ケペルの議論は日本人に評価できるのか
前便 で紹介した
- ジル・ケペル 『テロと殉教: 「文明の衝突」 をこえて』 (丸岡高弘訳, 産業図書, 2010年3月12日)
これについて 今日、 こんな囀りをした
補足説明をしつつ 再録いたします
====================
朝一番から何ですが ブログに書いたように
ケペル 『テロと殉教』 を読んでいます
阿呆な宗教復興論ばかりの中
『宗教の復讐』 (中島ひかる訳, 晶文社, 1992年11月) は
現代の宗教復興の比較研究として最初期の著作なのに
結局一番よくできた本だった
ケペルが的を外さなかったのは
彼が政治学者だったからだろう
その後明らかになったように、 宗教復興の中核は
宗教の脱私事化であり、 その主な特徴は
政治学/国際関係論が扱い慣れたものである
宗教の脱私事化は 自然な第一印象とは異なり
実は 反近代というよりも、ハイパー近代であった
この点で いくつかの初動捜査が道を踏み誤った
同時代史の難しいところだ
しかしケペルは、 最初からそこを間違えなかった
そして、現場の変転する情況に注目しつづけ
複雑な事態を複雑なままに
複雑性をこそ中心的な分析概念として
分析/整理/記述することに 努力を傾注した
ごくごくシンプルなアイディアだが、 それが当たりだった
そうしてケペルが辿り着くことになった文脈と分析枠組みは
おそらくあまりに的確な可能性がある
(氏の政策提言は保留するとして)
的確すぎて ――ここが言いたいことなのだけれど――
日本の読者には評価されないかもしれない
戦後日本人の国際関係センスは たとえ真摯であれ
基本ガラパゴス的である―― このことを僕は
印度研究を始めて、 やっと痛感できるようになった
(もちろん僕個人が阿呆なのだが、 日本という条件付けが 僕を阿呆にした面がある)
東アジア地域構想と、 対米関係のリニューアルに
戦後日本が拘束されるのは
地政史上からして 仕方のないことだ
中東/欧州関係の再構築を促すケペルの議論が
多少なりとリアルに感じられうるとすれば
間接的には 米国の世界戦略の挫折を介して
直接的には 石油安全保障を通じてであろう
そのように屈折した形か 部分的にかしか 日本は
中東をめぐる力学構成に利害関心をもちえないようになっている
(韓国も似たところがあるが、イスラーム圏への企業進出が日本に先んじている)
こうして ケペル 『テロと殉教』 が日本語になったところで
なかなか真価が見出だされないのでは、とおそれるのです
====================
こんな囀りをしました
« ジル・ケペル 『テロと殉教』 | トップページ | 2010年3月 読書データ »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 島薗進 『ポストモダンの新宗教』 (2001)(2016.02.17)
- クザーヌスのお勉強(2015.07.21)
- 世間とは何か(2015.05.07)
- 近代経済人の宗教的根源(2015.04.23)
- 西ヨーロッパの宗教状況、あるいは世俗化と「見えない宗教」(2015.02.11)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 田中智学の八紘一宇(2015.03.20)
- 中華民族主義、もしくは漢民族復興主義(2015.02.26)
- 世俗人、あるいは資本家と資本主義者(2015.02.09)
- 「宗教紛争」「宗教戦争」という名づけはあまりに問題含みである(2015.01.28)
- 【公開講座】 インドの今を知る(2014.10.16)
「01B 宗教政治学」カテゴリの記事
- ヒンドゥーの霊的原初主義(2015.12.17)
- 儒学を入れるしかなかった近世神道、そして尊皇倒幕へ(2015.05.04)
- 近代経済人の宗教的根源(2015.04.23)
- 田中智学の八紘一宇(2015.03.20)
- 中華民族主義、もしくは漢民族復興主義(2015.02.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント