カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

2016年2月27日 (土)

[ワークショップ] オタクにとって聖なるものとは何か

新企画ライン 第6弾は 「宗教とオタク」! 皆さんのご参加、お待ちしております
 ・ 第1弾は 「映画」 でした (140302 開催)
 ・ 第2弾は 「食」 でした (140426 開催)
 ・ 第3弾は 「哲学」 でした (140517 開催)
 ・ 第4弾は 「音楽」 でした (140621 開催)
 ・ 第5弾は 「映画」でした (141122 開催)

※ 企画運営は 「エコノミメーシス R&D」。 この 「エコノ…なんとか…RD」 という集まりは 「藝術の宗教学 研究会」 を改名したものです

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エコノミメーシス R&D 第8回 ワークショップ 》


        オタクにとって聖なるものとは何か


宗教研究からするオタク論―― 意外とアカデミックな集まりになりそうです (*'▽')

○ 「オタク」 がしばしば宗教的になるのはどうして…?

○ 「オタク」 の宗教性はふつうの意味での宗教と同じなの、違うの…?

○ 「オタク」 が宗教と違うところ、むしろその独自性とはどこに…?

○ 「オタク」 はグローバルな宗教=文化動向となにか関係してるの…?

○ 「オタク」 の宗教性を語って、「オタク」 をどうしようというの…?


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日時 2016年2月27日(土) 13時30分-17時30分
           セッション終了後、18時まで 参加者の交流会をもちます

場所 日本女子大学 目白キャンパス 新泉山館 大会議室 ⇒ マップ

公開・参加費無料
事前に参加申し込みいただいた方にかぎり 当日、配布資料あり
   参加申し込み ⇒ http://www.economimesis.com/teaser/8/

   ※ 参加申し込みは 【当日 27日正午】 で打ち切らせていただきます。
     資料の印刷をする時間がこれでぎりぎりのためです。

パネリスト
  ・ 今井信治 (東京家政大学  非常勤講師)

題目(仮) 「拡張現実とアニメ「聖地巡礼」――来訪者アンケートを中心に」

キーワード 「拡張現実」「リアリティ」「ツーリズム」

主要参考文献

  • 北海道大学観光学高等研究センター文化資源マネジメント研究チーム(編)『メディアコンテンツとツーリズム―鷲宮町の経験から考える文化創造型交流の可能性』(北海道大学観光学高等研究センター、2009)
  • エドワード・ブルーナー『観光と文化――旅の民族誌』(安村克己・遠藤英樹他訳、学文社、2005=2007)
  • ディーン・マキャーネル『ザ・ツーリスト――高度近代社会の構造分析』(安村克己他訳、学文社、1999=2012)

  ・ 橋迫瑞穂 (立教大学  兼任講師)

題目 「『聖』なる少女のつくり方――『魔女っこ』と『ゴスロリ少女』」

キーワード 「少女」「モノ」「占い/おまじない」「データベース」「雑誌」

主要参考文献

  • 東浩紀『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、2001)
  • 大澤真幸『虚構の時代の果て』(筑摩書房、1996)
  • 大塚英志『「りぼん」のふろくと乙女チックの時代――たそがれ時にみつけたもの』(筑摩書房、1995)
  • 島薗進『ポストモダンの新宗教――現代日本の精神状況の底流』(東京堂出版、2001)
  • 見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社、1995)

  ・ 茂木謙之介 (東京大学大学院  博士課程)

題目(仮) 「〈オタク論〉と宗教学知 ― 1970~2010年代のメタヒストリー」

キーワード 「オタク論」「学説史」「大塚英志」「東浩紀」「澁澤龍彦」

主要参考文献

  • 大塚英志『「おたく」の精神史』(講談社現代新書、2004)
  • 東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001)
  • 澁澤龍彦『少女コレクション序説』(中公文庫、1985)

ファシリテータ
  ・ 川村覚文 (東京大学大学院  UTCP  特任助教)


趣旨

 現代日本のオタク文化のなかに、宗教的なものを見出すのはたやすい。オタクたち自身、いくらか自嘲気味に「ネタとして」、しかし内心ではかなりの真剣さをもって「ベタに」、みずからの行動や世界観を宗教用語であらわすことがある。その行動様式もまた、自覚的であろうとなかろうと、しばしば「まるで宗教のようだ」。例えば、原始宗教を思いおこさせる奇天烈な衣装、古代の崇拝(カルト)とみまがう踊りや礼拝、集団の祈りのごとき形式化された絶唱など。

