大衆向け物語作品の保守的機能、もしくは神話としてのジャンル映画
「観客が解決したいと望んでいる疑問や問題を解決してくれる」…
これは、とてもよくわかる論点だなぁ、と思った
簡潔明瞭な言葉で、包括的な論点を整理してくれているので、とても参考になる
(無論、この立場はごく素朴な文化主義にすぎないのだが、それはまた別の話)
これは、とてもよくわかる論点だなぁ、と思った
簡潔明瞭な言葉で、包括的な論点を整理してくれているので、とても参考になる
(無論、この立場はごく素朴な文化主義にすぎないのだが、それはまた別の話)
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ジャンル映画は期待を作り出し、この期待が私たちの反応を条件付けします。ジャンル映画は広く親しまれているので、観客は次に現れることを先取りし予測することが可能です。ジャンル映画は希望と約束を設定し、この希望と約束が成就されることで快がもたらされるのです。ジャンル映画を研究するなかで最初にせねばならないのは、繰り返し現れるパターンとテーマを取り出すことです。ジャンル批評家にとって、これら繰り返し発生するパターンは単なる形式的なパターンではありません。反対に、これらのパターンはある社会の基礎にある疑問、問題、不安、困窮、心配、そしてずっと一般的にはこの社会の基礎をなす価値観を反映しており、そして社会の構成員がそうした疑問と問題に取り組もうとする仕方を反映しているのです。そうすると、ジャンル映画が観客を満足させるのは、観客たちが解決したいと望んでいるこうした疑問や問題を解決してくれるからだ、ということになります。ジャンル映画は集団的な表現形式、社会に向けて掲げられた鏡なのであり、この社会で共有されている問題や価値観を具体化し、映し出しているのです。
ジャンル映画は、これらの問題の解決法を提供することも、そして社会の価値観を強化することもしています。もちろん、ジャンル映画が現実の疑問や問題に現実の解決法を提供できるというわけではありません。その解決法は空想上のものであり、理想主義的なものです。しかしこのことは映画、とりわけジャンル映画の魅力の一つを説明してくれるのではないでしょうか。それは現実の問題に空想上の解答を与えるということです。空想上とはいえ、映画作品のなかでは、これらの解答は単なる絵空事以上のものに見えます。家に帰ろうとして映画館を後にするとき、あるいはテレビを消した後で初めて、現実の問題は再び頭をもたげてくるのです。
ジャンル映画の機能に関するこうした議論からすると、ジャンル映画を見ることは文化的な儀式の一形態なのだと主張することができます。ジャンル映画を研究することは、このジャンル映画を生産し消費している文化を研究する方法の一つなのです。 […]
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ジャンル映画は、社会の内部でいかに振る舞い、現下の問題と不安にどう対処するのかを教えてくれます。しかし社会問題に対処する中立的な方法を与えてくれるわけではありません。反対に、次のようなものにとって望ましい価値体系を指図しているのです。すなわち、個人の所有権・民間企業・個人資産という意味で個人を強調する資本主義のイデオロギーにとって、さらに、道徳的・社会的等々のしきたりに順応することの必要性を備えた、妻が家庭にとどまり夫が働きに出るという核家族にとって――。
ジャンル映画は期待を作り出し、この期待が私たちの反応を条件付けします。ジャンル映画は広く親しまれているので、観客は次に現れることを先取りし予測することが可能です。ジャンル映画は希望と約束を設定し、この希望と約束が成就されることで快がもたらされるのです。ジャンル映画を研究するなかで最初にせねばならないのは、繰り返し現れるパターンとテーマを取り出すことです。ジャンル批評家にとって、これら繰り返し発生するパターンは単なる形式的なパターンではありません。反対に、これらのパターンはある社会の基礎にある疑問、問題、不安、困窮、心配、そしてずっと一般的にはこの社会の基礎をなす価値観を反映しており、そして社会の構成員がそうした疑問と問題に取り組もうとする仕方を反映しているのです。そうすると、ジャンル映画が観客を満足させるのは、観客たちが解決したいと望んでいるこうした疑問や問題を解決してくれるからだ、ということになります。ジャンル映画は集団的な表現形式、社会に向けて掲げられた鏡なのであり、この社会で共有されている問題や価値観を具体化し、映し出しているのです。
ジャンル映画は、これらの問題の解決法を提供することも、そして社会の価値観を強化することもしています。もちろん、ジャンル映画が現実の疑問や問題に現実の解決法を提供できるというわけではありません。その解決法は空想上のものであり、理想主義的なものです。しかしこのことは映画、とりわけジャンル映画の魅力の一つを説明してくれるのではないでしょうか。それは現実の問題に空想上の解答を与えるということです。空想上とはいえ、映画作品のなかでは、これらの解答は単なる絵空事以上のものに見えます。家に帰ろうとして映画館を後にするとき、あるいはテレビを消した後で初めて、現実の問題は再び頭をもたげてくるのです。
ジャンル映画の機能に関するこうした議論からすると、ジャンル映画を見ることは文化的な儀式の一形態なのだと主張することができます。ジャンル映画を研究することは、このジャンル映画を生産し消費している文化を研究する方法の一つなのです。 […]
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ジャンル映画は、社会の内部でいかに振る舞い、現下の問題と不安にどう対処するのかを教えてくれます。しかし社会問題に対処する中立的な方法を与えてくれるわけではありません。反対に、次のようなものにとって望ましい価値体系を指図しているのです。すなわち、個人の所有権・民間企業・個人資産という意味で個人を強調する資本主義のイデオロギーにとって、さらに、道徳的・社会的等々のしきたりに順応することの必要性を備えた、妻が家庭にとどまり夫が働きに出るという核家族にとって――。
ウォーレン・バックランド『フィルムスタディーズ入門』143-44頁
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