「保守」 だ、 ということになりましょう

古屋議員のおっしゃる 「保守政治」 について

もうちょっと限定していただく必要があります

次の発言で かろうじて それはなされます

自民党が歴史的な存在として期待されてきたのは、 保守政治による日本の真の独立回復、 具体的には自主憲法の制定をはじめとする国家として当たり前の姿を取り戻すことです。

すなわち、 「保守」 「保守政治」 とは

《自主憲法を制定するもの》

である、 ということになります

自主憲法を制定することが どこでどのようにつながって

地域共同体、 故郷、 ふるさと、 家族などを守るのか――

この短い対談の記録において

古屋議員から語られることはありません

キーワードは並べられてはいるが、 その連結如何は

説明されることが まったくないわけです

単なる揚げ足取りの、 無いものねだりをするつもりはありませんが

もう少し説明してほしかったなぁ、 という感想は禁じえません

====================

さて、 この論点はしかし、 僕の見方では

とても重要な 「保守 (政治)」 一般の特徴をば

如実に表しています

<つづく>

本ブログ 一締め

一昨日 (2010年4月11日)

本ブログ再開から、 365日目でした

忙しくしていたら、 うっかり忘れていました

2009年4月12日に書いた 「追悼」 という記事 が、 記念すべき再開第一便でした

====================

1日1記事以上を自らに課して 丸1年――

私生活において、 大変大きな問題をかかえ

「もうダメか…」 というところまで追い詰められていた中

あえぎあえぎ すがりつくようにして

ブログの再開という企てにたどりついたことが 思い起こされます

この場を通じて、 たくさんの出会いや発見がありました

再開してよかったなぁ、 1年 やってきてよかったなぁ

というのが、 いつわらざる感想です

お付き合いいただいた方がたに 心より感謝申し上げます

====================

いくつかの目標は達成することができましたが

最も重要視していた目標は 達成できませんでした

このようにハードな学問系ブログができること できないこと

身をもって かなりよく知ることができました

これは、 僕にとって 大きな財産になりました

今後はそれを 何とかして 社会還元していけたらと思います

====================

本ブログという場は 引きつづき育てていきたいと考えていますが

新規記事公開の頻度は これまでほどではなくなります

ブログ以外のところで 自らに あらたな課題を課すつもりです

最後にもう一度

これまでお付き合いいただいた方がた 本当にありがとうございました

今後とも よろしくお願いいたします

あらたな読者の皆さま またぜひ お立ち寄りくださいませ

コツコツ 精進してまいります

2010年4月12日 (月)

日本の保守政治家の考え方 (古屋圭司議員) 1/2

前便 「日本の保守政治家の考え方 (平沼赳夫議員) 2/2 」 より つづく

====================

<2> 古屋圭司議員の場合

(1)

平沼議員 (「たちあがれ日本」 代表) は 「保守」 を

《自民党が失ったもの/自民党の本義》

と規定していました

同じ議論は、 古屋議員 (自民党) の口からも

「自己改革が必要」 という主張として 現れています

何のために 自民党の 「自己改革」 が必要なのか――

日本にとって大切なものを守るため

だと、 古屋議員は言います。 すなわち、 「保守」 とは

《日本にとって大切なものを守るもの》

ということになります

====================

そして、 やはりここでも 平沼議員同様

野党議員である古屋氏もまた

民主党を 真っ向から批判します

しかし、 この対談 のなかで 古屋議員は

平沼議員とは異なり、 民主党の 《非保守性》 に

何かしらのコトバを与えることはありません

平沼議員は 「左翼リベラル」 という概念を用いていました

古屋議員の語りは 自らの 「保守の旗」 とは何か

その説明へと ストレートに向かいます

日本を、 わが故郷を守りたい

というのが、 それです。 すなわち 「保守」 とは

《日本や故郷を守るもの》

ということになります

「故郷」 (後の箇所では 「ふるさと」) が

「日本」 そのものであるのか、 もっと小さな単位なのか

それについては 何も語られないのですが、 ともあれ

ある地理的な範囲に対応する集団性が

これらのコトバでは指し示されています

《自集団にとって本質的に大切なのに、 今まさに危機にある何かを 保ち守る》

これを 「保守」 一般の特徴のひとつだと認めれば

古屋議員の場合、 その何かとは

「日本」、 あるいは 「故郷」 (「ふるさと」) というわけです

以上のことは、 古屋議員の次の発言に 要約されています

保守の掲げる改革は、 この日本の国柄やふるさと、 地域共同体や家族を守るためのものでなくてはならない

「日本」 「故郷」 「日本の国柄」 「ふるさと」、 さらには

「地域共同体」 や 「家族」――

これらを保ち守ることこそ 「保守政治」 だ、 というわけです

====================

ここで 最も重要なのは

こうした主張には誰も反対しない、 という点です

この主張だけを見てしまうと、 古屋議員が 自らを

あえて 「保守」 と名乗らねばならない理由は 判然としません

====================

<つづく>

2010年4月11日 (日)

