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2010年6月28日 (月)

リーフレット 「葬儀を縁として」

まったく偶然なのですが

真宗大谷派についての記事を もうひとつ

前便は こちら ⇒ 「明治30年 大谷派僧侶の 《宗教体験》」

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昨日 叔母が長寿をまっとうされたということで

愛知の岡崎まで 車で日帰り強行軍

お通夜に参列してきました

「通夜勤行」 というのが 正式名称なのだそう

今回はじめて知ったのですが

叔母が嫁いだ おじさんの家が大谷派だったのでした

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式はつつがなく挙行されました

式の最後に、 導師 (式を執り行ってくださるご僧侶) が

  • 「亡き人からの問いかけ」

という文章をお読みになられました

とてもよい内容で、 心をうたれました

一体 なんの文章なのだろうか

何か一枚の印刷物をお読みになっていたようだが

と、 思い立ち、 式終了後 控え室まで押しかけて

あれは何だったのでしょうか、 とうかがいました

ご導師は これですよ、 と一枚のリーフレットをくださいました

『葬儀を縁として』 と題されたものですReaf_sougi

ただし、 右の画像は 僕が入手したリーフレットの表紙とは違います。 が、 おそらく 同じものなのでしょう

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「亡き人からの問いかけ」――

11段落の短い文章です

内容全文を引用紹介したいところですが

ネット検索をかけてみましたら

『葬儀を縁として』 が 10円で売られている

葬儀用リーフレットとのこと

著作権 とは申しませんが、 やはり全文引用はひかえます

全11段落中の3段落を 下に引用させていただきます

なお、 リーフレット 『葬儀を縁として』 の奥付には

編 集  リーフレット作成委員会

発行者  真宗大谷派東京教区教化委員会

とあります

こちらのサイトには 著者として 「池田勇諦」 師のお名前があります

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以下引用

 身近な人の死は、 私たちの心をゆさぶり、 今の日常が永遠に続くかのように錯覚して暮らしている私たちに 「やがては死んでいく身を、 どう引き受けて生きていくのか」 と問いかけています。

 しかし、 現実には私たちは亡き人に対して 「どうか安らかにお眠りください」 あるいは 「心からご冥福をお祈りします」 ということで済ませてしまい、 またもとの日常生活の中で、 地位や世間体などに振りまわされ、 かけげえのない いのち をすりへらしているのではないでしょうか。

 「ひとりの人間の死」 という重い事実を自分の問題として受け止めず、 ただ 「冥福を祈る」 ということだけで過ごすとすれば、 それは亡き人からの大切な問いを無にすることであり 「自分のあり方を見つめなおす眼 [まなこ]」 を自ら塞いでしまうことなのです。

引用おわり: なお、「まなこ」 以外のルビは省略し、 傍点は太字で示しました

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