リーフレット 「葬儀を縁として」
まったく偶然なのですが
真宗大谷派についての記事を もうひとつ
前便は こちら ⇒ 「明治30年 大谷派僧侶の 《宗教体験》」
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昨日 叔母が長寿をまっとうされたということで
愛知の岡崎まで 車で日帰り強行軍
お通夜に参列してきました
「通夜勤行」 というのが 正式名称なのだそう
今回はじめて知ったのですが
叔母が嫁いだ おじさんの家が大谷派だったのでした
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式はつつがなく挙行されました
式の最後に、 導師 (式を執り行ってくださるご僧侶) が
- 「亡き人からの問いかけ」
という文章をお読みになられました
とてもよい内容で、 心をうたれました
一体 なんの文章なのだろうか
何か一枚の印刷物をお読みになっていたようだが
と、 思い立ち、 式終了後 控え室まで押しかけて
あれは何だったのでしょうか、 とうかがいました
ご導師は これですよ、 と一枚のリーフレットをくださいました
ただし、 右の画像は 僕が入手したリーフレットの表紙とは違います。 が、 おそらく 同じものなのでしょう
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「亡き人からの問いかけ」――
11段落の短い文章です
内容全文を引用紹介したいところですが
『葬儀を縁として』 が 10円で売られている
葬儀用リーフレットとのこと
著作権 とは申しませんが、 やはり全文引用はひかえます
全11段落中の3段落を 下に引用させていただきます
なお、 リーフレット 『葬儀を縁として』 の奥付には
編 集 リーフレット作成委員会
発行者 真宗大谷派東京教区教化委員会
とあります
こちらのサイトには 著者として 「池田勇諦」 師のお名前があります
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以下引用
身近な人の死は、 私たちの心をゆさぶり、 今の日常が永遠に続くかのように錯覚して暮らしている私たちに 「やがては死んでいく身を、 どう引き受けて生きていくのか」 と問いかけています。
しかし、 現実には私たちは亡き人に対して 「どうか安らかにお眠りください」 あるいは 「心からご冥福をお祈りします」 ということで済ませてしまい、 またもとの日常生活の中で、 地位や世間体などに振りまわされ、 かけげえのない いのち をすりへらしているのではないでしょうか。
「ひとりの人間の死」 という重い事実を自分の問題として受け止めず、 ただ 「冥福を祈る」 ということだけで過ごすとすれば、 それは亡き人からの大切な問いを無にすることであり 「自分のあり方を見つめなおす眼 [まなこ]」 を自ら塞いでしまうことなのです。
引用おわり: なお、「まなこ」 以外のルビは省略し、 傍点は太字で示しました
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