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2015年4月15日 (水)

宗教、表現作品、批評

宗教と世俗の問題のなかで 藝術をかんがえる、というのをいろいろやってきました

たとえば

「《映画の宗教学》 もしくは 「宗教と映画」論の課題」 というエントリ

なんかが一応 全体の理論的布置をまとめてたりしますし

「01F 藝術の宗教学 改め Economimesis R&D」 というカテゴリで

いろいろ書きためたりしてきました

んでもって、いま授業のひとつで 「批評」 をやっててですね

そこで 佐々木敦さんの『「批評」とは何か?』 を教科書していしてますが

その中にも 当然、ボクと同様の見立ててが出てきますので

ご紹介します



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[…]僕は小説とか映画とか、フィクションというものは、目に見えないものに対して何かが出来ると思っています。たとえばそれは人によっては、神様と呼んだり、幽霊と呼んだりするのかもしれない。僕は宗教なんか全然好きじゃないんだけども、まるで「神」の顕現みたいな感じがすることもあるのだと思います。

 たとえば、それこそメルツバウのライヴを観に行って、とんでもないノイズとかを聴いていると、会場はみんな耳をふさいでいるような状況でも、耳が慣れてくると、音が過剰に満ち満ちていて、ありとあらゆる音が重なっていて、その中に自分がいる、って感じがしてくる。そこにエクスタシーが生じてくるんです。それは単純に興奮するというよりも、体だけじゃなくて、体も頭も覚醒した状態なんですよ。要するにヤられてるんだけど、そのヤられてる感じをエクスタシーと呼ぶか、サブライム/崇高なものと出会っていると呼ぶのかは、人それぞれでしょう。そういうものをある種、神と呼んでもいいと思うこともあります。


290頁


==========

 それは批評だけではなくて、僕は映画を観たときによく感じるのですが、ストーリーとは無関係に、エフェクトとしかいいようがない経験がある。たとえばリヴェットの映画って三時間ぐらいあるんですが、その三時間を体験すると、身体的なことも含めて、何か不可逆的なエフェクトを与えられている気がする。それはすごく運動性があるものなんです。作品が一種のマシンみたいになっていて、そのマシンが何かをしている。その「何か」をする主体は作品であって、作品の背後にいる作者ではない。その「何か」をそのまま言葉には出来ないわけです。出来ないから、それと同じような作用をしていて、似たようなエフェクトを与えてくれる表現や作品が他にないかと考える。そうすると、違うジャンルの中に、全く同じではないにしても、何か似たような駆動、力の働きをしているものがあるような気がしてきて、それらを繋げてゆくことによって批評的なテクストが書ける、というのが僕の方法論なんです。それは映画から音楽に移って、最近また違う分野に行きつつあっても、たぶん一貫しています。

 主戦場的な現場が変わっていけばいくほど、それまで培ったものが巻き込まれていくので、ある意味では豊かになっていると思います。文芸批評みたいなことを書いてても、音楽の要素だって当然入ってくるし、映画も入ってくる。全部繋げられるというか、同じことをやっていると思えることが増えてきました。それはエフェクトというか、もっと大きな言い方で言うと世界の原理とでも呼びましょうか、「あの世って何?」みたいな。またスピリチュアルなことを(笑)。観念的なことかも知れないけど、そういうことです。物語でもないし、主題でもない。物語や主題とも深く関係があるけれども、それとはまた別の何かなんですよ。たとえばひとりの作家の小説をいっぱい読んでいくと、物語的な一貫性とか主題的な持続性とは別に、何かあるような気がしてきたりする。映画でも、たとえばアルトマンを全部観ると、一本一本は全然違うのに「何かあるな」と。その「何か」に無理やり言葉を与えようとする中で、批評的なモチベーションが起動してくるということが、僕はすごく強いんだと思います。


306-7頁


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