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2013年2月の記事

2013年2月24日 (日)

一途な情熱は石ころを宝石に変える場合もある

僕は1990年に大学を卒業した、立派なバブル世代

その頃と今現在―― 「虚仮の一念」 「器用貧乏」、 この慣用句の意義は

少しも変わっていないように思う

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 自分自身のそうした人生に思いを致せば、より豊かにより公平になった今の社会に生きる青年たちは、むしろ不幸なのではあるまいか。つまり自分の未来を托すべき選択肢が余りに多すぎて、一途になれぬのではなかろうかと思う。

 未来ばかりではあるまい。やることできることが多すぎて、「今やらねばならぬこと」が選別しづらいはずである。たとえば、いわゆるフリーターと称する職業の存在などは、景気だの社会の構造だのを論ずる以前に、そうした生活の手段が可能になったからで、彼ら彼女らをまるで犠牲者か落ちこぼれのように言うのは誤りであろう、それだけけっこうな世の中になったのはたしかなのである。

 ただし、選択肢が多すぎて一途な人生をなかなか発見できぬというのは、やはり不幸というほかはない。才能を発揮するべき職業を選んでいるうちに、才能を発揮するべきj間が失われてしまう。磨きもせぬのに輝く才能などはありえないから、大切な時間を空費してしまえば、はなからないに等しい。一方、才能の有無にはさほど関係なく、一途な情熱は石ころを宝石に変える場合もある。

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 ――あれもこれもやろうとしてはいけない。できると思っても、やってはならない。神様はマルチタレントなどという便利な人間を、この世にひとりも造ってはいない。仮にあれもこれもやったところで、結果的にはひとつのことだけをやり続けた人間には、まったくかなわない。勝ち負けどころではなく、まったくかなわない。他人の才能をけっして羨むな。多才な人間ほど一芸を物にすることができないから、それはむしろハンディキャップだ。わけめもふらず、一途に。誰に何を言われようと、愛想をつかされようと、君の人生なのだから、ひたすらひとつのことを、一途に。いつまでもどこまでも、君に才能を与えてくださらなかった神様が、不憫に思って何とかしてくれるまで。

261-63頁: ルビ省略

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2013年2月21日 (木)

3/3 「藝術の宗教学」研究会 映画部門(関東)第2回研究会 『崖の上のポニョ』を観る

東日本大震災のため 流れに流れていたこの企画

諸方面からのお力添えで再開することにいたしました

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「藝術の宗教学」研究会
映画部門(東京) 第2回研究会

―― 「童話・神話・《ホラー》 ―『崖の上のポニョ』から― ――

  • 日時: 3月3日(日)14時~18時
    •  14:00~14:10 はじめに
    •  14:10~14:50 近藤による研究発表 「童話・神話・《ホラー》」
    •  14:50~15:10 質疑応答 & 意見交換
    •  15:10~15:20 休憩
    •  15:20~17:00 DVD上映 『崖の上のポニョ』 (2008年)
    •  17:00~17:30 おわりに
    •  18:00~ 懇親会 (場所をうつして)
  • 場所: 日本女子大学・目白キャンパス
    •  参加ご希望の方 私までご連絡を 教室名をお伝えします
    •  右リンクより「プロフィール」頁へどうぞ メールアドレスがございます
    •  また、ツイッタIDをお持ちの方は こちらの TwiPla  からもどうぞ

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DVD上映は予定どおりにおこないますが

コメント、意見交換のため 終了時刻はやや遅くなるかもしれません

(途中参加・途中退席 無問題!)

無償非営利・教育研究目的

皆さん どうぞお集まりくださいませ

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<参考資料>

「 『崖の上のポニョ』は大傑作の「童話=神話=《ホラー》」だ、って今更…」
http://togetter.com/li/98855

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2013年2月11日 (月)

1970年の東京 ―浅田次郎 『霞町物語』 より

浅田次郎 『霞町物語』 の主人公は

1970年に18歳になる一人の青年です

つまり、1952年生まれ 浅田さんより一つ年下

(12月生まれの浅田さんからすれば ほぼ同い年)

この物語のなかで語られる、1970年の東京を集めてみました

それは再構成された一つの断面にすぎないでしょうが 

何かしらの「事実」を含んでいるように ボクには思われます

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 僕らはみな、半年後に迫った入試の重みに身も心も圧迫され、暑さに当たった猫のように無気力だった。休み時間を告げるベルが鳴ると、授業も続いていようがいまいが、突然誰かしらがカセットデッキのスイッチを入れ、華やかなリズム・アンド・ブルースを轟かせた。

