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2011年3月の記事

2011年3月31日 (木)

検閲の誕生 ―大正期の警察と活動写真―

1917年、 警視庁は映画上映を取り締まる規則を制定した

それにより当局が取り締まろうとしたものは

インドの映画館で今もみられるような 「パフォーマンス性」 と 「猥雑性」 だった、 と

  • 長谷正人 『映画というテクノロジー経験』 (青弓社, 2010年11月)

を読んで知った

以下は、 同上規則の内容についての概説部分

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以下引用

 映画に対する権力介入として私たちが真っ先に思いつくのは 「検閲」 だろう。 明治時代の怪盗映画 『ジゴマ』 (1911年) から大島渚 『愛のコリーダ』 (1976年) に至るまで、 権力は社会秩序を脅かすと判断した無数の映画を上映禁止にしたり、 その問題個所を削除したりしてきた。 つまり権力とは、 映画が表現した政治的・風俗的・性的 「内容」 をチェックしてこれに介入するものだというのが私たちの常識である。 当然そこには、 映画作家の側の 「表現の自由」 や 「思想信条の自由」 の問題が絡んでくることになるだろう。

 しかし、1917年 (大正6年) 7月に警視庁 (東京府) が映画上映を統制する目的で制定した活動写真興業取締規則は、 私たちのこのような 「常識」 からかなり逸脱した奇妙な内容を持っている。 それは例えば、 子ども用映画と大人用映画の区別の命令、 客席を男女別にすることの規定、 説明者 (弁士) に対する免許制の導入など、 要するに映画の 「内容」 ではなく上映の 「形式」 に関する規則がほとんどを占めているのだ。 むろん、 当規制のなかにも 「検閲」 に関する条項も含まれていないわけではない。 第19条に、 検閲した結果 「公安風俗ノ取締上必要アリト認ムルトキハ」 上映を認めないとはっきり書いてあるのだから。 しかし映画関係者を始めとして当時の人々は、 この条項に特別な関心を払っていたようには見えない。 少なくとも当時の新聞記事を読む限りではそうである。 例えば、 7月11日付の 「都新聞」 ではこの規則の内容を 「活動写真館内の衛生、 観覧席、 映画、 表看板、 映画説明の仕方等に関する一切の取締条約を示し」 たものだとだけ紹介している。 どうやら当時の 「常識」 からすれば、 映画 「検閲」 の問題よりもこうした上映方法に関する規制の問題の方が重要だったらしいのだ。

引用おわり: 168-69頁: 漢数字をローマ数字にあらためた

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2011年3月21日 (月)

自然災害と罪、あるいは悪い出来事と宗教的助言 ―ヨブ記に寄せて―

  • テッド・チャン 『あなたの人生の物語』 (浅倉久志他訳, ハヤカワ文庫SF, 早川書房, 2003年9月) より

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以下引用

 自然災害について考えることは、 なんの罪もないのに被害に遭う人々の問題について考えることである。 被害に遭った人たちに宗教的観点から無数の助言がなされてきたが、 ただのひとつの回答も、 万人を満足させることができないのは明白に思える ―― ひとりの人間を慰めることは、 いやおうなく、 だれかほかの人間を不埒なものとして糺弾するのだ。 ヨブ記を例にとるとよい。

 ぼくにしてみれば、 ヨブ記で不満な点のひとつが、 最後に神がヨブに報いることだ。 新しく生まれた子供たちが、 もとの子供たちを失ったことを埋め合わせることができるのかという問題は、 脇へ置いておこう。 なぜ神はヨブの財産を取り戻させるのか? ハピーエンディングはなんのためだ? このヨブ記の基本的なメッセージは、 美徳は必ずしも報われるわけではないというものだ ―― 悪い出来事は善人の身にもふりかかる。 ヨブは美徳をおこなうことで、 結局そのことを受け入れ、 結果的に報われた。 それってメッセージの強さを弱めやしないか?

 ぼくにはヨブ記は信念を貫く勇気にかけているように思える。 もしこの話の作者が美徳は必ずしも報われるものではないという考えを本気で主張しようとするなら、 話の結末でヨブはすべてを奪われた状態のままでいるべきではないだろうか?