 オタク文化を彩る作品群(漫画、アニメ、ゲーム、ラノベなど)にも、宗教的な表象が満ちあふれている。伝統宗教の場や象徴がそっくりそのまま採用されていることもあれば、元の文脈から引きはがされた有形無形の断片が作品に意味をあたえていることもある。また、オタク作品群につねにあらわれる超常的で霊的な存在や力は、「宗教」という固い表現になじまず、むしろ、「オカルト」「スピリチュアル」「俗信」といった表現の方がしっくりくることも多い。

 制作者と作品とオタクとが、こうした世界観において「何か」を交換しあい、多彩な文化をきずきあげているのだ。

 めくるめく伝統と霊性のオタク現象―― これをまえに、宗教研究には、重大な問いが突きつけられる。オタク文化はどうしてこうも宗教に「類似している」のだろうか。「共有されるなにか」があってこその類似のはずだが、それはなにか。はたして、オタク文化とは伝統的な宗教と「同じなにか」なのだろうか。それは「偶像崇拝」「多神教」「異教」と何が異なるのだろうか。あるいはまた、「宗教」という言葉をさけて、「スピリチュアル」「霊的」「俗信的」「空想的」などの言葉を使えば、それはうまく説明されるのだろうか。

 現在、宗教社会学の先端では、これらの問いが真摯にとりくまれている。本ワークショップでは、その潮流をけん引する4名の若手研究者を交え、「宗教研究からのオタク論」の今後について見通しをえたい。

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公式サイト http://www.economimesis.com/teaser/8/ 
参加申し込み 同上 http://www.economimesis.com/teaser/8/

企画運営 エコノミメーシス R&D
主   催  日本女子大学 文学部・文学研究科 学術交流企画

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2013年2月21日 (木)

3/3 「藝術の宗教学」研究会 映画部門(関東)第2回研究会 『崖の上のポニョ』を観る

東日本大震災のため 流れに流れていたこの企画

諸方面からのお力添えで再開することにいたしました

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「藝術の宗教学」研究会
映画部門(東京) 第2回研究会

―― 「童話・神話・《ホラー》 ―『崖の上のポニョ』から― ――

  • 日時: 3月3日(日)14時~18時
    •  14:00~14:10 はじめに
    •  14:10~14:50 近藤による研究発表 「童話・神話・《ホラー》」
    •  14:50~15:10 質疑応答 & 意見交換
    •  15:10~15:20 休憩
    •  15:20~17:00 DVD上映 『崖の上のポニョ』 (2008年)
    •  17:00~17:30 おわりに
    •  18:00~ 懇親会 (場所をうつして)
  • 場所: 日本女子大学・目白キャンパス
    •  参加ご希望の方 私までご連絡を 教室名をお伝えします
    •  右リンクより「プロフィール」頁へどうぞ メールアドレスがございます
    •  また、ツイッタIDをお持ちの方は こちらの TwiPla  からもどうぞ

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DVD上映は予定どおりにおこないますが

コメント、意見交換のため 終了時刻はやや遅くなるかもしれません

(途中参加・途中退席 無問題!)

無償非営利・教育研究目的

皆さん どうぞお集まりくださいませ

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<参考資料>

「 『崖の上のポニョ』は大傑作の「童話=神話=《ホラー》」だ、って今更…」
http://togetter.com/li/98855

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2010年11月30日 (火)

斎藤環 『戦闘美少女の精神分析』 より

去年の夏から 早1年数か月

《想像力》 について具体的に考えてみたくて

現代日本のアニメやマンガについて 色々な方から教えを得てきた

そのなかで、 複数の方がたから紹介された本がある

  • 斎藤環 『戦闘美少女の精神分析』 (ちくま文庫, 2005[原2000]年)