日本の保守政治家の考え方 (平沼赳夫議員) 2/2

前便 「日本の保守政治家の考え方 (平沼赳夫議員) 1/2」 より つづく

====================

(2)

別の箇所 (前々便 「日本の保守」 参照) で、 平沼議員により

《保守でないもの》 として名指しされるのは

市場原理主義や拝金主義

なるものです

小泉構造改革、 その象徴としての竹中平蔵氏が

日本に広めたものがそれだ、 というのが平沼議員の理解です

昭和42年生まれの僕からしますと、 「拝金主義」 が今よりきつかったのは、 バブル時代だったんじゃないかなぁ、 と回想するのですが、 平沼議員とはセンスが違うようです

「市場原理主義」 はあたらしい概念ですから、 当時はありませんでした

しかし、自民党政権下の 「拝金主義」 は、 僕にとって ほとんどトラウマ的なのですが、 平沼議員とは感じ取り方が違うようです

竹中氏を重用した小泉元首相が忘れたのが

「真の改革続行」 「自主独立」 「国民道義の確立」

という自民党の立党宣言にあるものだ、 と言われます

調べてみましたら、この三つの文言のうち、 「立党宣言」 に含まれているのは 「自主独立」 だけでした (自民党のサイト 参照)

「改革」 という文言が含まれているのは、 「党の性格」 「党の使命」 「党の政綱」 などの文書であり、 「立党宣言」 と 「綱領」 には含まれません

「国民道義」 という文言が含まれるのは、 「党の使命」 という文書の最終段落、 「党の政綱」 第一項です

なお、 いずれもが 「昭和31年11月15日」 付けの文書で、 一括採択されたものである様子ですから、 計五つの文書の総称として 「立党宣言」 というのかもしれません

この三つのうち、 平沼議員がとくに重視するのが

国民道義の確立

です。 それは

日本人が日本人であるための要諦です

と言われます。 「保守」 とは

《国民道義を確立し、 日本人の日本性を堅守するもの》

ということになります

しかし、 これでは具体的な内容が よくわかりません

「国民道義」 とか、 「日本人が日本人であること」 とか

これらが不明確すぎるからです

とても独特な概念です

平沼議員からの説明は とりたててありません

自民党の歴史に通じた方がた、 『正論』 の読者

あるいは、 平沼議員の著作に馴染んだ方がたには

それだけで十分通用するコトバなのかもしれません

しかし、 僕には さっぱり分かりません (単なる勉強不足)

====================

さて、 市場原理主義/拝金主義は 何をもたらしたか――

共同体を動揺させ、 地方を疲弊させ、 格差を拡大させた

と、 平沼議員は総括します。 翻って、 「保守」 とは

《共同体を安定化し、 地方を振興し、 格差を最小化するもの》

ということになります

====================

ここで、 自民党が批判の対象となっているのにも 要注目です

先に、 与党民主党が槍玉にあがっていましたが (前便 参照)

自民党離反組の代表格たる平沼議員にとって

同党もまた批判の対象になります

つまり、 平沼議員の理解では 「保守」 とは

《現在の自民党が失ったもの/本来の自民党がもっていたもの》

ということになります

====================

<つづく>

2010年4月10日 (土)

日本の保守政治家の考え方 (平沼赳夫議員) 1/2

前便 「日本の保守」 での引用をもとに

  • 平沼赳夫 衆議院議員 (たちあがれ日本)
  • 古屋圭司 衆議院議員 (自民党)

お二人が言う 「保守」 とは何か――

精確には、 《保守的政治》 とは何か――

ちょいと 分析してみたいと思います

こういう分析を ヒンドゥー・ナショナリズムについて ずっとやってきたのですが、 今回はじめて 《日本の保守》 について やってみたいと思います

まずは 平沼議員から

====================

<1> 平沼赳夫議員の場合

「保守」 の一般的な傾向といえますが

《敵》 がとてもハッキリしています

自分たちの主張内容を明確化することよりも

《何でないのか》 が強調されること しばしばです

この特徴は、 平沼議員の語りに はっきり現れています

====================

(1)

参院選を間近にひかえた野党議員 平沼氏にとって

《保守でないもの》 とはもちろん 与党民主党になります

では 民主党の本質とは 何か――

平沼議員は 明言します。 それは

左翼リベラル

である、 と。 したがって、 「保守」 とは

《左翼リベラルではないもの》

のことだ、 ということになります

さらに、 「左翼リベラル」 の本質とは何か――

この点についても説明があります

国家観、 歴史観、 国益観の欠け落ちた、 日本という国の歴史性を喪失したデラシネ (根なし草)

そのようなものであるから、 「左翼リベラル」 は

日本の歴史を貶める

のだ、 と平沼議員は言います

「日本という国の歴史性」 「日本の歴史」 とは何か――

まさか 帝国主義的侵略や、 幕藩体制下の封建制や

戦国時代の騒乱や 飢饉と疫病の村落生活など

では 決して、 決してない! でしょう!

