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2013年3月 9日 (土)

右翼とは何か、あるいは右翼と宗教 ――宮台真司(2005)より

ボクの専門は 宗教ナショナリズム ですから

「宗教と右翼」 という問題、 そもそも 「右翼とは何か」 という問題

これは中核的な関心事です

さてここで確認しておきたい当たり前のことは

右とは左との対であり、 さらに左右の中間領域がある、ということです

こうした左右に開く構図のなかで 「右翼」 は考えられねばならない

つまり、 右翼を考えるものは 左翼をよく考えねばならない

(さらには 中道をも)

ということで…

宮台真司先生と北田暁大先生との対談集(2005年刊)より

宮台先生の発言の一節を書きぬきしておきます

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 アメリカのルーツ右翼と日本のルーツ右翼は、人事を最高価値とする思想を否定し、神や天を最高価値と見なして人事――コロラリーとしての国家――を相対化する点で共通します。右翼とは何かを考える場合、この共通性が重要です。右翼とは何ぞや。別著で記したように、一次近似としては集権的再配分の是(左)/非(右)をめぐる政策的差異です。

 でもそれは、派生的帰結の差異にすぎません。正確には、そうした政策的差異を蓋然的に(必然的にではない)導く思想的差異――主知主義(左)/主意主義(右)――にかかわります。主意主義(右)の立場が、弱者への集権的再配分を推奨することもあり得るということです。この思想的差異はスコラ神学に由来し、元来は神が不合理を意思するか否かにかかわります。

 神が不合理を意思しないなら〈世界〉(あらゆる全体)は合理的に記述でき、意思するなら記述できません。前者がアリストテレス=アクィナス的な主知主義、後者がプラトン=アウグスティヌス的な主意主義です。主知主義は、人間的理性を信頼するので計画万能主義を帰結しやすく、規定不能なものや未規定なものを不安がる心性に結びつきます。

 こうした心性を、ヘタレ(依存)として退ける初期ギリシア思想をルーツにするのが主意主義。主意主義は、神と同じく人間の意思をも理性に還元できない端的なものと見なすので、不条理や規定不能性をあらかじめ前提とする態度を帰結します。実存的には不安ではなく内発性を、コミュニケーション的には不信ではなく信頼を――総じて飛躍を――推奨します。

33-34頁: ルビと脚注は省略

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とりあえずここで一区切り

以上のように左右の違いが説明されたうえで

次に 「ホンモノ」の右翼の立場が説明されていきます

それはまた 次便にて

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