502-3頁: 所収短編「地獄は神の不在なり」に対する「作品覚え書き」より: ルビ省略

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2011年3月16日 (水)

見えないもののテーマパーク化、あるいはローレンス・アルマ=タデマの油彩画とスティーヴン・スピルバーグの映画

  • 加藤幹郎 『「ブレードランナー」 論序説』 (筑摩書房, 2004年9月) より

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以下引用

 さらに言えば、 映画が誕生するまでの絵画には、 今日なら映画やテレヴィに、 そしてまた近い将来にはインターネットに一任されるであろう仕事、 すなわち同時代の共同体に明確で親密な統一的ヴィジョンをあたえるという役割がゆだねられていた。 油彩画は、 目のまえに被写体が実在しなければヴィジョンを構成できなかった写真とはちがい、 断片的な情報からいくらでも全体像を再構成することができた。 画家ローレンス・アルマ=タデマが、 古代ギリシア・ローマ時代の遺跡発掘ブームに沸く19世紀後半の欧州で一世を風靡するのは、 以上のような文脈においてである。 つぎつぎと報告される驚愕すべき過去の叡智の断片に、 明確で親密な統一的ヴィジョンをあたえることで、 彼は時代の寵児となる (2-3-3)。 のちに爵位をもらう当代きっての人気画家アルマ=タデマは、 世界制覇の胎動にふるえる大英帝国にパックス・ロマーナ像を重ね合わせることに成功したのである。

 同時代の大衆的想像力に明快なヴィジョンをあたえることでパックス・ブリタニカの威信を寿ぐのがアルマ=タデマの油彩画であるならば、 同じように大恐竜の化石発掘に沸く北米原野に 「実際に」 恐竜を走らせることで半未来の叡智 (遺伝子工学と電子テクノロジーの清華) を視覚的に 「実証」 し (『ジュラシック・パーク』 1993)、 来るはずもないUFOの到来を信じること以外、 何の指針もない月面同様の荒野に巨大円盤を飛来させることで西部の信念の勝利を寿ぎ (『未知との遭遇』 1977)、 こどもにも見せられるホロコースト映画を撮ることで20世紀の汚辱の歴史を大衆に共有させること (『シンドラーのリスト』 1993)、 それがパックス・アメリカーナ下のスティーヴン・スピルバーグ映画の役割となる。 スピルバーグの映画もアルマ=タデマの油彩画も、 本来見えもしなければ形にもならないことを、 それがまさに親密なスペクタクル (壮観な見世物) として提示されるがゆえに、 観客に見て知ったと信じさせる安心なイメージの訴求力をもっている。 おおかたの人間にとって触知不可能な未知のことどもが安全かつ容易に接近可能な見世物の領域 (テーマパーク) へと囲い込まれ、 ステレイタイプのヴィジョンとなりおおせるのである。

引用おわり: 54-55頁: 一部漢数字をローマ数字にあらためた: 「2-3-3」は見出し番号: ルビ省略

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2011年3月12日 (土)

3・13のワークショップ 中止いたします

明日 3月13日(日) のワークショップ 中止いたします

会場の使用自粛要請がきました

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来週 3月20日(日) に順延できたらいいなぁ、 と思ってます

目下、 調整中

2011年3月 7日 (月)

黒人映画作家を模倣、剽窃したのは…

前便 までの引用だと 著者の真意を伝えていないだろうから…

  • 加藤幹郎 『映画とは何か』 (みすず書房, 2001年) より

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以下引用

 従来のアメリカ映画史は、 1970年代の 「ブラック・フィルム」 の活況を記述するさいに典型的に見られるように、 つねに白人から黒人への一方向的影響、 白を黒に置き換えただけの戯画的映画史観に立っていた。 しかし黒人劇場専用映画の歴史的展開を見れば、 事実はむしろ逆だったことがわかる。 観客が黒人層に限定されていたとはいえ、 白人の監督とプロデューサーたちはむしろ黒人映画作家の模倣と剽窃のうえにみずからの文体と資本を築いたのである。 しかもそれはいまだにアメリカ映画史に書きこまれていない隠蔽された剽窃である。 アメリカ映画史は、 黒人に対する白人のこの負債を公式非公式を問わずいまだ認めたことがない。 つまり世界映画史正典は、 アフリカ系アメリカ人が白人文化を凌駕する大胆にして繊細な映画的文体を確立したという事実を認知できないまま今日にいたっているのである。

引用おわり: 254頁: 漢数字はアラビア数字にあらためた

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この章での加藤先生の主張は 上のようなものであります

メロドラマ的イデオロギーと並行編集

  • 加藤幹郎 『映画とは何か』 (みすず書房, 2001年) より

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以下引用

[…] グリフィスが1908年以来磨きをかけてきた並行編集は、*** 12年後の一大メロドラマ 『東への道』 において頂点をきわめ、 勧善懲悪という唯一絶対のプロットとイデオロギーに奉仕する。 いいかえれば並行編集は、 遅くとも1908年にその語法が確立されて以来、 長いあいだただサスペンスと救出の表象のためにだけ利用され、 それ以外のポテンシャルの実験は事実上抛擲されてきた。 それはフランス市民革命以来のメロドラマ的イデオロギー **** を忠実に再現しつつ、 それに奉仕し、 その限界を越えゆくものではなかった。 そこにおいては善人はかならず悪漢/危難から 「あわやというところで救出」 され、 「救ける者」 (正義の味方) と 「救けられる者」 (迫害される弱者) との平行運動は最終的に融解し、 後者は前者と奇跡的な遭遇をはたす。