じゃぁ 何なのでしょう…

この短い対談 (『正論』 2010年5月号 所収) では

そこまで語られることはありません

ともかく

《民主党は左翼リベラルなので 日本の歴史を貶める》

という断定だけは はっきりなされます。 つまり

《保守は 日本の国の歴史性を堅守するので 保守である》

ということになります

====================

<つづく>

2010年4月 9日 (金)

日本の保守

ここのところ

などのエントリで、 「保守」 に触れた

本便 では、 日本の 「保守」 に触れてみよう

====================

そもそも 「保守」 とは 何か

「保守」 を掲げる方がた自身 この問いに

簡単には答えられないのが実際のところだろう

それこそが 「保守」 の本質なのだろう

しかし、 そうとばかりも言ってられない

お二人の国会議員のコトバを すくい上げてみよう

====================

『正論』 2010年5月号 に

  • 平沼赳夫 衆議院議員 (無所属: 記事当時)
  • 古屋圭司 衆議院議員 (自民党)

の対談が載った。 題して

民主も自民も国家観、 歴史観なきリベラルが日本を潰す
「保守」 の正念場に我らが闘いの決意

今夏の参院選で民主党に単独過半数を取らせてはならない。 原点に戻り捨て身になろう

そこから “「保守」 とは 何か” に対応するコトバを

ひろってみましょう

これらのコトバは ゴリゴリの政治家が語る 「保守」 ですから

政治的保守主義、 ないしは保守的政治思想

と呼ぶべきものですね

それは 「保守」 そのものでも、 その代表でもないでしょう

(この点への講評は 次便にて)

====================

以下引用

 平沼 […] ひとことで言えば、 [民主党は] 国家観、 歴史観、 国益観の欠け落ちた、 日本という国の歴史性を喪失したデラシネ (根なし草) の集団です。 その政党としての本質が露呈しないように、 彼らは選挙ではインデックス [同党の政策集 「インデックス2009」] の内容を事実上隠蔽した。 先ほど挙がった国家解体・売国の三法案 [どの三法案を指すのかは不明: 引用者注] しかり、 靖国神社に代わる国立追悼施設の創設や国会図書館に恒久平和調査局を置くことなど左翼リベラル的な政策ばかり。 恒久平和といえば聞こえはいいけれど、 内実は日本の歴史を貶めることを政府が率先してやろうという機関です。 […]

101頁

 古屋 […] そして [自民党は] 日本にとって大切なものを守るために政党としての自己改革が必要だったにもかかわらず […]

 古屋 […] 私も選挙戦では民主党の政策の危うさを訴えましたが、 有権者の反応はいまひとつといった感じでした。 その原因が自民党への不信感であり、 政治に対する信頼の失墜だと気づいたとき、 私の政治信条を率直に訴えることにしました。 それはこの日本を、 わが故郷を守りたいという “保守の旗” です。 […]

 自民党が歴史的な存在として期待されてきたのは、 保守政治による日本の真の独立回復、 具体的には自主憲法の制定をはじめとする国家として当たり前の姿を取り戻すことです。 […]

102頁

 平沼 […] では自民党の立党宣言には何が謳われているか。 「真の改革続行」 「自主独立」 「国民道義の確立」 です。 なかでも国民道義の確立は、 日本人が日本人であるための要諦です。 それを忘れて、 グローバリズムへの適用の名のもとに竹中平蔵氏らを徴用した小泉構造改革によってもたらされたのが市場原理主義や拝金主義の跋扈であり、 それが共同体を動揺させ、 地方を疲弊させ、 格差を拡大させた。 そこを 「国民の生活が第一」 を掲げる民主党に衝かれたわけです。 その欺瞞と危険性を国民が見抜く余裕がないほどに自民党が国民を疲弊させ、 失望させてしまっていた。 私はこんなふうに見ているのです。 […]

107頁

 古屋 […] 保守の掲げる改革は、 この日本の国柄やふるさと、 地域共同体や家族を守るためのものでなくてはならない。 […]

引用おわり

====================

2010年4月 8日 (木)

インド研究者がインド時評を書くという課題

こんな囀りをした

適宜添削をほどこしたもの 再録します

====================

今回 6年ぶりに印度に行ってみて思った――

あのクニは変わったようで変わってない

変わってないようで 変わった いや

変わったようで 変わってない いやいや

……以下無限ループ……

我ながら

こうしたいかにもな印度特殊論しか口に出せないのは

地域研究者として いかがなものかと思うのだが…

素直な感想はやっぱりそうなのだ

==========

ここで「印度特殊論」とは

いかなる変化や影響も 受け止めきってしまい(!)

結局は 何か印度的なるものの連続性が保たれる――

そういった印度理解の型のことだ

深いところで印度は変わらない 印度はいつまでも印度だ――

あの土地柄はたしかに特徴的なので

そのような見方も 必ずしも間違っているとばかりは 言えない

しかし、それを強調しすぎれば

単なる特殊主義者の主張に堕する

==========

こうした逡巡は バカバカしいものだ、と思われる向きもあろう

しかし、僕が特殊主義に敏感なのは

ナショナリズム研究をやってきたからなのだ

≪印度的なもの≒ヒンドゥー的なもの≒印度国民国家原理≫

という ナイーブな想定!

