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2016年2月の記事

2016年2月27日 (土)

[ワークショップ] オタクにとって聖なるものとは何か

新企画ライン 第6弾は 「宗教とオタク」! 皆さんのご参加、お待ちしております
 ・ 第1弾は 「映画」 でした (140302 開催)
 ・ 第2弾は 「食」 でした (140426 開催)
 ・ 第3弾は 「哲学」 でした (140517 開催)
 ・ 第4弾は 「音楽」 でした (140621 開催)
 ・ 第5弾は 「映画」でした (141122 開催)

※ 企画運営は 「エコノミメーシス R&D」。 この 「エコノ…なんとか…RD」 という集まりは 「藝術の宗教学 研究会」 を改名したものです

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エコノミメーシス R&D 第8回 ワークショップ 》


        オタクにとって聖なるものとは何か


宗教研究からするオタク論―― 意外とアカデミックな集まりになりそうです (*'▽')

○ 「オタク」 がしばしば宗教的になるのはどうして…?

○ 「オタク」 の宗教性はふつうの意味での宗教と同じなの、違うの…?

○ 「オタク」 が宗教と違うところ、むしろその独自性とはどこに…?

○ 「オタク」 はグローバルな宗教=文化動向となにか関係してるの…?

○ 「オタク」 の宗教性を語って、「オタク」 をどうしようというの…?


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日時 2016年2月27日(土) 13時30分-17時30分
           セッション終了後、18時まで 参加者の交流会をもちます

場所 日本女子大学 目白キャンパス 新泉山館 大会議室 ⇒ マップ

公開・参加費無料
事前に参加申し込みいただいた方にかぎり 当日、配布資料あり
   参加申し込み ⇒ http://www.economimesis.com/teaser/8/

   ※ 参加申し込みは 【当日 27日正午】 で打ち切らせていただきます。
     資料の印刷をする時間がこれでぎりぎりのためです。

パネリスト
  ・ 今井信治 (東京家政大学  非常勤講師)

題目(仮) 「拡張現実とアニメ「聖地巡礼」――来訪者アンケートを中心に」

キーワード 「拡張現実」「リアリティ」「ツーリズム」

主要参考文献

  • 北海道大学観光学高等研究センター文化資源マネジメント研究チーム(編)『メディアコンテンツとツーリズム―鷲宮町の経験から考える文化創造型交流の可能性』(北海道大学観光学高等研究センター、2009)
  • エドワード・ブルーナー『観光と文化――旅の民族誌』(安村克己・遠藤英樹他訳、学文社、2005=2007)
  • ディーン・マキャーネル『ザ・ツーリスト――高度近代社会の構造分析』(安村克己他訳、学文社、1999=2012)

  ・ 橋迫瑞穂 (立教大学  兼任講師)

題目 「『聖』なる少女のつくり方――『魔女っこ』と『ゴスロリ少女』」

キーワード 「少女」「モノ」「占い/おまじない」「データベース」「雑誌」

主要参考文献

  • 東浩紀『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、2001)
  • 大澤真幸『虚構の時代の果て』(筑摩書房、1996)
  • 大塚英志『「りぼん」のふろくと乙女チックの時代――たそがれ時にみつけたもの』(筑摩書房、1995)
  • 島薗進『ポストモダンの新宗教――現代日本の精神状況の底流』(東京堂出版、2001)
  • 見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社、1995)

  ・ 茂木謙之介 (東京大学大学院  博士課程)

題目(仮) 「〈オタク論〉と宗教学知 ― 1970~2010年代のメタヒストリー」

キーワード 「オタク論」「学説史」「大塚英志」「東浩紀」「澁澤龍彦」

主要参考文献

  • 大塚英志『「おたく」の精神史』(講談社現代新書、2004)
  • 東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001)
  • 澁澤龍彦『少女コレクション序説』(中公文庫、1985)

ファシリテータ
  ・ 川村覚文 (東京大学大学院  UTCP  特任助教)


