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2015年4月23日 (木)

近代経済人の宗教的根源

宗教と経済、宗教と資本主義 の関係については これまで

などのエントリで少しずつ考えてきました

んでもって、ここでは そのものズバリのタイトルをもつ

梅津順一 『近代経済人の宗教的根源』 を紹介したいと思います





お察しのとおり、ウエーバーの「プロ倫」テーゼ再考の一冊です





冒頭の二段落を書き抜きますね

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 本書で「近代経済人」というときには、二つの意味で使用されています。ひとつには、歴史的に西ヨーロッパで近代資本主義が発生してくる過程で、それに積極的にかかわった人間類型という意味で、もうひとつには、理論的に経済学が全tネイとする人間像という意味です。今日の世界では、政治における人権思想と同じく、経済における市場原理の普遍的意味が、体制のいかんを問わず、文化のいかんを問わず、広く承認されてるようになりました。「宗教的根源」とは、その市場原理に対応する独立した責任的主体が、禁欲的プロテスタンティズムと深い関わりの中で発生したことを意味しますが、そうした問題設定は、いささか奇異の感をもって受け取られるかも知れません。人権思想が信教の自由をその中に含むと同じく、市場原理に対応する人間もまた、特定の宗教的背景とは無関係であることが常識とされているからです。

 ここでは、近代資本主義の発生を歴史的個性的現象として見るという観点に立っています。今日普遍的と考えられている現象も、それがどのようなものであれ、歴史においては同じ時期にどこにでも同じように現れたのではなく、特定の時と所で、さまざまな諸条件の個性的組み合わせによって発生しました。近代資本主義の発生にあっては、とくにプロテスタンティズムの禁欲の系譜を引く「資本主義の精神」の積極的役割が注目されるのですが、その問いには確立した近代資本主義が暗黙のうちに前提としている人間的条件を明確にするという意味があります。個人を内面的に理解するには、本人も忘れたかも知れない性格形成期の経験を知ることが重要なように、近代資本主義を内面的に理解するには、今日では忘れられた発生期の精神的状況を知ることが有効なのです。もちろん、この本がどれだけその狙いを達成しているかは読者の判断に待つほかありませんが、文化的背景を異にする諸社会の資本主義の構造をめぐる議論や、資本主義の人間的意味とその将来をさぐる思索に、なにほどか寄与するものであって欲しいと願っています。

i-ii 頁

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