保守主義が普遍的な悪だなんて

僕はもちろん これっぽっちも考えていない

とくにヨソサマの社会や政治に変革を促しうる

倫理的に正当な立場性を確立するのが いかに難しいことか――

阿呆な僕でも よく承知している

==========

さてこのように 僕は

印度研究でオマンマを食べさせていただいている身として

印度旅行の感想ひとつを口にするのにも

ノイローゼ的なこだわりと思案をば

織り重ねないわけにはいかないのであります

==========

印度のことに 話を戻そう

印度社会から受ける不易流行の印象 という話だった

どんな地域でも どんなクニでも

おそらく同じことが言えるだろう

変わったといえば変わった、変わらないといえば変わらない――

でも、僕の言いたいのは そんな当たり前のことではないのだ

二段階にわけて 囀ってみたい

==========

第一に、 印度には ホントにピンからキリまで あらゆるものが

素のままで明け透けに ギュッと押し込まれて現前している

恰好つけや 建前や 嘘なんかすらも

実に判りやすく そこにある

だから 変化が生じたとしても、 それが

印度のいつかどこかにあったもののように思われて仕方ないのだ

配置や強度が変わっても やはり常に類似の印象を与える

そう それはまるで万華鏡のようなのだ

==========

第二に、 言うまでもないことだが 印度は変化している

細部の変化のことではない

そんなのは単に当たり前なだけだ

総体的な変化のことが言いたいのだ

例えば 経済構造の変化

(構造は単体的実在ではないので、変化捕捉には理論と方法論が欠かせない)

例えば メディア上の共通経験の変化

(記憶と慣習のレベルの変化なので、捕捉条件は上に同じ)

例えば 社会的威信の源泉の変化

(同上)

印度の変化はどうしても

印象論的、あるいは表層的にしか とらえられない

ということになりがちだ

そしてそうした印象は

印度の 《本質における》 不変化という観念に すぐ通じてしまう

だからこそ社会変動論の常に倣って

理論と方法論をいつも反省しながら

しっかりとした論述をしなくちゃいけない

とても面倒で 一見バカバカしい程に細密すぎる注意の払い方だ

と思われようが、 ただそれだけが

有意味な地域/クニ理解を与えてくれるだろう

そして 地域研究者ってのは そういうことをする人をいうのだろう

========================

以上のようなことを 囀りました

ハイパー・ウェポン/最終狙撃者

今朝がた、 たまたまつけていたテレビでやっていた

  • 映画 「ハイパー・ウェポン/最終狙撃者」 (マイケル・ドライハースト, 1980年)

Photoすごくよかった

最近、 映画一口コメントを

鑑賞メーター に書かせていただいてるが

この映画、 DVD化もされていないし

旧ビデオ・ソフトも絶版のようで

アマゾンのDBを利用する鑑賞メーターさんでは

ヒットしてこないので、 こちらに寸評です ↓

題名のひどさは むしろネタ的である

その印象とは正反対に、 ハードボイルドでクールな一本!

ネット検索してみたら、 やはり知る人ぞ知る の作品との由

たとえば こちら ⇒ http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/8668/h/hardway.html

隠れた名画というのに 久しぶりに出会えた

2010年4月 7日 (水)

10万アクセス

本日正午ごろ 10万アクセス 確認いたしました

いつも訪れていただき、 本当に本当に 感謝です

前回9万アクセスが 2月16日 でした

 ∴ 50日 : 1万アクセス ≒ 1日 : 200アクセス

====================

ご参考までに 過去4ヶ月で

アクセス数 日平均 233

訪問者数 日平均 113

ですPhoto

3月後半、 私が印度出張に行っているあいだ

まぁ 見事なほどに アクセス数が伸び悩みました

過去30日で

アクセス数 日平均 166

訪問者数 日平均 95

年度末というのもあったかもしれません

しかし、 こんな御堅いブログに

これだけの方がたに訪れていただけている――

そのことだけで 大変ありがたいことだと思っております

====================

本ブログ再開から 来週12日で ちょうど1年になります

とりあえずの区切りを その日には 打ちたいと思っています

本ブログを閉じてしまうということでは ありませんが

一応の締め、 ということです

その前に 10万アクセスをいただけたのは 感慨深いです

今後とも どうぞ宜しくお願いいたします m(_ _)m

出雲 挑んで知った怖さ

朝日新聞 朝刊での連載

探訪保守

出雲地方の保守性を 徹底的に現地取材するという切り口

南彰記者という若手の起用など

とても興味ぶかいもので (実際、 とてもおもしろく)

連載開始当初から、 本ブログでも注目させていただいていた

今では、 朝日新聞のサイトに 特設頁もある

その連載が 昨日付け (2010年4月6日付) で

どうやら終了したらしい

その日の記事タイトルは

出雲 挑んで知った怖さ

どこにも最終回とは書かれていないのだが

南記者の本文が こんなことが書かれている

 2月、 最後の取材を始めるにあたり、 国会近くにある錦織氏 [錦織淳氏: 竹下登氏、 登氏の弟である亘氏に総選挙で挑み、 最後まで勝つことなく、 00年に政界から退いた] の弁護士事務所を訪ねた。 これまでの連載について彼は 「表面的になぞった感じがするな」 と笑った。

