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2013年5月24日 (金)

宗教的人間と非宗教的人間のあいだの本質的差異?――エリアーデの公理

エリアーデは 宗教的人間と非宗教的人間を 明確に区別する

そこには「本質的な差異が存する」と力説する

前者は「超人間的性質」に通じているが

後者は「神」との交わりをもたない「人間的経験」しか生きない、という

この断言(大変つよい調子だ)の根拠/論拠は 示されない

これは エリアーデ思想における無媒介の公理だ

さて、私たちは そのようにして出来上がる「宗教」理解を どう受け止めるべきだろう?

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 近代社会の非宗教的人間にとって時間が何であるか、を手短かに述べることはなお一層難しかろう。われわれはここで近代哲学の時間論についても、今日の科学の時間概念についても語ろうとは思わない。体系や哲学ではなく、実存的行動様式が当面比較対照のまとである。非宗教的な人間もまた、或る種の時間の非連続と異質性とを知っている。彼にとってもまた、たとえば比較的単調な仕事の時間と、娯楽と慰めの時間、要するに〈祭の時〉とがある。彼もまた [宗教的人間 homo religiosus と同様に] さまざまな時間リズムの中に生き、濃度を異にする時間を知っている。好きな音楽を聞くとき、恋人を待つ時、また会っている時、彼は働いたり退屈したりしている時とは別の時間リズムを感ずる。

 しかもなお宗教的人間と彼との間には本質的な差異が存する。前者は浄められた時間を知っている。それはその他の時間経過と共通点をもたず、異なった構造、異なった〈起源〉をもつ時間であり、神々によって浄められ、祭によって再現される原初の時間である。宗教的でない人間には、この祭礼の時の超人間的性質は到達し難い。非宗教的人間によって、時間には断絶もなければ〈秘密〉もない。時間は人間の最も深い生存の次元である。それは彼の生存と結びついており、したがって始めと――生存を滅する死において――終りをもつ。彼の体得する時間リズムがいかほど多種多様であろうとも、その濃度にいかほどの差異が感じられようとも、非宗教的人間は、それらが常に神の現在の入り込む余地をもたない人間的経験であることを知っている。

61-62頁

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さらに別の個所からも引用しておく

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[…] 俗なる生存の内部では、人間はただ自分自身および社会に対する責任のみを識る。彼にとって宇宙(Universum)はもはや真のコスモス(調和的宇宙)ではない。すなわち生きた有機的統一体ではなく、単にわれわれの地球上に存在する物質の貯蔵と自然エネルギーの総和にすぎない。そして彼の主要関心はこれらのエネルギー源を拙劣に使い果たすことのないようにすることにある。原始人はこれに反して、常に一つのコスモス(宇宙)的連関の中に身を置く。彼の個人的経験にもまた真正の深いものが含まれていないわけではない。しかしそれを語る言葉がわれわれの耳の慣れぬため、近代人の眼には不純にして幼稚なものとうつるのである。

84-85頁

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[…] 比較のために、非聖化された社会の農耕について考えてみよう。そこでは農耕はただ収穫によってのみ正当化された俗なる行為に成っている。すなわち人が大地を耕すのは、大地を開発して利益と食物を引き出すためである。宗教的象徴を失った農耕作業は〈不透明な〉、そして消耗的なものとなる。それはもはやいかなる意味も啓示せず、宇宙的なもの、例の世界への〈入口〉を開くことを決して可能にしない。いかなる神あるいは文化を開く英雄にしても、未だかつて俗なる行為を啓示したものはない。すべて神々や祖先が為したこと、したがって神話が彼らの創造行為について物語る一切は、聖なるものの領域に属し、それゆえ存在に関与する。これに対して人間が神話の典型なしに自分の発意から行うことは、すべて俗なるものの領域に属する。それゆえ、それは空しい虚妄の行為であり、究極的には非現実的行為である。人間は宗教的であればあるほど、その振舞い行動に対して多くの模範をもつ。言い換えれば、人間は宗教的であればあるほど実在に順応し、それだけまた典礼にのっとらぬ〈主観的な〉 ―― 一言でいえば邪な行動に踏み迷う危険が少ないのである。

87-88頁: 傍点は太字で示した

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