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2010年5月 5日 (水)

私の中のすべての目盛りを一段階あげてしまう歌や恋の力

今年の授業のひとつで

芸術と宗教

をテーマにして こりこりやっております

まさにこんな話をしていますね> 受講生の皆さん

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「ええと、 大島さん」 と青年はカウンターにある名前の表示を見ながら言った。 「あんたは音楽に詳しいんだね?」

 大島さんは微笑んだ。 「詳しいというほどではありませんが、 好きですし、 一人の時にはよく聴いています」

「じゃあひとつ訊きたいんだけどさ、 音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う? つまり、 あるときにある音楽を聴いて、 おかげで自分の中にある何かが、 がらっと大きく変わっちまう、 みたいな」

 大島さんはうなずいた。 「もちろん」 と彼は言った。 「そういうことはあります。 何かを経験し、 それによって僕らの中で何かが起こります。 化学作用のようなものですね。 そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、 そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを知ります。 自分の世界がひとまわり広がっていることに。 僕にもそういう経験はあります。 たまにしかありませんが、 たまにはあります。 恋と同じです」

 星野さんにはそんな大がかりな恋をした経験はなかったが、 とりあえずうなずいた。

「そういうのはきっと大事なことなんだろうね?」 と彼は言った。 「つまりこの俺たちの人生において」

「はい。 僕はそう考えています」 と大島さんは答えた。 「そういうものがまったくないとしたら、 僕らの人生はおそらく無味乾燥なものです。 ベルリオーズは言っています。 もしあなたが 『ハムレット』 を読まないまま人生を終えてしまうなら、 あなたは炭坑の奥で一生を送ったようなものだって」

「炭坑の奥で……」

「まあ、 19世紀的な極論ですが」

「コーヒーをありがとう」 と星野さんは言った。 「話せてよかったよ」

 大島さんはにっこりと感じよく微笑んだ。

村上春樹 『海辺のカフカ (下巻)』 (新潮社, 初版, 2002年) 266‐8頁: ルビは省略、傍点は太字で示した

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上の引用はハードカバー版より。 下は文庫版へのリンクです

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コメント

まさに今日、メモリ一段階上がりましたよ。
馬場埼研二さんのチベットのタンカを見に行って。

みーたんさん>

ご無沙汰しております。最近はすっかりツイッターの方にシフトしてしまいまして、失礼をいたしておりました。またときどき記事をあげていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

=====

チベットのタンカで心の目盛りアップ ――
ステキですね
おそらく人間っていう存在の深いところは
そうした目盛りアップが一番の快感であって
物事も一番うまくいかせるコツなのであって
そこでは 芸術も宗教も そんな区別なんかなくって…
そんなことなんだろうなぁ、と想像しております

(なかなか「学説」にはしづらいのですが)

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