スンニ派とシーア派 アッバース朝
スンニ派とシーア派の 微妙な対抗関係――
これについて知ろうと思ったら まずは
アッバース朝の歴史の勉強から始めましょう
ということを
- ジル・ケペル 『テロと殉教: 「文明の衝突」 をこえて』 (丸岡高弘訳, 産業図書, 2010年3月12日)
で学びました
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2006年夏のイスラエル・レバノン戦争で
ヒズブッラーに充分な打撃をあたえられないまま
イスラエルは レバノン領からの撤退を余儀なくされた
これにより、 ヒズブッラーの人気は 否応なく高まった
シーア派のハサン・ナスルッラー [ヒズブッラー議長] が民衆のアイドルとなると、 スンナ派の君主や大統領は自分たちの存在の正当性がおびやかされるとかんじ、 不安をいだくようになった。 すでに二〇〇四年秋、 ヨルダンのアブドゥッラー二世はイランからイラク、 バハレーンを通過してレバノンにまでいたる 「シーア派の三日月地帯」 にたいして警戒をよびかけていた。 そうした地域ではシーア派が多数派をしめているが、 さらにサウディアラビア、 クウェート、 シリアにもシーア派マイノリティーが存在する。 とくにシリアはダマスカスにサイイダ・ザイナブ朝というシーア派の重要な巡礼地をもっている。 またエジプト大統領ムバーラクもドバイのサウディアラビア資本のテレビ局でアラブ諸国中のシーア派住民はその国民的帰属がどうであれまずイランとそのアーヤトッラーに忠誠を誓っていると述べている。
71頁
こういう状況についての ジル・ケペルのコメント――
これはシーア派住民はペルシア人への内通者という昔からの偏見をくりかえすものだった。こうした偏見は一〇世紀も前のアッバース朝時代のペルシア人とアラブ人の対立にまでさかのぼるものである。 アッバース朝の物語は学校の教科書でも重要な位置をしめており、 アラブ民族主義の基本となる神話を形成するのに貢献しているのである。
71-72頁
「学校の教科書」 でも そういうことが物語られている!
これは さすがにはじめて知りました
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