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2015年5月の記事

2015年5月 7日 (木)

世間とは何か

今年度、ある授業で 「現代日本の道徳と宗教」 をテーマにかかげている

日本研究者でないので、今更いろいろ勉強している

山本七平・小室直樹 『日本教の社会学』 を読み終わったので

つぎは、阿部謹也 『「世間」とは何か』 に手をだした

阿部先生の思索は、じつにマイルドで馴染みやすい

教養人、文化人としての落ち着きと懐のふかさを感じさせる

(対して、山本・小室の言葉はエッジが立っていて まさに事態を切り裂いていく!)

阿部 「おわりに」 から一節を引用します

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 この書では、以上のような状況を明らかにし、私達の一人一人が自分が属している世間を明確に自覚し得るための素材を提供しようとしたに過ぎない。世間をわたってゆくための知恵は枚挙に暇がない。しあkし大切なことは世間が一人一人で異なってはいるものの、日本人の全体がその中にいるということであり、その世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできないということである。昔も今も世間の問題に気づいた人は自己を世間からできるだけ切り離してすり抜けようとしてきた。かつては兼好のように隠者となってすり抜けようとしたのである。しかし現代ではそうはいかない。世間の問題を皆で考えるしかない状況になっているのである。そこで考えなければならないのは世間のあり方の中での個人の位置である。私は日本の社会から世間がまったくなくなってしまうとは考えていない。しかしその中での個人についてはもう少し闊達なありようを考えなければならないと思っている。

257-58頁


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2015年5月 4日 (月)

儒学を入れるしかなかった近世神道、そして尊皇倒幕へ

山本七平・小室直樹 『日本教の社会学』 からの引用をつづけます

につづいて、四つ目のエントリになります

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山本  それで、日本の神道は儒学を入れないとなんとも方法がないんです。儒学を入れる点では全員一致なんです。熊沢蕃山、浅見絅斎でも山崎闇斎でも水戸光圀でも保科正之でも、みんあ徹底的に神道で、徹底的に儒学なんです。直方[佐藤直方]は例外です。すると神道の方からも、吉川惟足(これたる)などが出て神儒契合ができる。そのほかにも古神道、山王神道、山王一実神道、垂加神道、いろいろいいますけど、これがもっと古い時代、たとえば『神皇正統記』(しんのうしょうとうき)になると仏教が入り、儒教が入り、神道が入り、わけがわからないんです。ところが、その後の絅斎で非常におもしろい点は、各国が全部天をいただいているといい出すんです。そこに一種の対等論が絅斎で出るんです。豊葦原(とよあしはら)の中つ国、ということはつまり豊葦原の中国ということなんだ。中国は中国であるが、ただし、日本も中国である。つまり、中国は中国の天をいただいて四夷を夷狄(いてき)といっている。日本も日本の天をいただいて豊葦原の中つ国、すなわち中国として四夷を夷狄と見ていいはずだと。だから、これ、今度は向こうが夷狄なんです。

小室  これが近代主権概念の発端ですよ。相手国も自分のことを絶対と見ていいじゃないか、わしも絶対と見ると。絶対を概括しての対等なんです。相対的な多くのうちの一つ(ワン・オブ・メニュー)というだけじゃないんです。

山本  ええ、あそこで初めて近代的な国際法的な意識が出てくるんです。この点で、浅見絅斎は非常に進歩的なんです。これは確かに日本人の国家意識をつくった。実は、国学とか水戸学はつまりこれが入っていって初めてできるものであって、それ自身だけではどうしようもないんです。神道といっても、これが入っていって初めて形をなすんであって、神道だけであったら何ともならないです。だから国学とか水戸学が革命の思想だというのはおかしいんです。なぜ栗山潜鋒(せんぽう)が行って水戸学が形成されたのか。朱舜水からのムードはあるかも知れませんよ。だけど体系的にはなっていないんです。これができてくるのはやはり浅見絅斎の結果なんです。

[…]

