批評とは何か、あるいは「可能性の中心」/向こう側の世界
「批評」 とは何か
引き続き、佐々木敦 『「批評」とは何か?』 からの引用をします
前便では 最終章から引用しましたので ここでは最初の章から
四つの断章をば (-"-)
最後の四つ目の断章(「可能性の中心」をめぐる断章)へと収束するような引用になってます
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「評論家」っていう言い方があまり僕は好きじゃなくて。「評論家」と「批評家」って同じことじゃんって思ってしまうかもしれないんですけど、「評論家」っていうのは評じて論ずるっていうことですよね。評価して論ずるっていうことは、批評と同じようなことのようにも思えるんですけど、僕は「批評」っていう言葉の方に自分がやりたいことが近いって思っているんです。「批評」っていうのは、英語だと「critic」ですね。よく言われることだけど「批判」も「critic」なんですよ。「批判」っていう言葉だと、ついネガティヴな意味合いを強く感じちゃうと思うんですけど、必ずしも「批判」っていう言葉はそういうことだけではなくて、その物事の本質的な部分っていうのを一旦解体して再吟味するみたいな意味でもあるので、それに近い言葉として、「批判家」っていうのはちょっと変だから「批評家」って言っている。かなり意識的に「批評家」って名乗ったり書いたりするように今はしています。
8頁
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「紹介」 「感想」 「分析」 「敷衍」
「批評」っていう言葉とは別に、こういうことも大きくは批評の一種みたいに言われてる、みたいなことを幾つか挙げていくと、たとえば「紹介」っていうのがある。CDでいえば誰それのニューアルバムが発売されるよみたいな、今作はビートがより野太くなっていて、みたいな感じのね。そういうのはいわゆる「紹介」です。つまりまだ聴いていない人を対象にして書かれている。[批評の]「対象」と[その批評文の]「受け手」が繋がっちゃう前に読まれることをほぼ前提にして書かれているのが紹介です。
それから「感想」っていうのがあります。自分が聴いてみたらこう思った、こんな感じだったっていうようなことを書く。「紹介」と「感想」って似ているんだけれども、微妙に違うところもある。たとえば資料的な意味での紹介的な要素が全然なくて、単に俺はこれを聴いてすごく感動したんだよ、みたいなことだけ書いてあって、だから聴くといいよ、っていうのもよくあったりしますよね。
それからもう一つ「分析」っていうのがある。「感想」を超えて、もうちょっと客観的に、何曲目の何々がこうなっていて、とか、前作と比較するとこうこうで、とか、この辺からいわゆる普通に「批評」と言われるものと近くなってきますね。
もう一つ、この言葉が妥当かどうかわからないんですけど、「敷衍」っていうか「パラフレーズ」というか、「展開」でもいいや、つまり単なる「分析」を超えて、その作品のことからさらに考えられることを自分なりにもっと押し拡げて展開していこうとする文章がある。
でも僕は「分析」や「展開」からが「批評」で、「紹介」や「感想」だとまだ「批評」じゃないっていうような厳密な考え方もしていないんです。 [……]
17-18頁
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[……] つまり、[特定の作品が]良い悪いっていうことを扱うのが批評だっていう風には僕は思わないんです。良い悪いは批評とは別にあるもので、それは誰にとってもある。自分にとっての良い悪いというものを、そう咀嚼し吟味するかっていうことは重要だけれども、それを他人に対して説得しようとしたり転写するっていうことを、僕はやれないというか意味があるとは思わないんです。結果的にはそういうことをやってしまっていることも多いのかもしれないですけど、そういうことを目的に批評を書いていない。僕は価値判断とか良い悪いっていうことの先に「批評」があると思っています。
30-31頁
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ここまではまだ 佐々木さんの主張がよく見えません
次の断章で それがかなり明確に語られています
長くなるので ここの引用では書きませんが
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』が直接に参照されています
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[……] 要は「可能性」っていうものをどう考えられるのか、その作品に潜在している「可能性」、言い換えるとポテンシャルというか、つまりある一つの作品から、一体どういうことが、どこまで考えられるのか、その作品を聴いちゃったり観ちゃったり読んじゃったりしたことによって、その向こう側にどれほどの世界の広がりっていうのがありうるのか、っていうのが僕は批評だって思うんですね。だからさっきの話しでいうと、「紹介・感想・分析・敷衍」っていったら、やっぱり本当の批評の醍醐味は「敷衍」、パラフレーズのところまで行ってからだと思う。たとえばある小説一本についてだけ延々書いていたとしても、その小説だけには留まらない原理的な何かを取り出すことは十分可能なわけであって、その向こう側、つまりは「世界」がありますよ、みたいなことはやれるはずで、それが僕は「批評」っていうものだと思います。
32頁
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