である

読みだしてみると、 すごく面白い指摘がいくつもあった

たとえば、「おたく」と「マニア」の違い、 とか

その中でも とくに面白いパートがあったので

長くなるが、 ぜひ引用紹介させていただきたいと思います

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以下引用

 この年 [1987年] にはまた荒木飛呂彦の代表作 『ジョジョの奇妙な冒険』 の連載がはじまっている。 本作品もまた戦闘美少女が登場しない名作として取り上げるが、 これには私的な思い入れもあってのことだ。 以前私は 『ユリイカ』 誌上で荒木にインタヴューしたが、 そのさい、 さまざまに興味深い事実があきらかになった。(6) まず、 荒木がおたく的なものを意図的に排除しようとしている点である。 荒木が連載を持つ 『少年ジャンプ』 は目下、 子供向け、 おたく向け、 一般向けといった複数モードの作品が入り乱れる状況にあるが、 彼はとりわけ 「おたく向け」 の絵柄を平板なものとして退ける。 戦闘美少女をほとんど登場させないのもそのゆえであろう。 荒木が愛好するのは映画・小説・ロックであり、 いずれもおたくの苦手科目ばかりである。

(6) 荒木飛呂彦、斎藤環 「書き続ける勇気」 (対談) 『ユリイカ』 二九巻四号、 青土社、 一九九七年。

 荒木の絵柄は 『JoJo 6045』 といった作品に見られるように、 イラスト作品としても鑑賞に耐える陶酔的なまでに見事なものだ。 あらゆるアイディアを可視化しよういう荒木の欲望は、 私の知る限り、 メジャーな作品としては漫画史上もっとも複雑なパースと視点の変換を駆使したトリッキーな漫画に結実した。 しかしそれのみでは漫画としてのリアリティを維持できない。 戦闘美少女ものが、 次章で述べるように少女のセクシュアリティをリアリティの核に置くとすれば、 荒木漫画の核となるものは何であろうか。

 荒木は多大な影響を受けた作家の一人として、 梶原一騎の名を挙げている。 意外な名にも思えるが、 科白や情念の表現には、 たしかに梶原作品の名残がみてとれる。 そう、 荒木が意識的に作品の核に置くのは、 梶原作品に由来する情念、 パトスの表現である。 一見グロテスクな伝奇ものにもみえる本作は、 こうした荒木の作家意識ゆえに、 実は少年漫画の王道たりえているのだ。 後述するアニメ作品 『新世紀エヴァンゲリオン』 をきっぱり否定する彼の作品は、 アニメ的な自意識の葛藤を回避すべく、 圧倒的な情念描写を前景化させるという古典的技法によって支えられる。

 しかしその荒木自身が、 かつて 『ゴージャス☆アイリン』 (一九八五) という小品を描いていた事実も見落とせない。 ストーリーは不幸な生い立ちの無垢な少女 (記憶喪失!) が、 友情を示してくれた男性を守るべく、 化粧によってセクシーな女戦士に変身し、 キメ科白とともに戦闘を開始、 敵 (しばしば成人女性、 ただし化け物) を 「死のメイクアップ」 によって倒す、 という 「変身少女系」 の定番である。 変身シーンでの彼女の発生は、 この系列における変身の意義を全く見事に言い当てている。 そう、 「少女の変身」 ――それはしばしば、 ヌードのシルエットを通過して起こる―― はあくまでも性的恍惚として表現されなければならないのだ。 アニメ的ではない絵柄がむしろ新鮮な佳作であるが、 荒木自身は本作によって 「自分には女の子が描けない」 と悟ったという。 この断念の意味は、 きわめて重い。 われわれはここで、 アニメ的表現というものが単なる絵柄の問題ではなく、 作家の嗜好のありようにおいて成立している可能性を念頭に置く必要がある。

 おそらく映画や小説の良いユーザーでなくとも、 優れた映画や小説を作ることは可能だ。 例えば映画監督 ・ 北野武や小説家 ・ 中原昌也の創造性は、 彼らが映画や小説の歴史ないし文脈に無知であることによって成立しているようにすら見える。 しかしアニメの伝統や文脈に無知な非おたく作家には、 決して良質なアニメ作品が作れないだろう。 アニメ作家であるためには、 この平板な世界に耐え、 むしろそれを偏愛する才能を必要とするのだ。 そして、 この才能を育む契機となるのが、 アニメに 「萌え」 るという行為である。 すでに宮崎駿について指摘したように、 アニメを愛することはすなわち、 アニメの美少女を愛する (萌える) ことなのだ。 外傷体験としての 「萌え」 が契機となってアニメ作家が生まれ、 彼が創造したヒロインに次の世代のファンが萌える。 こうした外傷としての 「萌え」 の連鎖が今日のアニメ文化の底流にあることを、 私はほぼ確信している。