山本  つまり水戸学は、そうした浅見絅斎の系統の理論が入って初めて革命思想として機能しだすんです。それまでの水戸学というのはなんだかわからない。完全に抽象化された理論じゃなくて雑学なんです。もっとも雑学は機能しますけど、しかし現実に機能すりゃいいじゃないかといったら、これは革命の思想になりません。たとえば天下の副将軍の光圀が、尊皇思想が基本であるといえばみんな信じて疑わないでしょうが、尊皇思想からすれば、否定すべき幕府の、自分はその責任者の一人でしょう。保科正之だってそうですよね。それが初めて一転するのは浅見絅斎。

小室  だから、光圀にはいろんな要素があるんですよ。一方において天皇絶対を説きながら、他方において幕府絶対を説く。

山本  彼は絶対に幕府を否定していません。浅見絅斎が出るまでの尊皇思想的なふうに見える思想家は全部そうなんです。山崎闇斎だってそうなんです。絅斎によって、それが一転する。尊皇倒幕のスローガンが明確に打ち出されてくる。



296-98頁: ルビは括弧内に示した



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上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)から



『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本です


2015年5月 2日 (土)

日本教の教義としての「空気」

前便 「日本教における自然」

前々便 「日本教的ファンダメンタリズムの大成者」

とつづけてきた山本日本学の引用、三つ目になります

「空気」 を「日本教のドグマ」として位置づける小室先生の整理は お見事

各論としてはよくわかるのに、組織的な理解にはなかなかできないのが

山本日本学なわけですが

それを、小室先生がみごとに構造化してくれます

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小室  […] そうした観点で、日本教に教義[キリスト教におけるドグマ]と同じ機能をするものはないかと探ってゆくと、山本さんが提起された「空気」につきあたるわけですね。

山本  そうです。正に「空気」ですね。つまり、キリスト教が日本に入ってくると、その宗教本来の意味が骨抜きになってしまう。この場合、よくいわれる“骨を抜く”というのは、こちら側に排除の原則があるということです。日本に来ると、なんでもこっちにもっと徹底的な「原則なき原則」があるがゆえに、この原則に反するものは全部骨を抜かれてしまう。その原則を私は、「空気」と定義したわけです。

小室  なんとなれば、「空気」(Anima, p[n]euma)はその内容が一義的に明示されず、なんらの原則を有しないという意味で、組織神学的にはこれほど教義から遠いものはない。また常に社会状況や人間関係にも依存しており、それから析出された存在になることはできませんから、この意味でもキリスト教的な教義とは正反対である。ところが、構造神学的てきにいえば、「空気」は規範的に絶対であって所与性をもちます。「それが空気だ!」ということになると誰も反対はできず、「空気」に逆らうことは、とんでもなく悪いことだとされる。人間は「空気」の前ではいとも弱き存在であって、どんなに「空気」に抵抗しても無駄です。これを変えることなどできようがない。
 で、ここまでは、「空気」が日本教の教義であるための、いわば必要条件です。つぎに、問題は、それが日本教の教義であるための十分条件をいわないといけないのですが、これは少々難しい。日本教以外には「空気」はない、ということをいわないといけない。私はすべての宗教を研究したわけではありませんので、このことを完全にいうことはできませんが、これに近いことはいえるのではないかと思います。
 「空気」は、無条件にいかなる社会にも発生するというのではなしに、発生のための条件がいくつかある。まず、絶対的一神との契約という考え方がある社会では、絶対に「空気」は発生のしようがない。その契約のみが規範性を有し、それ以外に規範あり得ませんからね。この考え方をさらにひろめると、一般的規範が一義的に明示され、それが社会的状況からも人間関係からも析出されている社会にも、「空気」はあり得ません。つぎに、歴史という考え方のある社会でも「空気」は発生しない。なんとなれば、現在の「空気」によって是非善悪がきめられても、いつそれが歴史の審判によってくつがえるか分かりませんから、おそろしくて、「空気」などが暴威をふるいようがない。これが歯止めとなって「空気」の発生がおさえられるのではないでしょうか。日本で「空気」が発生しうるのは、規範が存在しないのに加えて、歴史的「時間」という考え方もない[から]。

