日本教的ファンダメンタリズムの大成者
「日本教」「空気」で有名な、山本七平の日本学を読んでいる
どうやら、小室直樹との対談 『日本教の社会学』 が定番らしいというので
それに手をつけてみた
なるほど面白い、これまでボクなりに考えてきたことが ビシビシ書いてある
これは、ボクの卓見というよりも、ボクの日本論に影響をあたえてくれた先行研究が
山本日本学の影響下にあり、そこからの間接的影響がボクにおよんでいる、
ということなんだろう
どこもかしかも引用したい部分ばかりだが、まずはひとつをば紹介しますね
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山本 このような日本教的ファンダメンタリズムをつくったのが絅斎なんです。
小室 だから、組織神学的にはこれほどファンダメンタリズムと遠いものでありながら、構造神学的にはまさに日本教的ファンダメンタリズム。これが、今日でも脈々と生きている。
山本 それでいて、なぜ、日本人が絅斎を忘れてしまったか。これは、たいへんにおもしろい問題です。というのは、浅見絅斎の話をしても、「それだ」といったのは小室先生だけで、他の人は名前も知らないんです。
小室 あ、そうですか。これこそあまりにも当たり前すぎる。
山本 浅見絅斎なんて誰も知らないんですよ、いまでは。いまの日本はやっぱり浅見絅斎によって規定されているんじゃないかと私は思うんですが、いったいみなはそれは何ですか、というわけなんです。だから現代の日本は、いかに思想史的にものを見ることができないかということですね。自分たちの規範が何に始まっているかという意識がぜんぜんない。だから「空気」なんです。
小室 自分たちのレイマ(題目)がいかなる神の口から出ているかにまず無関心(インディファレント)。日本人にとっては、どの神でもいいんです。われらが生きている日本教というもののレイマは浅見絅斎の口から出ている。みんな、これにしたがって行動しながら、いかなる神の口から出たレイマだということには無関心。
山本 おもしろいんですね、これ。自分がなぜこんなに規範にしたがっているかというkとおを考えようとしないのか。これが私にとっては戦後のいちばん大きな問題ですね。
286-87頁: ルビは括弧内に示した
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なお、『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本だが、今は手に入りにくい
そこで、上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)からのものです
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