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2012年3月の記事

2012年3月24日 (土)

荒木飛呂彦が語る映画 『ゾンビ』 の魅力

映画 『ゾンビ』 (原題 Dawn of the Dead ジョージ・A・ロメロ監督, 1978年, 伊・米)

大変久しぶりに観たら とてもよかった

観たのは ディレクターズ・カット版 おそらく初見

そこで、 先日読んだ 荒木飛呂彦先生のホラー映画本を思い出した

荒木さんは 本書の冒頭で 『ゾンビ』 を絶賛しているのである

「自分にとってのホラー映画の最高傑作」 とまで仰っている (28頁)

ちょっと長めに、 その部分を抜粋させていただきます

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以下引用

 主人公たちがゾンビに取り囲まれて、 でもショッピングセンターの中だから、 食料品もあれば服でも武器でもなんでもある。 もうやりたい放題、 盗み放題で、 物質的には凄く充足した状態に置かれる。 だから外にいるゾンビもゆるいけれど、 店の中の暮らしもゆるいという、 そこのところがまた面白い。 見ているほうもそういう雰囲気に浸るのが心地よくなり、 ホラー映画を見ているにもかかわらず妙に癒されたりもしてしまう。 これはゾンビ映画を見ている者だけに許される、 一種のユートピア体験と言っていいでしょう。

 もちろんそんな時間がずっと続くわけもなく、 つかの間の天国は暴走族の襲撃によって崩壊していきますが、 そこもまたいい。 緊張感が増していく一方で、 でもそれは人間どうしが争い自滅していくようなものですから、 見ているほうも 「しょうがないなー」 という気分になる。 そのバランスが 『ゾンビ』 では絶妙なんです。 緊張感とゆるさが同居するなんて、 普通の映画だったらまず考えられませんから。 そしてそういう凄いことをやった、 大げさに言うと映画の既成概念を破った映画が 『ゾンビ』 で、 だから自分にとってのホラー映画の最高傑作になったし、 絶対に見なければならない映画になりました。

 さらに 『ゾンビ』 は奇跡的な映画であるばかりでなく、 一つの哲学さえ突きつけてきました。 現実世界では死者を敬うことによって、 そこから生の意味や人間の存在価値を認識したりしますよね。 つまり祖先を敬うことで今生きている自分のありがたみがわかったり、 人間の尊厳を大切に思う気持ちが生じたりします。 ところがゾンビ映画の中では死者を敬うどころか、 「殺す」 ことで生きる意味を認識するという価値の逆転を余儀なくされる。 そうしなければ自分も噛まれてゾンビの一人になってしまうという、 抜き差しならない状況に追い込まれてしまうわけです。

 先ほどゾンビは無個性な存在と言いましたが、 人間には一人一人個性があるのに、 例えば高いビルの窓から下の道行く人を見下ろすと、 彼らは無個性な点となって、 もはや個人を識別することはできない。 『ゾンビ』 のもたらす恐怖というのは、 そのように人間を人間でありながら人間でなくするところにあります。 そして、 面と向かって人を殺すことはできなくても、 天のように見える人間を狙撃するとなるとすっぞハードルが低くなる。 それと同様に、 ゾンビ映画の中では無個性なゾンビの頭をためらいなく銃で撃ちぬくことができるし、 それどころか、 撃ちぬかなければやられるというルールにさえなっている。 人間なのに人間ではないというこの矛盾、 そして元は人間なのにゾンビは殺してもいいというこのパラドックスこそがゾンビ映画独特の人間観であり、 世界観であって、 さらに広げて言えば 「人間の生命が現実世界におけるほどの価値を持たない」 ホラー映画の本質と言ってもいいでしょう。 もちろん、 それは同時にホラー映画の醍醐味でもあります。

引用以上 27-29頁 ルビと小見出は省略

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2012年3月10日 (土)

藝術作品にやどる深淵

※ 「藝術の宗教学」 というカテゴリを作りました

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絵描きとして、 今までだれも描いたことのないものを描きたいという衝動。 それは美女が恐怖で顔をゆがめるところを描きながら 「美しい顔がこんなになるのか」 と観察する、 容赦のない表現の追究でもあるわけです。 そしてその先にあるものを見たいというのが絵描きの性 [さが] でもあるので、 映画監督や画家は、 過去に描かれたものの限界を越えて、 誰も描いていない、 踏み込んだことのない領域へ到達したいと思う心理を作品で表現している。 そして観客や観賞者は、 彼らの作品を通してその深淵を垣間見るのです。

『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』 (集英社新書, 2011年6月) 38頁

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ここで 「深淵」 という観念は 宗教に通ずる

しかも、 教団型/非教団型の宗教性のいずれにも通ずる

この意味で、 ある一般的な 「宗教性」 を想定する根拠になる

ストーリーが先か シーンが先か

漫画家の荒木飛呂彦さんが ホラー映画の本を出しましたね

荒木さんは、 映画監督のサム・ライミと対談したことがあるそうです

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映画を作る時には撮りたいシーンに合わせて物語やプロットを作っていくとも話してくれました。 「ストーリー全体を元に演出していくのではなく、 シーンが生きるようにストーリーを作っていく」 のだと。 それが強く印象に残っているのは、 僕も同じようにシーンをまず作り、 それを元にストーリーを作ることがあるからです。 極端な場合には次回がどうなるか、 自分でもわからなかったりします。 それを映画でやっているとライミ監督に言われ、 なるほど、 『死霊のはらわた』 のショッキングなシーンの連続はそうやって生まれたのかと、 納得した次第です。

『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』 (集英社新書, 2011年6月) 47頁

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さて問題は…

演出家としてのライミを ボクらはどれぐらいお手本とみなしうるか

ということですねww

2012年3月 3日 (土)

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