山本  ええ、常にもう「今」しかないわけですから。だから「空気」は教義になり得るんですよ。


113-115頁


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上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)から



『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本です


2015年5月 1日 (金)

日本教における自然

前便 「日本教的ファンダメンタリズムの大成者」 にひきつづき

山本七平・小室直樹の対談 『日本教の社会学』 からの引用です

「自然」概念については 独自に研究したことがありますが

日本教論において こんなに中核的な概念であることには

当時、まったく無自覚でした お恥ずかしい

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山本  不干斎ハビアンは[…]いったん棄教するとキリスト教が決定的な問題になってきて、何よりもいけないとなる。何でいけないかといいますと、キリスト教は不自然だからいけないというんです。

小室  しかし、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の考え方からすれば、宗教というのはまず不自然であるべきなんですね。自然のままでいいなんていったら宗教なんて出てきっこない。聖書は[…]人間は自然のままほうっておいたらどんなに悪いことをする動物であるか、その例示で全巻が構成されているといっても過言ではない。それを制御するのが神との契約なのですが、これも自然のなりゆきにまかせておけば、人間は絶対に神との契約を守らない。そこで、神は預言者をつかわして警告し、もし神との契約が守られないのであれば、ユダヤの民を罰し、亡ぼそうとさえする。つまり、自然に価値があるのではなしに、神が作為的にきめた不自然きわまりない契約にのみ価値がある。

山本  日本人の発想はまさに逆ですよ。不自然じゃなきゃいけないんです。内心の規範まで自然的秩序(ナチュラル・オーダー)でなきゃいけないんです。これは前述の明恵上人にも出てきます。ところがそのことをいうと、「じゃヨーロッパの自然法とどう違うんですか」という質問が必ず出てくるんです。つまり自然法という考え方は、自然は本質であるといっても、同時に自由も本質であるという考え方が必ずあるんで、日本だと、つまり自由というのは自然のなかに組み込まれていて、自由という概念そのものが違っちゃう。たとえば、布施松翁(しょうおう)みたいな発想とすると、自然が自由なんですよ。従って、自然・自由は二つの本質ではないんです。
 たとえば、石田梅岩(ばいがん)がそうで、生命あるものは全部、自然の秩序を践(ふ)んでいる。だから「鳥類、獣類、形を践む。されど小人はしからず」なんです。小人というのは鳥類、獣類以下になる。それをどうすれば鳥類、獣類のように形に従って自然を践んで、いけるようにしてくれるかを説くのが聖人だ――といういい方なんですね。この発想はキリスト教とも儒教とも逆転してるんで、これはもう日本人独特の驚くべき宗教観なんです。

小室  これが山本さんのいわれた日本教ですね。[…]


106-8頁: ルビは括弧内に示した

引用者注:
    • 不干斎ハビアン(1565-1621)。もともと禅の修行者だったが切支丹となり、『妙貞問答』(1605)などで儒仏神を批判し、キリスト教の優越を説いた。晩年、修道女と駆け落ちし、棄教。一転、キリスト教の批判書『破提宇子』(1620)を著し、切支丹迫害者となった。
    • 明恵(1173-1232)。鎌倉時代前期の華厳宗の僧。戒律と修行を重んじる立場から、法然の「専修念仏」を激しく非難した。観行での夢想を記録した『夢記』が有名。
    • 布施松翁(1725-1784)。江戸中期の心学者。京都の人。近江地方から各地へと「心学」を開拓した。彼の心学は老荘と仏教思想が濃い。著書『松翁道話』(1812-)は江戸時代の通俗教育書の白眉とされ
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なお、前便にも書きましたとおり

『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本ですが、今や入手困難


そこで、上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)からのものです



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