収容所の女の子、もしくは宗教起源論
石井光太さん、『戦場の都市伝説』 より抜粋
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収容所の女の子
ナチスの強制収容所に、捕虜となったフランスの兵士たちが閉じ込められることとなった。彼らはガス室での処刑を待つばかりの身となり絶望で発狂しそうになった。そこで彼らは話し合い、正気を保つためにあるルールを決めた。
まず、収容所の部屋の隅にある椅子に、「架空の女の子」がすわっていると仮定した。フランス兵たちはその女の子に名前を付け、毎日話しかけたり、世話をしたりする。全員でその子をかわいがることで恐怖を薄めて混乱を避け、団結して生き延びようとしたのである。
フランス兵の捕虜たちは約束通りに「架空の女の子」をみんなで世話した。誕生日を決めてその日になるとお祝いをし、クリスマスの日はプレゼントを用意して女の子も交えて一緒に讃美歌をうたった。夜にはかならず「おやすみ」と言い、朝には「おはよう」と声をかけた。
兵士たちはそれをつづけているうちに、いつの間にか本当に「架空の女の子」がいると思い込むようになった。つらいことがあれば女の子に愚痴を言い、部屋の中で無礼なふる舞いをすれば女の子の前に行って頭を下げて謝った。いつしか彼らにとって女の子はいなくてはならない存在になっていった。別の部屋では囚人たちが次々と発狂したり、仲間の非を密告してナチスにとり入ろうとしたりしたのに、この部屋のフランス兵たちだけは正気を保って平和に暮らせたのはそのお蔭だったのだろう。
やがて連合軍がやってきてドイツ軍を追い払い、収容所を解放した。フランス兵たちはようやく収容所を出て祖国に帰れることになった。その日、フランス兵たちは収容所を出る時、一人ずつ部屋の隅に置いてある椅子に腰かけているはずの「架空の女の子」に感謝の言葉を述べて去っていった。
この話は、第二次世界大戦の強制収容所で起きた「実話」として世界中に知れわたった。だが、実際はこの話はもととなっているフィクションがあるそうだ。小説のモチーフが実話として広まって語り継がれたらしい。
おそらくこの話が世界中の人々に「実話」として信じられたのは、それだけリアリティーに満ちていたからだろう。人間なら誰もが寂しさをまぎらわすために、想像の中で話しかけたり、慰めてもらったりする経験を持っている。だからこそ、人々はフランス人捕虜の話に共感し、それを「実話」として信じ込んだのではないか。
189-90頁
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欧米のキリスト教圏で この物語はきっと
「宗教起源論」として認識されることだろう
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