趣旨

 現代日本のオタク文化のなかに、宗教的なものを見出すのはたやすい。オタクたち自身、いくらか自嘲気味に「ネタとして」、しかし内心ではかなりの真剣さをもって「ベタに」、みずからの行動や世界観を宗教用語であらわすことがある。その行動様式もまた、自覚的であろうとなかろうと、しばしば「まるで宗教のようだ」。例えば、原始宗教を思いおこさせる奇天烈な衣装、古代の崇拝(カルト)とみまがう踊りや礼拝、集団の祈りのごとき形式化された絶唱など。

 オタク文化を彩る作品群(漫画、アニメ、ゲーム、ラノベなど)にも、宗教的な表象が満ちあふれている。伝統宗教の場や象徴がそっくりそのまま採用されていることもあれば、元の文脈から引きはがされた有形無形の断片が作品に意味をあたえていることもある。また、オタク作品群につねにあらわれる超常的で霊的な存在や力は、「宗教」という固い表現になじまず、むしろ、「オカルト」「スピリチュアル」「俗信」といった表現の方がしっくりくることも多い。

 制作者と作品とオタクとが、こうした世界観において「何か」を交換しあい、多彩な文化をきずきあげているのだ。

 めくるめく伝統と霊性のオタク現象―― これをまえに、宗教研究には、重大な問いが突きつけられる。オタク文化はどうしてこうも宗教に「類似している」のだろうか。「共有されるなにか」があってこその類似のはずだが、それはなにか。はたして、オタク文化とは伝統的な宗教と「同じなにか」なのだろうか。それは「偶像崇拝」「多神教」「異教」と何が異なるのだろうか。あるいはまた、「宗教」という言葉をさけて、「スピリチュアル」「霊的」「俗信的」「空想的」などの言葉を使えば、それはうまく説明されるのだろうか。

 現在、宗教社会学の先端では、これらの問いが真摯にとりくまれている。本ワークショップでは、その潮流をけん引する4名の若手研究者を交え、「宗教研究からのオタク論」の今後について見通しをえたい。

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公式サイト http://www.economimesis.com/teaser/8/ 
参加申し込み 同上 http://www.economimesis.com/teaser/8/

企画運営 エコノミメーシス R&D
主   催  日本女子大学 文学部・文学研究科 学術交流企画

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2016年2月24日 (水)

20世紀における「反近代」の変容

こちらのワークショップ での主要参考文献のひとつ

島薗進 『ポストモダンの新宗教―現代日本の精神状況の底流』 (東京堂出版,2001年) より

近代は、「反近代」をつねに内包させてきた――

この事実が、ポストモダンを論じるのをいつもむずかしくさせます

この本では、とくに近代日本の新宗教団体の歴史に注目して

「反近代」の変容について語っている箇所があります

それは、「見えにくい、しかし大変大きな変容」だと言われています


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 幸福の科学が新新宗教[1970年代以降に発展した宗教団体]による近代的価値への批判のあり方の典型だというわけではない。これは一つの例にすぎないのだが、ここにポストモダン的な近代批判という点でこの時期[1990年を前後する時期]の時代相が如実に表現されているのも確かだろう。かつての新宗教[江戸時代の末期から1960年代までのあいだに発展した宗教団体]の中にも、西洋的近代への批判や唯物思想批判を唱えるものが少なくなかった。大本教はその代表的な例である。

 しかし同じく近代批判、唯物思想批判といっても、その意味が相当に異なってきている。大本教では「われよし」の態度が告発の主たるターゲットであり、相互扶助精神の崩壊を招く利己主義、私利追求主義が厳しくとがめられた。そこではヨコの連帯の意識が基礎にあり、それを脅かすものに批判が向けられた。新新宗教においてはヨコの連帯の意識は薄く、タテの秩序を回復することに力点が置かれている。資本主義的な自由競争を是認しつつ、差異に基づく階層的秩序を再建し、悪平等がもたらす混乱に対処しようとするのである。宗教はヨコの連帯や苦悩への共感のよりどころとしてよりも、聖なるものに基づく差異を確立し、距離をもって対すべきものの場所を指し示す根拠として理解されている。