 オーティス・レディングが突然の飛行機事故で死んだあと、ジミ・ヘンドリックスが、ジャニス・ジョプリンが、ドアーズのジム・モリソンがたて続けに死んだ。

 夭逝した天才たちの歌声は油蝉の喧しい鳴声と同様に、あくせくと生き延びようとする僕らの胸に応えた。

 めざす大学はどこも多かれ少なかれ、学生運動の真最中だった。それはすでに高校生の間にも波及していたが、指折りの進学校であった僕らの仲間には、ヘルメットを冠るほど余裕のあるやつは少なかった。むしろその年に中止となった東大の入試が、果たして来年は行われるかどうか、行われるとしたら受験者数は二倍になるのか、ということが、もっぱら教室の関心事だった。

 もっとも夜な夜な自慢の車を駆って青山のディスコにくり出す、僕ら一部の慮外者にとって、それはどうでもいいことだったが。

34頁: ルビ省略 (以下同) 

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「とりあえず大学へ行け、っての。おまえんちだって、そうだろ」

「まあな。したっけ、いい大学へ行きゃ行ったでそう馬鹿もできねえしよ。ゲバ棒ぶん回して喧嘩するってのも、みっともねえし」

 高度成長のまっただ中で育った僕らは、総じて目的意識に欠けていた。とりあえず人並みの学問を修め、同時に日々の享楽を貪る。おそらく前後の世代にも、東京以外の地方にも存在しない、僕らはきわめて特異な、小賢しい子供だった。

205-6頁

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 不羈奔放のあげくに湘南の根城を追われ、なりゆきでここにやってきた。見知らぬ海で、僕らはじたばたと自分の居場所を探し続けたのだった。欲望のおもむくままに、そうと願えばまるで打ち出の小槌をふるみたいに何でも手に入る僕らは、いわば高度成長期の申し子だった。いくつか上の世代は、闘って何かを獲得しようとする意志があるけれども、僕らにはそうした野性が徹底的に欠けていた。

 それでも僕らは、駄々さえこねればたいていのものを手に入れることができた。

 たとえば――はるかな漁火を見ながら僕はとっさに、その夜の彼方の水銀色の光のつらなりを、掌の中に欲しいと考えたのだった。

 学問という本分さえ失わなければ何をしてもいいのだと信じ、実際その通りに勉強をし読書をし、酒をくらい博奕を打ち、数限りない女を抱いた。こういう生活が許されるのは、僕らが人類史上最も幸福な時間に生まれ合わせたからにほかならなかった。

 恋をしたのではないと、僕は自分自身に言いきかせた。つまり嫉妬は恋のせいではなく、欲したものが思い通りにならない不満と焦慮のせいだと思った。

 ガラスの中で、僕は遠い漁火に手を触れてみた。大学に行き、社会に出ていつか大人になったとき、こんなふうにして育った僕らはいったい何をするのだろう。不満と焦慮をエネルギーにかえて、新しい時代を作り出すことができるのだろうか。

223頁

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2013年2月10日 (日)

ロマン主義のお勉強のために 【文献リスト】

ツイッター上で ロマン主義を勉強したい、と囀った

そしたら 某西洋政治思想史家から

(実名だがカギ付きのアカウントを使ってらっしゃるので お名前はふせる)

オススメの本をご紹介いただいた

大変ありがとうございます せっかくなので こちらでもご紹介

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まずは次の四冊

  • H・G・シェンク『ロマン主義の精神』生松敬三/塚本明子訳,みすず書房,1975年.
  • M・H・エイブラムズ『鏡とランプ―ロマン主義理論と批評の伝統』水之江有一訳,研究社出版,1976年.
  • M・H・エイブラムズ『自然と超自然―ロマン主義理念の形成』吉村正和訳,平凡社,1993年2月.
  • リリアン・R・ファースト『ヨーロッパ・ロマン主義―主題と変奏』床尾辰男訳,創芸出版,2002年2月.

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んでもって まぁいろいろありますけど… 参考までに…

というニュアンスで次の一冊

  • ケネス・クラーク『ロマン主義の反逆―ダヴィッドからロダンまで13人の芸術家』高階秀爾訳,小学館,1988年11月.

