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2011年2月10日 (木)

宗教法人令(1945)の起草・発出の過程

日本の宗教法人法(1951) の成立過程を調べないとなぁ…

と思っていたところ、 次の論文に突き当りました

占領最初期の1945年末

宗教法人法に先立ち発出された 「宗教法人令」

その起草過程についての略述です

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以下引用: 〔 〕 はママ, [ ] は引用者補足

総司令部は 「宗教に対する統制や干渉を完全に排除するために、 〔宗教〕 団体法廃止後は、 宗教に関する法律は、 つくらせない方針をうち出していた」 ( [岸本英夫 『戦後の宗教と社会』] 32頁)。 これに対して日本側は、 それまでに宗教法人が存在していたこともあり、 また宗教法人の免税特典を維持したいという考えもあり、 1940年施行の宗教団体法に代わる新法制定を求めていた (同頁)。 この制定に関して、 文部省宗務課総司令部との間で行き違いが生じた。 総司令部の検討を経ないまま、 新勅令を閣議決定した上、 天皇の裁可を受けてしまったのだが、 そののちに総司令部がそれを承認できないことが判明した。 岸本はこの渦中にあった宗務課長の相談を受け、 10月22日以降、 総司令部と善後策を講じた。 結局はのちの宗教法人令になる法案が改めて提出され、 すでに勅裁を受けていた勅令は前田文部大臣が処理した (32-37頁)。 (16)

 ところで、 ダイク [民間情報教育局局長ケン・R・ダイク代将] がこの法案に対して日本の宗教家たちの意見を求めることを望んだことから、 11月5日にダイク、 バンス [ウィリアム・K・バンス(1907-2008) 民間情報教育局で神道および宗教政策を担当した] らと宗教家たちとの間の懇親の場が設けられ、 岸本も司会兼通訳として参加した (37-38頁)。 しかしながらこの場では、 「法令の内容に関しては、 意見らしい意見はひとつも出なかった」 という。 これに対して、 岸本は次のように記している。

せっかく、 ダイク代将が意見をのべる機会を与えていたのである。 もっと宗教家らしく、 率直に意見をのべればよいのにと、 同席していた私は、 歯がゆく感じたのであった。 そのような歯がゆさは、 占領行政中いろいろな場面で、 何度もくり返されたのであった。 (38-39頁)

ともあれ、 宗教法人令はこの年、 12月28日に公布されることとなった。

23頁

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(16) ウッダード 『天皇と神道』 [ウィリアム・P.ウッダード 『天皇と神道 ―GHQの宗教政策―』 阿部美哉訳,サイマル出版会,1972年] 91-98頁も参照。

31頁

引用おわり

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