 こうした相違は「反近代」、すなわち近代的価値への抵抗のモメントが、二〇世紀を通り過ぎる間にこうむった、見えにくい、しかしたいへん大きな変容を反映している。[1970年代以降]新宗教において地域の小集団が発展しにくくなってきたことは、第二章で述べた。これは身近な生活感覚を分かち合う人々のヨコの連帯の感覚が弱まってきたことと関わりがある。暖かい共同性の中に住まおうとしても、身近な生活空間の中では容易に実現しそうではなくなってきた。砂漠の砂粒のような孤立感に脅かされるとき、メディアを媒介としたゆるやかな連帯意識[たとえば、「新霊性運動=文化」にみられる]はとりあえずの落ち着き場所と見える。しかし、それは安定した秩序や根の降ろしどころを示してくれるものではない。

 自由競争が生活の隅々にまで浸透するとともに、画一的な平等主義の抑圧性が自覚されるようになり、相互扶助に根ざした共同性が現実性を失い、イメージすることも難しくなってきた。無理にそれを実現しようとすれば、内閉的な集団を構成することになってしまい、安定感を提供するように見えながら、実は抑圧性を強化するしかないというように見える。また、その方向をとるにせよとらないにせよ、ヨコの連帯よりも差異と階層性を強調する方向で、近代への抵抗を組織化する傾向が目立つようになってきた。秩序の元基をヨコの連帯よりも、聖なる中心と階層性の方に見出す考え方が力を得てきたのである。


236-237頁: 注は省略


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2016年2月17日 (水)

島薗進 『ポストモダンの新宗教』 (2001)

こちらのワークショップ での主要参考文献のひとつ

島薗進 『ポストモダンの新宗教―現代日本の精神状況の底流』 (東京堂出版,2001年) より

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 では、[ポストモダンの新宗教、すなわち「新新宗教」において] このように隔離型や個人参加型という両極端のタイプの教団がいくつも登場するようになったのはなぜだろうか。隔離型と個人参加型がふえてきたということは、中間型の教団の占める割合が [「旧」新宗教のなかで] かつては圧倒的多数だったのに、今ではかなり低くなってきたということでもある。いいかえると世俗生活と連続的な生活規範(「心なおし」の体系)の習得深化を目標とし、教祖や最高指導者から地域熱心家に至るヒエラルヒー的な指導者系列をもつ信仰共同体を形成することが困難になってきたということである。さらに、なぜそれが困難になってきたかといえば、世俗生活(一般生活)の道徳的秩序やそれを土台とする親密な人間関係が築く(守る)に足りるもの、守りうる(築きうる)ものと感じられなくなってきたからだろう。いいかえれば、情報化が進み、社会構造がますます複雑化・多様化し、人間関係の機能化が進んだために、人と人との絆が弱まり、それを反映して個人主義的な考え方が広まってきたということである。

 そうした状況で、一般社会に適合する方向でなお教団が形成されるとき、個人参加型の特徴を帯びるようになる。すなわち心なおしの教えが薄められ、信仰共同体も散漫なものになるという形である。こうした教団は時に、宗教書や救いの処方箋や瞑想法などの宗教商品を販売する会社のように見えることがある。一方、一般社会の趨勢に対抗し、道徳的一致や緊密な共同体の形成を目指すとき、隔離型の教団が形成される。つまり、一般社会とは断絶した強固な道徳規範と共同体を作ろうとするわけである。こうした教団は一般社会との厳しい緊張関係に立ち、社会問題を引き起こす可能性が少なくない。統一教会の霊感商法のように、他方で方便として宗教商品の販売会社的な活動を営むような場合にはなおさらのことである。


35-36頁


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