儒学を入れるしかなかった近世神道、そして尊皇倒幕へ
山本七平・小室直樹 『日本教の社会学』 からの引用をつづけます
につづいて、四つ目のエントリになります
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山本 それで、日本の神道は儒学を入れないとなんとも方法がないんです。儒学を入れる点では全員一致なんです。熊沢蕃山、浅見絅斎でも山崎闇斎でも水戸光圀でも保科正之でも、みんあ徹底的に神道で、徹底的に儒学なんです。直方[佐藤直方]は例外です。すると神道の方からも、吉川惟足(これたる)などが出て神儒契合ができる。そのほかにも古神道、山王神道、山王一実神道、垂加神道、いろいろいいますけど、これがもっと古い時代、たとえば『神皇正統記』(しんのうしょうとうき)になると仏教が入り、儒教が入り、神道が入り、わけがわからないんです。ところが、その後の絅斎で非常におもしろい点は、各国が全部天をいただいているといい出すんです。そこに一種の対等論が絅斎で出るんです。豊葦原(とよあしはら)の中つ国、ということはつまり豊葦原の中国ということなんだ。中国は中国であるが、ただし、日本も中国である。つまり、中国は中国の天をいただいて四夷を夷狄(いてき)といっている。日本も日本の天をいただいて豊葦原の中つ国、すなわち中国として四夷を夷狄と見ていいはずだと。だから、これ、今度は向こうが夷狄なんです。
小室 これが近代主権概念の発端ですよ。相手国も自分のことを絶対と見ていいじゃないか、わしも絶対と見ると。絶対を概括しての対等なんです。相対的な多くのうちの一つ(ワン・オブ・メニュー)というだけじゃないんです。
山本 ええ、あそこで初めて近代的な国際法的な意識が出てくるんです。この点で、浅見絅斎は非常に進歩的なんです。これは確かに日本人の国家意識をつくった。実は、国学とか水戸学はつまりこれが入っていって初めてできるものであって、それ自身だけではどうしようもないんです。神道といっても、これが入っていって初めて形をなすんであって、神道だけであったら何ともならないです。だから国学とか水戸学が革命の思想だというのはおかしいんです。なぜ栗山潜鋒(せんぽう)が行って水戸学が形成されたのか。朱舜水からのムードはあるかも知れませんよ。だけど体系的にはなっていないんです。これができてくるのはやはり浅見絅斎の結果なんです。
[…]
山本 つまり水戸学は、そうした浅見絅斎の系統の理論が入って初めて革命思想として機能しだすんです。それまでの水戸学というのはなんだかわからない。完全に抽象化された理論じゃなくて雑学なんです。もっとも雑学は機能しますけど、しかし現実に機能すりゃいいじゃないかといったら、これは革命の思想になりません。たとえば天下の副将軍の光圀が、尊皇思想が基本であるといえばみんな信じて疑わないでしょうが、尊皇思想からすれば、否定すべき幕府の、自分はその責任者の一人でしょう。保科正之だってそうですよね。それが初めて一転するのは浅見絅斎。
小室 だから、光圀にはいろんな要素があるんですよ。一方において天皇絶対を説きながら、他方において幕府絶対を説く。
山本 彼は絶対に幕府を否定していません。浅見絅斎が出るまでの尊皇思想的なふうに見える思想家は全部そうなんです。山崎闇斎だってそうなんです。絅斎によって、それが一転する。尊皇倒幕のスローガンが明確に打ち出されてくる。
296-98頁: ルビは括弧内に示した
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上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)から
『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本です
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