最後の一段落は こうだ

 参院選に向け、 私は日常の政治取材に戻る。 この半年、 出雲を探訪しながら、 気づくと自分の歩みも振り返っていた。 学生時代に抱いた出雲への重いと、 30歳の政治記者として出雲に戻った今の思い。 保守は、 壊すべきものではなくなった。 だが、 変化したのは私の意識であって出雲ではない。 政権が交代しても変わらない、 いや変化を見せない。 それが出雲である。

====================

とても有意義な連載だった、 とあらためて思う

この日の記事も そのうちネット上で読めるようになりましょう

あらためて 特設頁はこちら

皆さん、 ぜひご注目くださいませ

2010年3月 読書データ

3月の読書メーター
読んだ本の数:19冊
読んだページ数:5610ページ

NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影
面白かった。思っていた内容は書かれていなかったが、素敵な本だと思う。
読了日:03月31日 著者:春日 真人
クムラン (角川文庫)クムラン (角川文庫)
物語としてはフツーに陳腐 だが、《文字テキストにしかできないもの》への強い自覚に感銘
読了日:03月14日 著者:エリエット アベカシス
ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)
表題の通りの本!興奮して読めた 僕とは違う筋だが、新世代左翼の気概には共感するのだ
読了日:03月13日 著者:毛利 嘉孝
アメリカの公共宗教―多元社会における精神性アメリカの公共宗教―多元社会における精神性
ノーコメント 次回作に期待 その期待ができる著者だから!
読了日:03月10日 著者:藤本 龍児
さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生
異色だが重要なオウム論 死刑制度論などで異論反論を呼ぶだろう しかし、読む価値あり
読了日:03月06日 著者:伊東 乾
無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)
「無宗教」賛美はやはり一面的すぎる 世俗主義を加え、より包括的な「日本」が描けたら…
読了日:03月04日 著者:島田 裕巳
日本人にとって「宗教」って何だろう (KAWADE夢新書)日本人にとって「宗教」って何だろう (KAWADE夢新書)
「教養」としての日本宗教論の好著!形式的な宗教史でないところが冴えてる
読了日:03月04日 著者:武光 誠
神と人のはざまに生きる―近代都市の女性巫者神と人のはざまに生きる―近代都市の女性巫者
おすすめの名著! 副題の「女性巫者」ではなく、彼女がいた時空間そのものこそ!
読了日:03月03日 著者:アンヌ ブッシイ
宗教に抗する聖者―ヒンドゥー教とイスラームをめぐる「宗教」概念の再構築宗教に抗する聖者―ヒンドゥー教とイスラームをめぐる「宗教」概念の再構築
再々読 感想は変わらず 大変な力作なのだが、地域研究の難しさが…
読了日:03月03日 著者:外川 昌彦
Nの肖像 ― 統一教会で過ごした日々の記憶Nの肖像 ― 統一教会で過ごした日々の記憶
たしかに「救い」を与えてくれるが、何か大切なものを破壊せずにはおかない そんな教団の事例
読了日:03月03日 著者:仲正 昌樹
先端社会研究〈第4号〉特集 スピリチュアリティと幸福先端社会研究〈第4号〉特集 スピリチュアリティと幸福
自己喪失、被虐待児童、要介護高齢者、そして統一教会、「拡散宗教」
読了日:03月02日 著者:
アジア社会と市民社会の形成―その課題と展望 (アジア社会研究会年報)アジア社会と市民社会の形成―その課題と展望 (アジア社会研究会年報)
アジア社会という切り口は有効だと思うが、まだ練り上げが不足だ、という感想
読了日:03月02日 著者:
早池峰岳神楽―舞の象徴と社会的実践早池峰岳神楽―舞の象徴と社会的実践
「はやちねたけかぐら」 「民俗芸能」と「地域生活の宇宙」の不易流行 つまり「神事」とはなにか
読了日:03月01日 著者:長澤 壮平
旧ソ連地域と紛争―石油・民族・テロをめぐる地政学旧ソ連地域と紛争―石油・民族・テロをめぐる地政学
地域研究の成果だが専門外の人にこそ!副題がすべてを語っているが、「民主化」も主題
読了日:03月01日 著者:廣瀬 陽子
民主主義と宗教民主主義と宗教
批判は簡単な本!しかし、その真価をどれだけの人が理解するだろうか… 大変な著作だ
読了日:03月01日 著者:マルセル・ゴーシェ
インドの大道商人インドの大道商人
表紙が残念すぎる!祝文庫化!ラージャースタンの村々、その「文化や生活」
読了日:03月01日 著者:山田 和
POPな宗教学―神々への軽快なアプローチPOPな宗教学―神々への軽快なアプローチ
ひろさちや「著」ではない 4人のフリーライターの共著 専門家ほど読むとよい
読了日:03月01日 著者:後藤 篤,清洲 光,馬越 ふみあき,岡田 浩義
宗教トラブルはいま―判例と報道から見えてくるもの宗教トラブルはいま―判例と報道から見えてくるもの
日弁連「人権侵害についての判断基準」 人権侵害、社会不安、消費者被害⇒宗教トラブルの防止と被害救済
読了日:03月01日 著者:
神社若奥日記―鳥居をくぐれば別世界 (祥伝社黄金文庫)神社若奥日記―鳥居をくぐれば別世界 (祥伝社黄金文庫)
なかなかの本!巫女さんに関心をもつ学生は必ずいるので、今後はこれを紹介しよう
読了日:03月01日 著者:岡田 桃子

