仏像が彫刻になるのは昇格なのか降格なのか、あるいは芸術と宗教
ツイッターで 美術家の 大村益三さん が
大変興味ぶかい囀りをなさっていた
この前期、 「芸術と宗教」 という授業をやっておりました
この囀りが あと1ヶ月早ければ
迷うことなく重要資料として 学生さんに配布したでしょう
敬して 引用させていただきます
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氏のツイッタIDは @omuraji です
■ 共に 「人形 (ひとがた)」 であるものの、 時に 「人形 (にんぎょう)」 の髪の毛が伸びる事はあっても、 「人体彫刻」 の髪の毛が伸びる事はない。 「人形 (にんぎょう)」 には 「念」 が宿りもするが、 「彫刻」 に宿る事は無い。
■ 仮に、 駅前や広場など、 街中に林立している 「人形 (ひとがた)」 としての 「彫刻」 の一つ一つに 「念」 が宿っているとしたら、とてもではないが、 「怖く」てその近くを通る事など出来ないだろう。
■ しかし 「彫刻」 からは、 制作時からして予め 「念」 が追放されている為に、 その前を無防備に通っても「安心」である。 「人体彫刻」 は 「人形 (ひとがた)」 の様に見えて、 全くそうではない。 「人体彫刻」 からは 「人形(にんぎょう)」 の様な 「怖さ」 が丁寧に払拭されている。
■ この時期、 「プリミティブ」 な 「形」 の茄子や胡瓜の動物に 「霊」 は乗せられても、 「彫刻」 の動物に 「霊」 が乗る事はまず無い。 「盆送り」 に 「彫刻」 の馬が使われる事は無いし、 「彫刻」 の馬には 「霊」 は乗りたがらないだろうとも。
■ 「呪いの絵」 という存在が無いではないが、 しかしそれは 「美術」 的には、 どこかで 「美術」 から 「降格」 したものとして扱われる。 「念」 が宿る事で 「昇格」 するケースは 「美術」 的にはまず無い。
■ 「仏像」 が美術館で展示される場合、 「魂抜き」 や「 御霊抜き」で、 「魂」 を抜いて、 「彫刻」 にする儀式が欠かせない。 仏具店に並ぶ 「仏像」 も然り。 「仏像」 が 「彫刻」 になるのが 「昇格」 なのか 「降格」 なのか、 美術館で見る 「阿修羅像」 が、 「美術」 に 「昇格」 したのか 「降格」 したのかは判らない。
■ 某国の国立美術館で見た風景。 展示されている 「仏像」 に深々と一礼をし、 手を合わせて拝み、 それから再び深々と一礼して去る女子高生。 それはその場では全く 「例外」 的ではなかったが、 しかしそれは、 「美術鑑賞」 からすれば、 「昇格」 だろうか 「降格」 だろうか。
■ 「礼拝」 と 「鑑賞」。 それらは、 峻別されるべきものだろうか。
2010年8月12日深夜の囀り
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コメント
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「昇格」「降格」、面白い見方ですねえ。
仏像は魂を抜いて展示するって、仏教に詳しくない人は知らないと思います。
仏像ブームで、ただ、仏像を見るのが好きという人が増えてるようです。
去年から今年の4月まで各地で開催された「聖地チベット天空のポタラ宮と至宝展」の時も、チベットサポーターの動きをそう言って迷惑がる人たちもおられました。
投稿: みーたんTIBET | 2010年8月13日 (金) 07時07分