メロドラマ的イデオロギーと並行編集
- 加藤幹郎 『映画とは何か』 (みすず書房, 2001年) より
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以下引用
[…] グリフィスが1908年以来磨きをかけてきた並行編集は、*** 12年後の一大メロドラマ 『東への道』 において頂点をきわめ、 勧善懲悪という唯一絶対のプロットとイデオロギーに奉仕する。 いいかえれば並行編集は、 遅くとも1908年にその語法が確立されて以来、 長いあいだただサスペンスと救出の表象のためにだけ利用され、 それ以外のポテンシャルの実験は事実上抛擲されてきた。 それはフランス市民革命以来のメロドラマ的イデオロギー **** を忠実に再現しつつ、 それに奉仕し、 その限界を越えゆくものではなかった。 そこにおいては善人はかならず悪漢/危難から 「あわやというところで救出」 され、 「救ける者」 (正義の味方) と 「救けられる者」 (迫害される弱者) との平行運動は最終的に融解し、 後者は前者と奇跡的な遭遇をはたす。
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*** ふたたびバリー・ソールトによれば、 グリフィスが1908年から9年にかけて演出した映画のおよそ4本に1本の割合で並行編集が用いられている。 Barry Salt, Film Style & Technology: History & Analysis, 2nd Expanded Edition (London: Starword, 1992), p. 100.
**** メロドラマ的イデオロギーの詳細については、 トマス・エルセサー、 石田美紀他訳 「響きと怒りの物語 ファミリー・メロドラマへの所見」 (岩本憲児他編 『新映画理論集成 第1巻』 (フィルムアート社、 1998年)、 14-41頁を参照されたい。
引用おわり: 237-8頁: 漢数字はアラビア数字にあらためた
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