読書メーター

2010年4月 6日 (火)

ケペルの議論は日本人に評価できるのか

前便 で紹介した

  • ジル・ケペル 『テロと殉教: 「文明の衝突」 をこえて』 (丸岡高弘訳, 産業図書, 2010年3月12日)

これについて 今日、 こんな囀りをした

補足説明をしつつ 再録いたします

====================

朝一番から何ですが ブログに書いたように

ケペル 『テロと殉教』 を読んでいます

阿呆な宗教復興論ばかりの中

『宗教の復讐』 (中島ひかる訳, 晶文社, 1992年11月)

現代の宗教復興の比較研究として最初期の著作なのに

結局一番よくできた本だった

ケペルが的を外さなかったのは

彼が政治学者だったからだろう

その後明らかになったように、 宗教復興の中核は

宗教の脱私事化であり、 その主な特徴は

政治学/国際関係論が扱い慣れたものである

宗教の脱私事化は 自然な第一印象とは異なり

実は 反近代というよりも、ハイパー近代であった

この点で いくつかの初動捜査が道を踏み誤った

同時代史の難しいところだ

しかしケペルは、 最初からそこを間違えなかった

そして、現場の変転する情況に注目しつづけ

複雑な事態を複雑なままに

複雑性をこそ中心的な分析概念として

分析/整理/記述することに 努力を傾注した

ごくごくシンプルなアイディアだが、 それが当たりだった

そうしてケペルが辿り着くことになった文脈と分析枠組みは

おそらくあまりに的確な可能性がある

(氏の政策提言は保留するとして)

的確すぎて ――ここが言いたいことなのだけれど――

日本の読者には評価されないかもしれない

戦後日本人の国際関係センスは たとえ真摯であれ

基本ガラパゴス的である―― このことを僕は

印度研究を始めて、 やっと痛感できるようになった

(もちろん僕個人が阿呆なのだが、 日本という条件付けが 僕を阿呆にした面がある)

東アジア地域構想と、 対米関係のリニューアルに

戦後日本が拘束されるのは

地政史上からして 仕方のないことだ

中東/欧州関係の再構築を促すケペルの議論が

多少なりとリアルに感じられうるとすれば

間接的には 米国の世界戦略の挫折を介して

直接的には 石油安全保障を通じてであろう

そのように屈折した形か 部分的にかしか 日本は

中東をめぐる力学構成に利害関心をもちえないようになっている

(韓国も似たところがあるが、イスラーム圏への企業進出が日本に先んじている)

こうして ケペル 『テロと殉教』 が日本語になったところで

なかなか真価が見出だされないのでは、とおそれるのです

====================

こんな囀りをしました

2010年4月 5日 (月)

ジル・ケペル 『テロと殉教』

  • ジル・ケペル 『テロと殉教: 「文明の衝突」 をこえて』 (丸岡高弘訳, 産業図書, 2010年3月12日)

アメリカの 「反テロ戦争」 ディスクールと その行動

アルカーイダらの 「ジハード」 ディスクールと その行動

これらをともに すでに破綻したものと判定し

「ヨーロッパ」 の文明史的、 地政学的な位置づけと意義を

力づよく語る著作

こうした問題設定は

日本人にとって 日常的にリアルなものではなかろう

しかし、 今 世界の力学構造への直接的な構想とは

まさにこのようなものになるだろう

そして、 この本は とてもよい本だと思う

締めの一節

[…] ヨーロッパと湾岸と地中海という三つの地域をつなげて、 ひとつのインターフェイスを構成するためには、 政治的意志を発揮して、 この三空間のうちの前者ふたつ (ヨーロッパと湾岸) が今もっている自然な経済的志向性に対抗することが前提となる。 現在のように湾岸地域がアジアに、 ヨーロッパが大西洋にひたすら顔をむけつづけるとしたら、 地中海はあらゆる危険にみたいた見捨てられた空間になってしまうだろう。 これが 《テロ》 と 《殉教》 の時代の教訓である。 ヨーロッパと近東にとって、 共同して文明の挑戦をうけてたつしか選択肢はない。 そして地中海を再生することによってレヴァントから湾岸にいたる地域に平和と繁栄をきずくのだ。 さもなければ両者はともに没落し、 消滅した世界のひとつとして博物館にその遺品が陳列されるだけの存在になってしまうだろう。

268頁

2010年4月 4日 (日)

