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2011年9月23日 (金)

生命と存在の奥底における残酷の真実、あるいは《歴史構成力》について ※ 『森のバロック』 読書メモ④

■ 勉強会 「中沢新一は何を云っているのか? ― 『森のバロック』(文庫版) を通じて―」

  • 2011年9月24日(土) 16時~
  • @日本女子大学目白キャンパス
  • UST中継もやります (詳細後日)

今週末にせまったので いくつかのメモを残しております

==========

ホテルから一歩外へ出たとたん、 そこに見た馬車につながれた馬の姿に心を打たれ、 馬の首をいだいて、 涙を流すニーチェ。 ニーチェはこの瞬間から、 狂気の淵に沈んでいくのだが、 この狂気すれすれの優しさをもった人間だけが、 存在の奥底にくりひろげられている残酷を見ることができる。 熊楠には、 その光景がありありと見えていた。 だが、 世の中には、 別種の残酷が存在する。 知的冷酷を生むその残酷は、 熊楠やニーチェやアルトーが見ている、 生命と存在の奥底における残酷の真実などは見えない、 聞こえない、 と語って、 さっさと先に行ってしまうのだ。

240頁

僕にとっての 《ホラー》 は ここにつながっていると思う

なぜ あんなに血みどろで あんなに不穏で あんなに不快な音に満ちた映画を

なぜ こんなに何本も何本も 観つづけるのか――

これはおそらく とっても個人的な 《世界観》 にかかわる問題だ

世界で僕だけただ独り、 という意味ではない

この世界観から 《連帯》 や 《社会》 や 《権力》 を生じさせることは

していない、 しようともしていない、 という意味だ

これはつまり 《歴史構成力》 ということであろうけれども

はてさて この 「残酷の真実」 の認識からの 《歴史構成》 ということが

ここで中沢先生が示そうとしているヴィジョンなのだろうか…?

そうであるとして、 どのように、 どうやって…?

「今」こそ それは問われるべき問いだと、僕には思われて仕方ない

端的に、 個人の内面の哲学から、家族と仲間の哲学へ

さらには、共同体と社会の哲学、国家と資本制の哲学へ

そして、人類と地球と宇宙の哲学へ

この物理的・歴史的な延長をショートカットさせないこと

それこそが 「今」 大事だと思えて仕方ない

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