引用おわり―― 『戦闘美少女の精神分析』 218-221頁 注も原文のまま

なお、 引用文中にある 『JoJo 6045』 なる作品だが

引用者が調べたかぎりでは 同題のものは見つからなかった

『JOJO6251』 という画集はあったのだが…

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文庫版で3頁ほどのこのパートには、 本当に多くのことが言われている

いちいち指摘はしないが、 お分かりの方には すごくよくお分かりだろう

2010年2月10日 (水)

よい作家になりたいです。 人や世界を愛したいです

前便 「どれほど苦しくて惨めで寂しくとも」 より つづく

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  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

前便 での引用 最終段落を再録いたします

どれほど苦しくて惨めで寂しくとも半歩間違えれば一生を役立たずのまま棒に振ることになろうとも自分で罪を背負って自分のしあわせは自分の現実は生きることの意味は自分で決めていかなければならない。 ボクもボクのマンガを読んでくれる人もそうやって今日生きている。

上巻 「愛 [AI-REN] 人2巻のためのあとがき」 468頁

この 《生》 から どこへと走り抜けうるのか

逃走でも 差異のたわむれでもない、 しかして

たしかに十二分に再帰的で それでいて生きるに足る 《生》

主客二元論の罠にからめとられないようにして

それでも 「確かだ!」 と肯定しうる そのような 《生》――

それは どのようなものとして ありうるのでしょうか

作品 『愛人 [AI-REN]』 の全体が まさにその答えですが

作者 田中ユタカさん の 「あとがき」 の中のコトバも

もうひとつの見事な答えになっています

40歳を過ぎて、 自分の人生が一回きりの有限なものであることがリアルな感触をもって急速にくっきりと感じられるようになってきました。

永遠に生きたいと願う気持ちは湧いてきません。

ただ、 自分に許された時間を大事に生きたいという気持ちが強くなりました。

よい作家になりたいです。

人や世界を愛したいです。

きちんと生きようと思います。

きちんと生きて、

出来る限り、 最後まで長生きしようと思います。

僕は一生をかけて少しでも良い作家になりたいと思います。

そのことに人生を使おうと思います。

下巻 「あとがき」 607頁

「2008年12月」 の日付があります

2009年2月刊行の 『愛蔵版』 への 「あとがき」 のようですね

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一篇の “詩” である この 「あとがき」 は

『愛人 [AI-REN]』 という作品と格闘し

キャラクターたちの 《生・愛・死》 を 誰よりも近いところで眺め

そこから “教え” られた 田中さんが至った

ある真理であるのは 疑いがないわけであります

2010年2月 9日 (火)

どれほど苦しくて惨めで寂しくとも

前便 「《外部》 の体験、 その聖と俗」 より つづく

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  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

さらに引きつづき 作者 田中ユタカさん のコトバを

引用紹介させていただきます

この作品は 大変な傑作だと思うのですが

その世界観、 SF的な設定云々ではなく

“セカイ” の現前の様態が どのようなものとしてあるのか

主人公たちがおかれる情況、 巻き込まれる力学

それによって練り上げられていく内面のセカイが

どのようなものとしてあるのか

作者と作品と読者とのあいだで おのずと共有されるだろう

そのような意味での セカイ観がどのようなものであるのか

田中さんご自身が 非常に的確に コトバにしておいでです

ちょっと長くなりますが、 どうぞお付き合いくださいませ

現代は、 万人に通用する既製品としての “しあわせ” や “生きることの意味” が役に立たなくなってきている。

神様や国家や会社やおカネ、 あるいは仲間や家庭や恋人、 正義や愛といったいままであった、 人を “しあわせ” にしてくれるもの、 “生きる意味” を与えていくものにかかっていた魔法が片っ端から解けていっているそんな時代だと思う。

足場が崩れてきている。 どこにも属するべきアテが見つからない。

そうゆうメンドクサイことはとっとと麻痺させてしまうのが世の中に適応するコツ、 だとか今が楽しけりゃそれでいいじゃんなんてのは、 今さらって感じがする。 なげやりで空疎な強がりだ。