姜尚中 「「3大政党」 になるとすれば」

前便 にひきつづき

AERA 2010.3.29号 から 記事紹介です

姜尚中 愛の作法  第133回
「3大政党」 になるとすれば

42頁

小沢一郎氏をめぐって 民主党の結束にゆるみがみえAera_100329_2

自民党からの大物議員の離脱が相次いでいます

来る参院選に向け 政界再編がすすんでいる証左ですね

それはかなりドラスティックな変化になるかもしれない――

一部にあるそのような観測に 姜先生はのっかって

「3大政党」 の勢力図を想像してみています

思い切って 長めに引用してみましょう

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から

以下引用

 その一つは、 オリジナル民主党。 つまり1996年に旧民主党を作った鳩山、 菅、 仙谷の各氏、 あるいは海江田氏や枝野氏、 そこに岡田氏を加えた政党。 米国の民主党のようにリベラルを掲げ、 セーフティーネットや多様性を推進する勢力です。 市民の力を重視して、 労働組合やNPOの声を拾うことになります。 平和や人権、 福祉において公明党の政策と親和性が高いかもしれません。

 国民の力を唱える勢力が第2の党。 そこでは民主党の小沢グループと国民新党が中心になります。 旧経世会のように地方の声を代弁し、 人身掌握術に長けたたたき上げの政治家を集め、 自民党の票とカネを取り込むような形になる。 さらに舛添要一氏を引っ張り込み、 国民的な支持を取り付ける可能性を秘めています。

 第3は市場の力に期待する政党です。 これは小泉改革の継承を目指す政党です。 前原氏のような松下政経塾出身者やみんなの党、 橋下徹氏や中田宏氏ら首長連合を糾合するイメージです。 都会のビジネスパーソンの中から優秀な人材が集まり、 ややドライな実力社会を目指す勢力となるでしょう。 外交・安全保障ではどちらかと言うとタカ派的な立場を取ると思いますので、 自民党の中の安倍元首相周辺が合流するかもしれません。

引用おわり: ルビは省略

姜先生ご自身、 これは 「頭の体操」 の産物にすぎない

と断っているとおり

実際の政治過程は このようにはならないでしょう

恩讐関係が強すぎて、 超党派的な合従連合は

一般にむずかしいものですから

しかし、 「頭の体操」 としては とてもおもしろい!

日本のなかで今、 何がどのように問題化しているのか

一歩引いた見通しを得るのに 最適でしょう

その関連で、 最終段落で 姜先生が

「ほぼ三つの政策的分岐」 を示すのにも 要注目です

  • 定住外国人の地方参政権や選択的夫婦別姓あるいは同姓婚など価値観にかかわる問題
  • 中国・韓国・北朝鮮を含む東アジアの将来構想の問題
  • 日米同盟のあり方をめぐる問題

これにぜひ付け加えられるべきなのは

  • ポスト・ネオリベラリズムの政治経済学 (政府の “大きさ” を規定する諸政策の統合体)

でしょうが、 姜先生もそんなことは先刻ご承知のはず

文字数不足で 言及されなかっただけでしょう

さて、 皆さんは どのようにお考えでしょうか…?

2010年4月 3日 (土)

読書会という新しい居場所

久しぶりに AERA の記事紹介――

2010.3.29号 の62-64頁

20代、 30代に広がる友達でも同僚でもない関係
読書会は新しい居場所

記者は 「ジャーナリスト 高瀬 毅」 さん

煽り分には こうある

年配の人のものというイメージのあった読書会に、
20代、 30代の参加者が急増している。
会社以外のつながりがほしい人たちの居場所になりつつある。

mixi などでメンバーを増やしている場合が多いそうだ

具体的に紹介されている読書会としては

など

こういう場があるのは とてもいいものだなぁ、 と思った

われわれの業界は、 なんと言うか 業界全体が

読書中心に回っていて、 そのシェアとアウトプットが

仕事の内実になっているようなものだけれど

同じような場が 若き会社員らにうけているというのだ

何が そんなにうけているのか――

記事によれば

  • 正直に自分の気持ちを話せること
  • 一つのテーマで議論ができること (好きなこと、 まじめなこと)
  • 仲間がもてること、 とくに会社の外側に
  • 勉強熱と 成果アウトプットへの欲求

などの要因があるのだそうだ

また、 著者/作家をじかに招聘する読書会もあるようだ

これについても、 われわれ書き手には興味ぶかいところだ

====================

僕が担当委員をさせていただいている

日本南アジア学会 月例懇話会

まぁ 同じっちゃぁ同じ試みなわけですが

ここのところ 参加者の数が上げどまりで

ちょっと悔しい思いをしている

しかし、 上のような記事を読むと

こうした集まりにもまだまだポテンシャルがあるんだよなぁ、 と

要は マネジメント次第なのである、 と思い至る

コツコツがんばっていきたいと思います

2010年4月 2日 (金)

