近代日本における「宗教」なる語の開発と定着 ―星野靖二さんの議論―
星野靖二さんがツイッタの上で ちょいとまとめた議論を展開
2011年8月4日~5日
大変勉強になったので ここにまとめさせていただきます
勝手にすいません > 星野さん
=====================
Wikipedia宗教 「また、 多くの日本人によって 「宗教」 という語が 現在のように "宗教一般" の意味でもちいられるようになったのは、 1884年 (明治17年) に出版された辞書 『改定増補哲学字彙』 (井上哲次郎) に掲載されてからだともされている。」 ソース無し。 どこから出てきのだろう。
磯前, 2003: 36 「レリジョンが宗教という訳語に固定される時期は、 明治一〇年代に入ってからと思われる。 *1 明治一四 (一八八一) 年に刊行された訳語集 『哲学字彙』 に宗教の言葉が載せられる頃には、 かなり一般化していたと言ってよかろう。 *2」 注の文献は続信
承前) *1: 鈴木範久 『明治宗教思潮の研究』 東京大学出版会、 1979。 *2: 飛田良文編 『哲学字彙 訳語総索引』 笠間書院、 1979。 なお、 この後磯前先生は 「禁教の高札撤回 → キリスト教黙許 → 国内においてレリジョンをめぐる議論 → 訳語が決定していく」 といったように書いている。
承前) また 「レリジョンをめぐる問題は、 依然として政府官僚や啓蒙思想家など西洋文化に接する機会をもった、 ごく一部のエリート層にとどまるものであった」 と指摘し、 「戦前の農村やなんか」 では宗教という言葉はあまり身近ではなかったという大隅和雄の言葉を引いている (ibid.:37-8)。
==========
(1) ということで、 仕切り直し。 磯前 [2003] では、 宗教という訳語の定着明治十年代 → 鈴木 [1979]、 明治十年代中葉かなり一般化 → 飛田編 [1979] ということになっている。 残念ながら飛田編 [1979] はこちらに持ってきておらず図書館にもないので確認できず。
(2) よって鈴木 [1979]。 まず今日的な 「宗教」 の使用は早ければ1867年、 かたいところで1868年としている [p.17] (※ うろ覚えだが鈴木先生は更に早い用例を見つけたと書いていたはず。 『信教自由の事件史』 だったと思うが、 これも持ってきていないので確認できない)。
(3) それがどのように使われたのかについては以下のように述べられる: 「 「宗教」 の語が姿を現したからといって、 もちろん、 それがただちに一般にも広く使われたことにはならない。 明治初年のものである 『神仏分離史料』 や、 明六社社員の書いたものなどにも時折使われる程度である。」 … 続く
(4) … 続けて 「それが広く抵抗感なく使われだすのは、 やはり明治一〇年代に入ってからとみたい」 [p.17] とされている。 “書かれたもの” に限定するならば私自身の読んでいる範囲からもそのような印象を受けているので論旨に反対するわけではないが、 しかし強い根拠があるわけではないようだ。
(5) これについては、 どのように “論証” できるのかという別の問題もある。 ただ、 言うまでもないことだが明治十年代には 「宗教」 以外の言葉もまだ見られており、 いきなり (それこそ 『哲学字彙』 が出たからといって) 「宗教」 という語が定着したというわけもないだろう。
(6) 更に言えば、 「宗教」 の内実についての合意が即形成されたわけでもない。 確かに宗教学 (とりわけ東大の) が 「学」 という権威において authentic な 「宗教」 の形成に寄与したという指摘 (前掲鈴木や磯前など) は重要なものであるが、 それ “だけ” ではないだろう。
(7) (この点については林淳の磯前本への書評も参照
CiNii 論文 - 磯前順一著, 『近代日本の宗教言説とその系譜-宗教・国家・神道-』, 岩波書店, 二〇〇三年二月二五日刊, A5判, 三三三頁, 六五〇〇円+税
)
例えば、 東大の宗教学講座は明治32年に開設されているが、 明治十年代からそれまではどのように/誰によって/誰に対して 「宗教」 が語られていたのか?
(8) ということで、 訳語 「宗教」 の確定が明治十年代頃であることについては (論証は別の問題として) 感覚的には首肯できる。 しかし、 磯前が大隅を引いて補足していたように、 それが即 “今日的な 「宗教」 の語意” において “用いられた” ということにはつながらないと考えている。
(補) 「我國ノ言語未ダ學問上ノ名字稱呼ヲ明カニ定メザレバ先ズ此ニ上ニ用ヒタル宗教理學ノ旨意ヲ解説セザル可ラズ」 (高橋吾良 「宗教と理學の関渉及びその要緊を論ず」 『六合雑誌』 1883 (明治16) 年)。
(追加) Wikipedia宗教の記述では (「多くの日本人」 はともかくとして) 『改定増補哲学字彙』 (1887) を強調しているが、 これは鈴木 [1979] ・ 磯前 [2003] には見られない。 飛田編 [1979] か? 自分なら時期はともかく 『~字彙』 の影響力についてはこうは書かないなぁ。
実際のところ 『哲学字彙』 はどれほど参照されたのだろうか。 特に官学以外の系統で。 いや、 自分でも当時の英和辞典とか 『哲学字彙』 などをマクラに話をすることがあるのだけれど、 その際に限定性 (もちろん限定的なものでしかないことは言うのだけれど) をもう少しきちんと提示したいと思っているので。
====================
« ラディカルなモンタージュ、 あるいは映画そのものが宿らせている本質的な宗教性 | トップページ | 朝日新連載「過去からの予言」 »
「01A 宗教学」カテゴリの記事
- 20世紀における「反近代」の変容(2016.02.24)
- 島薗進 『ポストモダンの新宗教』 (2001)(2016.02.17)
- [ワークショップ] オタクにとって聖なるものとは何か(2016.02.27)
- ヒンドゥーの霊的原初主義(2015.12.17)
- 映画上映会 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(2015.11.11)
この記事へのコメントは終了しました。
« ラディカルなモンタージュ、 あるいは映画そのものが宿らせている本質的な宗教性 | トップページ | 朝日新連載「過去からの予言」 »
コメント