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2010年8月 4日 (水)

ホラー・劇・非人間、あるいは僕がオバカ映画ばかりを観る理由

僕はなぜ BC級映画ばかりを観るのか…

アホでグロで ナンセンスでオカシイ映画ばかりを観るのか…

しかも 年に 350本以上も!

これは 僕にとって大きな謎だった

自分でもよくわからない情念がそこにあるのはわかっていたが

それがどんなものなのか、 さっぱりわからなかった

だから 「死・破壊・笑い」 なんてエントリを 書いたりした

今、 この本を読んで その謎がとけはじめている

  • 高橋洋 『映画の魔』 (青土社, 2004年10月)

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 喜劇は世界を根本からバカにすることによって、 悲劇は運命の冷酷さを触知することによって、 そしてメロドラマは人間の度し難い情念にトコトンつき合うことによって、 ある突出を、 逸脱を体験する。 私の感覚では、 ホラーとはこの窮まった果てに、 新たに創造され、 呼び寄せられたジャンルなのだ。 つまり、 ホラーとはかつて悲劇や喜劇がメロドラマを産み出したように、 現代に向かって吐き出された、 ジャンルが産み出したジャンル、 必要に迫れられたジャンルなのではないか。 その現在進行形の現場に我々は立ち会っているのではないか。

 ホラーの根本に横たわっているのは人間の否定である。

 人間はそこではただの物質とみなされる。

 その意味で、 ホラーとは現代における、 俗悪で野蛮な悲劇であり、 喜劇なのだ。

 おそらくホラーは “劇” を “非人間” の領域から出発させた古代の人々の感覚に近い。

 『悪魔のいけにえ』 にあっては、 人間はもはや悲鳴を上げる機械に過ぎない。 襲いかかるレザーフェイスもまた、 頭のいかれた人間であるにもかかわらず、 人間ならざる領域に逸脱してゆく。 人間臭い行動をとればとるほど、 人間には見えなくなるという天才的な (おそらくはトビー・フーバーの才能を超えた) 事態が進行している。

143頁

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