礼拝所としての映画館 ―現代南インドの場合―
セッションA 「彼岸工学ことはじめ」 の記録が
- 『九州人類学会報』 第32号 (2005年) 現在品切れ中
に載っているのを
西村明さんから教えていただいた >感謝!
その第一論文――
- 桑原知子 「<彼岸工学>ことはじめ ―「この世ならぬもの」を演じる・からくる・生きる―」 (『九州人類学会報』第32号,2005年,11-21頁)
前半は 《彼岸工学》 という方法論についての理論的解説
後半は 南インドのチェンナイ(マドラス)のある映画館の様子の紹介
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2004年4月、 その映画館の開場前の様子――
入口前には開場を待つ人々が座って時間をつぶすのに好都合な数段の階段があり、 各回の上映開始時間の1時間前あたりから三々五々人がやってきては座り込み、これから観ようとする映画に主演しているタミル映画の往年のスター M. G. ラマチャンドラン (1917?-1987 以下、MGR) の葬送パレードがいかにすごかったか、 などについて話している。
17頁
そこに、 ある親子連れがやってくる――
そんななか、 母・娘・孫2人の親子三代と思われる4人連れが映画館の門を入ってくるが、 入口ではなく、 板に張られた印刷ポスターを目指して歩いて行ったかと思うと、 家に額縁に入れて飾ってある印刷の神像 (ブロマイド) にたいしてするように、 用意してきたジャスミンの花輪を袋から取り出しポスター上のMGRの姿の周りに飾り始めた。 それぞれ別にやってきたが互いに顔なじみである常連の中高年女性たちをはじめ、 開場待ちの他の客はその様子を遠目にじっと目で追っている。
同
開場。 エアコンなどあるはずもない、 灼熱地獄の館内――
さきほどポスターに花輪を飾っていた親子三代4人連れは最前列に席を取った。 そしてまたも用意してきた道具を袋から取り出して、 ヒンドゥの紙にたいする礼拝 (プージャー) の際に行なうのと同じように、 火を焚き始めた。 彼女たちは、 上映開始後もこの火を絶やすことなく燃やし続け、 MGRのイメージがスクリーン上に現れるたびに、 神を仰ぎ見、 火を捧げ、 祈りを捧げるプージャーの動作を繰り返し行なう。 特に、 1970年代のカラー映画によくみられる、 極彩色できらびやかな衣装を身にまとったヒーロー (この場合、 MGR) とヒロインが、 やはり極彩色で 「この世ならぬ」 世界を作り出したセットのなかで歌い踊るシーンでは、 MGRのボカシのきいたアップが現れるたびに、 彼女たちのプージャーの動作は激しくなり、 (やはりこれも用意してきたものである) 花吹雪がまき散らされた。
同
周りの客の反応――
他の客たちは、 この一見映画館という場にはふさわしくないと私たちからは思える行為にたいし、 積極的に参加もしなければ制止もしない。 彼女たちが映画館前でポスターに花を飾っていたときと同様に、 その存在を黙認しているだけである。 むしろ他の人々自身、 それぞれの 「映画を観る」 実践をするのに忙しい。 MGRが登場すると拍手と口笛で迎え、 アクション・シーンでは声援を送る (多くは男性の) 観客たち。 持参のスナックを食べながら、 登場する往年の俳優たちについての話でもりあがる (多くは中高年女性の) 観客たち。 このように、 さまざまな人々がひとつの対象 (時間的持続をもったスクリーン上のイメージ) を共有しながら、 それによって喚起されるさまざまな実践を繰り広げる時空間として映画館は存在しているのである。
同
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僕にはおなじみの光景である
そして、 僕にはいつも インドの市井の人びとの
こうした映画との向き合い方、 付き合い方を
「正しい」 と直観されて仕方ないのであります
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