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2014年12月の記事

2014年12月10日 (水)

中国における「自然」の意味

以前、「現代日本語における自然」 というエントリを書きました

その続便でございます

日本語の概念を反省しようとするなら まずは中国語ですなぁ

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中国における「自然」という言葉の本来の意味は、「おのずからなる状態」をさし、「他者の作為や力によるのではなく、それ自身のうちにある働きによって、そうなること」を原義としている。ここでは、この「自然」の「自ら然る」 [おのずからしかる、とのルビ] 自律性・自発性が何よりも注目される。しかしそれがこのような自律的・自発的・自足的状態を意味するとしても、今日いわゆる「ネイチュア」としての自然が意味するような森羅万象の対象的世界一般を指していたわけではない。当時の中国語でそれを意味する言葉は、むしろ「天地」や「万物」や「造化」であった。この場合「天地」は自然界全体を総括し、「万物」はそこにおけるさまざまな具体的事物全体、「造化」はそれらが変化してゆく力を表わすことに重点がおかれていたと言えよう。さもなければ、「鳥獣草木」(『論語』)、「山沢禽獣」(『荘子』)、「山海水潦土石」(『淮南子』)のような自然界の具象的な存在の名称を列記して、あえてそれを統合する名詞を造語していないと言える。

 我々が「自然」という言葉を用いるとき、それが自然の意味と自然の意味の両義をもっていることを、はっきりとさせておく必要がある。中国語における「自然」は本来、このうちの自然を言うのであって、自然を意味するものではなかった。このことに無自覚であるために、さまざまな解釈上の混乱がもたらされたと言える。

62-63頁: ルビ省略、傍点は太字で示した


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2014年12月 2日 (火)

死、社会貢献、祖霊

NHKによる菅原文太さんの訃報

そのなかに、奥さまの文子さんのコメントがあった

死と社会貢献と祖霊…

あるいは 自然農法と平和と ここでは云われないけれど反原発…

これらがひとつに融合した見事なことば

今後も何度も読みなおしたいので ここに再録させていただきます

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俳優の菅原文太さんが亡くなったことを受け、妻の菅原文子さんは「七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」とコメントしています。

文子さんのコメントの中にある「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」のことばは中国の古典、「論語」に由来するもので、「人として大切な道徳を悟ることができれば、すぐに死んでも後悔はない」という意味です。

また、「落花は枝に還らず」は「ひとたび散った花は再び枝に戻らない」という意味で、「死んだ人は再び生き返らない」ことを例えています。

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