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その後 さらに次の5冊も教えてくださいました

<英文学>

  • W・J・ベイト『古典主義からロマン主義へ―18世紀英国の文学的風土』小黒和子訳,みすず書房,1993年7月.
  • セシル・モーリス・バウラ『ロマン主義と想像力』床尾辰男訳,みすず書房,1974年1月.

<その他>

  • フランク・カーモード『ロマン派のイメージ』菅沼慶一・真田時蔵訳,金星堂,1982年7月.
  • キャスリーン・コーバーン『自己認識を広げる想像力―コールリッジのメモ帳の研究』渡辺美智子訳,八潮出版社,1991年12月.

<必読>

  • 佐々木健一『美学辞典』の「想像力」の項目

宗教学の立場から近代性を考えなおしてみた

今、ツイッターの方で書いたこと

僕にとって大事なんだけど ツイッターだと流れていってしまうので

ちょいとこちらに記しなおすことにした

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近代的言説=制度を

客体の側へと収斂する補助線にそって整理してみる――

まず公理が 「人間の生の集合性」  んで、そこから導出される問題系は

① 育児と社会化と再生産、公共性と国家権力

② 宗教と世俗、公私区分と政教分離

③ 価値とカレンシーとお金、資本主義と経済政策とセーフティネット

これを三本柱にしておけばいいかな

ちょっとまだ結論づけられてないのは…

そこに 「浪漫主義的なもの」 の柱を どう掛けあわせるか、という問い

それにしても 浪漫主義は決定的に重要だ

100年前かと思ってたけどちがった、200年前から 浪漫主義が設定したものは正鵠を射ていたんだな

それは浪漫主義が、近代性そのものにより直接出産されたからだな

通常は ②の柱のところに縒り合せていくものだろうし

また それでいいような気もする

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2013年2月 6日 (水)

フッサールの自然主義批判

前便 「宗教概念批判の哲学的基礎づけ」 の 直接のつづきです

フッサール(とくに『イデーン』まで)の哲学を 新田先生が要約なさってます

2013年度後期の「宗教学演習」のためのメモになります

長くなりますが お付き合いをばお願いいたします

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 哲学的認識とは、「視ること」一般の成り立つ純粋なありさまを、「視ること」そのことによって捉えることであるといってよいであろう。哲学的認識とは反省としての「視ること」であり、何ものにもまして明証的であらねばならず、いかなる媒介的な手順や偏見をもそこにもちこむことを許さないものである。ところが、このようにして原初的知の形成の仕方を問い知のの総体性を基礎づけようとする哲学的認識には一挙に近づくことはできない。それゆえまず何よりもわれわれは哲学的認識にいたる道そのものを探さねばならない。この点でフッサールがたえず対決しなければならなかった相手が自然主義の方法的態度なのであった。というのは、自然主義もまた同様に直接的な所与に変えることを標榜し、それに無縁のあらゆる先入見を拒けようとするからである。ところが、自然主義は、「事象自体への帰行という基礎的要求を、自然的事物に関わる経験によってすべての認識を基礎づけようとする要求と同一視し、もしくは混同している」(『イデーン』Ⅰ)ところに、原理的誤謬を犯している。事象を自然的事象にのみ限局することによって、その結果、論理的対象を自然的経験に解体したり、経験そのものを自然的事象に組み入れたりして、「理念の自然化」や「意識の自然化」に陥っている。こうした自然主義の態度は、本来は科学のひとつの方法的態度なのではあるが(『イデーン』Ⅱ)、しかし方法であることを忘れてしまうと精神的なものや理性的なものまでも自然的なものであるかのように断定するひとつの形而上学的独断に陥ってしまう。なぜこにょうな方法的偏見や科学的先入見が発生してくるのか。フッサールは、このような先入見の発生の根拠となるものを、人間の意識につきまとう最も自然的であり基本的ともいえる「自然的態度」(natürliche Einstellung)に見出している。