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*** ふたたびバリー・ソールトによれば、 グリフィスが1908年から9年にかけて演出した映画のおよそ4本に1本の割合で並行編集が用いられている。 Barry Salt, Film Style & Technology: History & Analysis, 2nd Expanded Edition (London: Starword, 1992), p. 100.

**** メロドラマ的イデオロギーの詳細については、 トマス・エルセサー、 石田美紀他訳 「響きと怒りの物語 ファミリー・メロドラマへの所見」 (岩本憲児他編 『新映画理論集成 第1巻』 (フィルムアート社、 1998年)、 14-41頁を参照されたい。

引用おわり: 237-8頁: 漢数字はアラビア数字にあらためた

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D・W・グリフィスの並行編集

  • 加藤幹郎 『映画とは何か』 (みすず書房, 2001年) より

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以下引用

 ミショー [オスカー・ミショー 1884-1951] が利用したグリフィスの手法とは並行編集 (クロスカッティング) である。 並行編集とは、 異なる複数の出来事の 「同時性」 ないしは 「継起性」 をきわだたせるために複数の空間をくりかえし往復する編集法のことである。 この画期的手法はグリフィスの創案にかかるものではないものの、 それを物語映画にふさわしい劇的な映像言語へと高めたのは明らかにグリフィスの功績である (彼はサスペンスを産みだすために、 往復するショットの数を増やし、 切り替えるタイミングを速めた)。 グリフィスがしばしば古典的ハリウッド映画の創始者とみなされるゆえんである。 じっさい彼はミショーの 『我らが門の内にて』 公開の年 (1920年)にも、 『東への道』 Way Down to East において清純可憐なリリアン・ギッシュを凍てつく流氷のうえに横たわらせ、 逆巻く滝壺に呑みこまれる寸前に救出させるという昔ながらの並行編集の極致を披露している。** […]

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 バリー・ソールトの調査によれば、 「最初の」 本格的並行編集は1906年の 『無謀なる企て』 The Hundred-to-One Shot (ヴァイタグラフ社) における疾走する車とその目的地とのあいだを往復するものである。 いっぽうグリフィス初の並行編集は、 その2年後 (グリフィスが監督デビューした年) の 『運命のとき』 The Fatal Hour (1908) に見られる。 Barry Salt, "Film From 1900-1906," in Thomas Elsaesser ed., Early Cinema: Space-Frame-Narrative (London: British Film Institute, 1992), p. 39.

** 流氷のうえを滝壺へと流されてゆく娘のショット群Aと、 その現場へ救出に駆けつける男のショット群Bとの交互編集。 『東への道』 の並行編集の詳細については、 加藤幹郎 『鏡の迷路 映画分類学序説』 (みすず書房、 1993年)、 119-128頁を参照されたい。

引用おわり: 236-7頁: 漢数字はアラビア数字にあらためた

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2011年3月 3日 (木)

3/13 「藝術の宗教学」研究会 映画部門(関東)第3回ワークショップ

「藝術の宗教学」研究会
映画部門(東京) 第3回ワークショップ

―― 究極の選択 メロドラマとSFにおける構造的不条理 ――

  • 日時: 3月13日(日)15時~19時
    •  15:00~15:10 はじめに
    •  15:10~16:40 DVD上映 『危険な遊び』 (ジョセフ・ルーベン,1993年)
    •  16:40~16:50 休憩
    •  16:50~18:55 DVD上映 『ミスト』 (フランク・ダラボン,2007年)
    •  18:55~19:00 おわりに
    •  19:00~ 懇親会 (場所をうつして)
  • 場所: 日本女子大学・目白キャンパス
    •  参加ご希望の方 私までご連絡を 教室名をお伝えします
    •  右リンクより「プロフィール」頁へどうぞ メールアドレスがございます

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DVD上映は予定どおりにおこないますが

コメント、意見交換のため 終了時刻はやや遅くなるかもしれません

(途中退席 無問題!)

無償非営利・研究教育目的

皆さん どうぞお集まりくださいませ

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