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2014年2月 5日 (水)

エコノミメーシス R&D

「エコノミメーシス研究会」 は 「藝術の宗教学」研究会を改称したものでした

この度、 この集まりに関わってくださっている方がたと話し合い

「エコノミメーシス R&D」 と再改称することにしました

以下、趣意文でございます。 

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 「エコノミメーシス」(economimesis)は哲学者ジャック・デリダが提唱した概念である。エコノミーとミメーシス、経済と模倣という二つの語を合成したものだ。ここで「模倣」(ミメーシス)とはとくに藝術を、より広くは人間の表現活動全般を、さらに言えば「生」そのものを指す。

 さてしかし、私たちはデリダ研究を行うのではない。デリダの思索とこの概念とにより喚起される多様なイメージとその連接を頼りに、エコノミメーシスが豊かにあらわれる場を創出したいのである。そのための研究開発(リサーチ・アンド・ディベロップメント)を行うのが、エコノミメーシス R & D である。

 もう少し具体的にいうなら、諸種の作品の制作において、経済活動と「崇高なもの」をともに実現し、その様を皆で愛でる—— このような動きを引き起こしたいと願っているのである。

 「崇高なもの」という言葉は、美学の伝統から引用されている。しかし、詳細な学説上の検討はここでは不要である。私たちに非日常的な感情を引き起こすものをさして、この言葉を選んだのだ。特別な、強烈な体験ばかりがそれではない。日常のなかにヒョッコリ顔を出す、えも言われぬ心の様態もまた、まったく同等に大切なものだ。

 ポエジー、美、充実などなど。「驚異」「永続的なもの」「非合理的なもの」などと呼ぶ人もいるだろう。宗教の用語やスピリチュアリティの文脈で理解されることもあるだろう。

 どのような言葉であれ、私たちは、《あの向こう側》を成立させる作品/製作物と、その実作現場と、そのマネタイズとのあいだに滑らかなつながりを生みだすことを、決定的に重要だとみなす。「崇高なもの」をあらわし伝える作品が、現実の経済への組み込みを果たすこと。さらには、「現実の経済」のあり方自体をも、同時に変容させていくこと。

 これは何か特別なことだろうか。そうではない。表現とその受容と再表現の現場では、すでに、いやむしろつねに起きていることだ。私たちは、この現象へと、この現象が湧き上がる源泉へと直接足をふみ入れようとする。

 エコノミメーシスの研究と開発—— この言葉にこめられた願いはそのようなものである。

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2014年3月13日 加筆訂正 一回目

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