 自然的態度とは意識が実施態におかれ、対象に関わり続けているときに、おのずからとる構えかたである。この態度の特徴を、フッサールは、第一に対象の意味と存在を自明的とする捉えかた、第二に世界の存在の不断の革新を世界関心の枠組の暗黙の前提、第三に世界関心への没入による意識の本来t系機能の自己忘却という点に見ている。自然的態度に生きる限り、ものごとはいつも自明的なものとしてなじまれている。存在者が何であるかはつねに習慣的に了解され、それが在るということ自体については不問に付されている。科学的方法的態度もまた、すでに前提された存在者を一定の方法的視角から一義的に規定しようとする態度であり、改めて存在者の存在を問うものではない。要するに意識が実施態におかれる限り、こうした自明性は避けることができないのであって、そこからさまざまの実体化的把握の傾向が発生する。フッサールが掲げた有名な研究格率「事象そのものへ」(Zu den Sachen selbst!)は、このように近さの仮象をもつがじつは媒介されているものを直接的な所与とみなしている態度に対する批判を含んでおり、真に存在者への近みにいたるためにはまず自然的態度に生きること自体を問題としなければならないことを説こうとしたものでもある。フッサールが自然的態度の最も根本的な特性とみなすのは、この態度に生きる限り、どんな場合でもつねに世界の存在が暗黙理に前提されていることであり、この世界確信を一般定立(Genralthesis)とよんでいる。さらに自然的態度におけるしべての対象関係は、世界という枠の内で行なわれ、科学的認識もすべて世界関心に含まれるという意味で世界関係的、世界拘束的である。したがってこの世界関心の内で意識が自らを反省するにしても、自らを「世界の内のひとつの存在者」として見出すだけであって、純粋な理性機能としての自己に気づくことはできない。

 このように世界拘束的態度のなかでは、存在者の存在の意味を問うことや、存在者の総体としての世界の意味やその起源を問うことはできない。そこでフッサールは、「現象学的還元」(phanomenologische Reduktion)とよばれる態度変革の方法を唱えたのである。 […後略、次便につづく…]

25-27頁

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2013年2月 5日 (火)

宗教概念批判の哲学的基礎づけ

来年度後期の演習では 新田義弘先生の『現象学と解釈学』 を読もうと思う

宗教概念批判はすでに十分一周した感があるので

あらためてその哲学的基盤について この辺りから基盤固めをしておこう

というわけだ

演習の表題はしたがって 「宗教概念批判の哲学的基盤」 とでもなろうか

現象学も解釈学も ある重大な限界をもっているが

1) まずは入口として これは全く適当だ

2) 新田先生が その限界をどう処理するかを知りたい

ということで…

新田先生によるフッサールの議論の要約(一部)を 書きぬいておきます

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 フッサールでは知とは、その原初的形態についていえば、意識の主観の作用によって意味として構成されたものであり、この相関関係の対象項として成り立つ。意識作用と対称意味との相関性は、志向性(Intentionalität)という概念で言い表わされる。志向性の概念は「~に向かっている」という意識の特性を表わすものとしてすでに伝統的な概念であり、とくに彼の師のブレンターノによって、個々の意識を心理学的に分類するさいに使用されていたが、フッサールはこの志向性そのものの原理を問い、これを意識の全体的な本質連関を形成する原理的機能として捉えた。すなわち志向された対象が単に思念されるだけでなく、直観において充実される仕方、つまり明証(Evidenz)の問題にまで深めたのである。明証とは、存在者が自ら現われ出ること、すなわち存在者の自己能与(Selbst-gebung)のことであり、意識の側からいえば意識に対して「自ら与えられているもの」の傍に立ち臨み、存在者が現われ出るままに存在者を規定していることであり、存在者への真の近みから存在者について原初的に知を形成する理性の機能を意味する。ところが明証は、フッサールによると、対象があるがままに自らを与える原理的明証(例えば知覚)を原様態としてさまざまの派生様態(例えば想起とか想像)をもち、段階的体系を形成している。したがって、意識の全体的連関の志向的分析とは、根源的明証を原点として構成されている明証の体系の露呈なのであり、フッサールの企てる知の体系的基礎づけとはまさにこの志向的分析の体系的実施にほかならなかったのである。

 自己能与とはいいかえると理性の「視る」働きであり、フッサールは『イデーン』Ⅰ(Iden zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie, 1913)において、「いかなる種類であるかを問わず、根源的能与としての視ること一般は、あらゆる理性的主張の究極的源泉である」と述べている。この究極的源泉にまで戻ってそこから「哲学および学的認識一般の究極的基礎づけ」を果たすことが、厳密なる学としての哲学の課題であった。

23-24頁

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この引用、しばらくつづけたいと思います

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