山崎豊子を読む若者がやっぱり増えているらしい

『日経 TRENDY』 2010年4月号 巻頭特集の

Wise Selection 2010
決定版 最強の仕事術
春のビジネスツール&賢く使うワザ

が とても面白かった

そろそろスマートフォンに買い換えるか、 と

手ごろな雑誌をコンビニで探して 買い求めたのだが

手帳とか 文具とか デジカメとか 出張術とか

すぐ試してみようと思わせられる情報が満載だった

====================

それはそれで 機会があればぜひ読んでいただきたいのだが

本エントリにて紹介したいのは、 実は 別の記事だ

GET INTO TREND トレンド探索
「山崎豊子」 で 日本人を知る若者

文/日野なおみ

山崎作品に批判があることを 僕は承知している

しかしここでは

流行としての 《山崎豊子現象》 が語られており

それがそれとして とても興味ぶかいのだ

煽り文には こうある

昨年から、 山崎豊子の作品が再び脚光を集めている。 きっかけは、 『沈まぬ太陽』 や 『不毛地帯』 などの映像化だ。

その影響で過去の山崎作品も相次いで増刷。 10年ぶりに発売された新作 『運命の人』 も4巻で60万部を超えるベストセラーになった。

今回のブームの特徴は、 若い世代が読み始めていること。 なぜ今、 山崎豊子が若者から支持されるのか。 深層に迫った。

記事の全体は ちょっと冗長な感じもするが

まさに 「トレンド」 分析として 面白かった

で、 僕が気になった段落を ふたつ ご紹介する

 多くの芥川賞作品をはじめ、 文学界では最近、 内省的で身の回りの出来事を描く作品が多い。 小田 [山崎の最新刊 『運命の人』 を担当した文藝春秋第二出版局第一部統括次長の小田慶郎さん] はそれを 「今の社会自体に大きなストーリーやドラマがないからではないか」 と見る。 半面、 山崎の描く作品はどれもが社会問題や歴史、 国家と正面から向かい合っている。 文学界全体の潮流から見れば、 ある意味、反時代的といえるかもしれない。 だが逆に、 山崎のように書ける作家は、 もはやほとんどいない。 だからこそ山崎作品が際立ち、 映像化される機会が増え、 昭和という時代を振り返りたい読者は山崎作品を手に取る。

126頁

 強い信念を持ち、 国家や社会のために生き、 職場では常に正しい振る舞いをする――。 かつて、 こうした生き方は、 厳格な父親や上司の姿から学んできた。 だが今、 若者たちの周囲にこうした存在は見当たらない。 どう振る舞うべきか、 何が正しい姿なのか。 答えを求め、 若者たちは次々と山崎作品を読み始めている。 作品のなかで山崎豊子が用意したのは、 かつてのあるべき日本人の姿なのだろう。

127頁

2010年4月 1日 (木)

官僚制的同胞主義の体制

《宗教/世俗的近代性》 の日本的組成について

いくつも特徴があるわけだが、 そのひとつに

ハードな 《世俗》 概念が 確立していない――

ということがあげられる

《世俗の宗教学》 を追究すべき現代宗教学者にとって

この特徴は 大きな障害である

しかし、 手掛かりがないわけではない

たとえば、 社会哲学者 橋本努 は 次のように述べる

  • 芹沢一也・荻上チキ (編) + 飯田泰之・鈴木謙介・橋本努・本田由紀・吉田徹 (著) 『日本を変える 「知」: 「21世紀の教養」 を身に付ける』 (光文社, 2009年5月)

所収の

  • 橋本努 「誰もネオリベラリズムを全面否定できない」 (281-342頁)

より

以下引用

 僕が現在考えているのは、 ウェーバーの 「中間考察」 を拡張するかたちで現代 [日本] の体制を把握することです。 一言でいえば、 現体制を 「官僚制的同胞主義」 として把握するものです。

 ここで僕が 「官僚制的同胞主義」 と言っているのは、 人々が一定の同胞倫理 (仲間意識) を共有しながら、 市場取引関係については、 これを政治工学的に再設計するという企てです。

 この体制は、 一方における宗教上の 「カリスマ支配から祭祀的教権者支配への移行」 と、 他方における財配分上の 「市場経済の設計主義化」 という、 二つの源泉から生まれてきました。 その典型は、 19~20世紀における 「キリスト教社会主義」 の企てでしょう。

 けれども、 キリスト教の祭祀的教権者層が支配しない社会においても、 近代の国民国家は、 これに代替する機能を果たしてきました。 近代の国民国家は、 教会における祭祀的教権者層の機能を、 エリート官僚へと代替したもの、 と言えます。

 官僚たちは、 旧来の 「魂の救済」 という課題を、 「ナショナリズムの愛国心」 として読み替えて、 国のために仕える人々は、 その人生が報われる、 とみなすわけです。 そのような救済の倫理を担保したうえで、 近代の国民国家は、 経済関係を即事象的 (ザッハリッヒ) かつ合理的に組織化していきました。

引用おわり: 330-31頁

現代日本において 《世俗》 とは何か――

それは 官僚制的同胞主義の体制、 およびその力場である

<つづく>

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Twitter


読書メーター

  • mittskoの今読んでる本
  • mittskoの最近読んだ本

鑑賞メーター

  • 最近観たビデオ
    mittskoの最近観たビデオ
2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

イーココロ

無料ブログはココログ