もっとリアルで切実なんだ。

今やボクたちは自分の人生の結末についてかなりヴィジュアル的にさえイメージできる (事件や事故に遭わない限り) 老いて、 病んで、 死ぬ。 他にはないと知っている。 生まれる前から山ほどのハンディキャップを背負わされていると知っている。 癒えることのない傷を生涯抱えていく以外ないと知っている。 そこから目をそらせば卑しくなるとわかっている。 今日より明日が必ずよくなるということはないと知っている。 次の代が今より豊かになることはおそらくあり得ないと知っている。

逃げ場所はもはやどこにも転がっていない。

後戻りはない。

みんな魔法は解けてしまった。

もう、 知らないどこかの大きな立派な人が 「君はそこにいるだけで価値があるんだ」 などと安心させてくれることはない。

自信がなくても誰も保証してくれなくても遂に最後まで曖昧なのもの [ママ] でしかなくともひとりひとりが一度しかない自分の生涯を使って自分で探す以外の選択肢は残されていない。

どれほど苦しくて惨めで寂しくとも半歩間違えれば一生を役立たずのまま棒に振ることになろうとも自分で罪を背負って自分のしあわせは自分の現実は生きることの意味は自分で決めていかなければならない。 ボクもボクのマンガを読んでくれる人もそうやって今日生きている。

上巻 「愛 [AI-REN] 人2巻のためのあとがき」 468頁

旧版第2巻 (2000年9月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた

「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 上巻に再録されている

そこからの引用でした

====================

このような 《生》 のただ中から 作品のキャラクターたちは

どのような 《生・愛・死》 を 自らのものとして引き受けていったか

このこともまた、 田中さんご自身が 

とても鮮明なコトバにしておいでです

次便にて!

<つづく>

2010年2月 8日 (月)

《外部》 の体験、 その聖と俗

前便 「自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか」 より つづく

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  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

前便につづいて 再び

作者 田中ユタカさん のコトバを 引用させていただきます

一つの物語を長期間かけて描くというのはボクにとっては 「愛人 [AI-REN]」 が初めての経験です。 やってみてわかったのですが、 長い物語を長い時間をかけて描くという作業は、 予め決められた予定を順次消化していくような行為とはまったく違ったということです。 それはむしろ発掘作業に近いと感じました。 きっとここにはこういう素晴らしいものがあるはずだ、 と信じて少しずつ少しずつ注意深く掘り出していく。 もちろんそれが大体どんなものかは分かってはいる。 だが、 この手で掘り出してみるまでは本当の姿は分からない。 おかげでボクと担当の中澤さん (ショーちゃん) は大発見を信じる砂漠の考古学者の有様です。 また、 こんな感じでもあります。 どんなに悩んだ時でも、 その言葉や絵や展開が 「正しい」 かどうかというのは瞬間的に厳然として分かります。 頭の中のランプがオール・グリーンに変わって 「それが正解だ!!」 と教えてくれます。 まるでどこかの空間に 「愛人 [AI-REN]」 最終話までの厳密な設計図がすでにちゃんと用意されているんじゃないかという感じで。 逆に台詞一つでも間違うと 「違う!! 違う!! それじゃない!!」 と警報が発せられます。 その警報は強烈でとても無視して作業を続けることが出来ないほどのものです。

しかも、 その設計図は意地が悪く、 決して積極的に正解を教えてくれたりはしない。 正解かどうかの判定を無慈悲に下すだけです。 どうやら今のところ設計図からは外れていないみたいです。

下巻 「愛 [AI-REN] 人3巻のためのあとがき」 84頁

旧版第3巻 (2001年7月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた

「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 下巻に再録されている

そこからの引用でした

====================

ギリギリのところまで 自分を追い込みながら

何かのモノを作り出す作業をしたことのある方なら

皆さん 共有されている感覚であり、 体験でありましょう

一介の無名学者である僕にすら これは強烈にあるぐらいですから

田中さんのコトバで 宗教学者として注目しておきたいのは

創作活動 (まったく 《世俗的な》 概念です) の極点における

自己の 《外部》 の体験 です

もうすでにそこにあって、 掘り出されるのを待つ 「素晴らしいもの」――

正しさを 「教えてくれる」 何か――

どこかの空間に用意済みの設計図というイメージ――

無視できないほどに強烈な警報――

こちらに対して 「判定を無慈悲に下すだけ」 の何か――

《外部性》 の体験は こうしたコトバに鮮明です

では、 いつも掲げる問いを ここでも

この体験と いわゆる 「宗教体験」 は同じなのか、 違うのか?!

