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2014年9月18日 (木)

映画の宗教学 ―映画の層構造と《底》あるいは《魔》―

去る12日、日本宗教学会で 標記のような発表をさせていただきました

ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました

当日、フロアよりいただいた質問への応答、時間切れで言えなかったこと

書き加えたものを 「配布資料 第2稿」 としてアップさせていただきます

冒頭にしゃべったのはこんな感じのことでした

  • 私は宗教学でなぜ映画論をやるのか。 《世俗》を究明できるはずだ、と考えるからです。
  • 映画を《世俗》の制度としてとらえ、映画の《世俗性》をより稠密に解明すること。
  • そうすることで、《世俗》そのものを究明すること。
  • ポスト宗教概念批判の宗教学には 「《世俗》の宗教学」 が要請されている、というのが私の考えですが、そのために映画論に精をだしているわけです。
  • しかしこうした研究は、欧米圏の Religion and Film においてすら、ほぼまったく未発達です。(というよりも、独自すぎるのかもしれません)
  • そこで本発表は、その予備的な考察をすることで満足するしかありません。
  • 具体的には、観客の映画体験から映画の成り立ちを解明することに取りくみます。
  • ハイライトは、「えも言われぬ体験」 「表しえないもの」 と私が名づけたことです。
  • しかし、発表時間は15分しかありませんから、そこへの着目が必要なんだ、と指摘するところまでで、今日のところはおわるしかありません。
  • それでは、本論に入ります。
いかがでしょう、ご興味をもたれますか?

下記リンクより、この資料をご笑覧いただければ幸いです

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