村上春樹 『海辺のカフカ』 における世俗概念
ジョニー・ウォーカーかく語りき
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「私は猫たちの魂を集めて笛をつくった。 生きたまま切り裂かれたものたちの魂が集まってこの笛をつくっている。 切り裂かれた猫たちには気の毒だとは思わないでもないが、 私としちゃそうしないわけにはいかなかった。 こいつはね、 善とか悪とか、 情とか憎しみとか、 そういう世俗の規準を超えたところにある笛なんだ。 それをこしらえるのが長いあいだ私の転職だった。 私はその転職をそれなりにうまくこなし、 ひととおりの役目をまっとうした。 誰に恥じることもない人生だ。 妻をめとり、 子どもをつくり、 じゅうぶんな数の笛をこしらえた。 だからもうこれ以上笛はつくらない。 君と私とのあいだだけの、 ここだけの話だけどね、 私はここに集めた笛を使って、 もっと大きな笛をひとつこしらえようと思っているんだ。 もっと大きくて、 もっと強力な笛をね。 それだけでひとつのシステムになってしまような特大級の笛だ。 そして私はその笛をこしらえるための場所に今から行こうとしている。 その笛が果たして結果的に善となるか悪となるか、 そいつを決定するのは私じゃない。 もちろん君でもない。 私がいつどこの場所にいるかによって、 それは違ってくるわけだ。 そういう意味では私は偏見のない人間だ。 歴史や気象と同じで、 偏見というものがないんだよ。 偏見がないからこそ、 私はひとつのシステムになることができる」
村上春樹 『海辺のカフカ (下巻)』 (新潮社, 初版, 2002年) 364‐5頁
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上の引用はハードカバー版より。 下は文庫版へのリンクです
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