2010年2月 6日 (土)

自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか

何きっかけだったか 忘れたけれど

1年ほど前に購入し、 ずっと積ン読状態だった

  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

先日 読了した

えらい本にぶつかっちゃったもんだ、 と大満足!!

全然知らないけれど 凡百の “セカイ系“ とは

一線を画すんじゃないだろうか・・・

こういう作品は めったにお目にかかれないはずだから

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たくさん書きぬきメモをしておきたいコトバがあった

まずは 一つ目

ごく私的なノートとして、 自戒をこめて

「愛人 [AI-REN]」 はボクにとて職業人としての 「青春の賭け」 の作品です。

「賭け」 の結果がどうなるかボクにもまだわかりません。

でも、 一度は自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうかを見極めなければならないのだと思います。 ちゃんと自分の足で、 行けるところまで、 その一番果てまで行ってみなければならないのだと思います。

下巻 「愛 [AI-REN] 人4巻のためのあとがき」 315頁

旧版第4巻 (2001年12月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた

「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 下巻に再録されている

そこからの引用でした

====================

自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか

何度も読みかえして覚えてしまいたい

僕にとっては そんなコトバです

<つづく>

2010年2月 4日 (木)

マンガ強化月間 敢行中

漫画マニアでは 全然ッ ない!

そもそも あんまり読まない

が、 思うところあって マンガ強化月間 を自らに課してみた

この秋、 アニメ強化月間をやってよかったので 性懲りもなく

アンテナが反応した作品を ただいくつか読んだだけだが

あらためて ジャパンのMANGAはクールだ、 と

ログとして 読んだ作品を こちらにあげておきます

「読書メーター」 には ヒトコト寸評を書いていますので

あわせてご覧いただければ うれしいです

「mittskoさんの読み終わった本」 にあります

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  • 諸星大二郎 『私家版鳥類図譜』
  • 福満しげゆき 『僕の小規模な失敗』
  • 吾妻ひでお 『失踪日記』

  • 諸星大二郎 『彼方より ― 諸星大二郎自選短編集』
  • 諸星大二郎 『マッドメン (1)』
  • 諸星大二郎 『マッドメン (2)』

  • しりあがり寿 合本 真夜中の弥次さん喜多さん』
  • 弐瓶勉 『NOISE』
  • 弐瓶勉 『BLAME! 全10巻完結』

  • しりあがり寿 『弥次喜多 in DEEP』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

2009年10月28日 (水)

時をかける少女

こちらのエントリ につづき、 アニメ強化月間の報告です

====================

  • 「時をかける少女」 (細田守, 2006年)

観ました

「サマーウォーズ」 (2009年) が もひとつだったので

評判の高いこの作品で リベンジ! と

よかったです

「アハハハ」 と 声出して笑えるところがありましたし

さわやかで 切ない! まさに青春です!

こういうのに 少しは感じ入ることのできる自分に

ちょっと安心しました catface paper

僕として特筆しておきたいのは キャラクタ・デザインです

担当は 天下の 貞本義行さん

まぁ 賛否両論、 好き嫌いはあるんでしょうが

やっぱり透明でキレイです、 貞本キャラの存在感は!

僕が思い出したのは

  • 「ストップ!! ひばりくん!」 (江口寿史)
  • 「バタアシ金魚」 (望月峯太郎)
  • 「SEX」 (上條淳士)

いずれも、 バンカラ好きの田舎ヤンキー少年の僕に

「オシャレ」 を気づかせてくれたマンガです

実際、 「時かけ」 には 上條淳士さん を彷彿とさせる

そんなカットが けっこう頻繁に出てきますね

「かっちょいいなぁ このセンス・・・」 と

何か あの頃に感じた 都会的なものの感触

それを あらためて感じさせてくれた―― そう思いました

僕の都会へのあこがれって 意外とこんなところにあるのかも

====================

閑話休題…

本エントリにて、 アニメ強化月間は とりあえずの打ち止めです

ほかに観たい作品、 観るべきと思わされる作品が

見当たらないからです

『パプリカ』 (今敏, 2006年) ぐらいかなぁ、 あとは

どちら様か ぜひ! ご紹介いただけないものでしょうか

お願いいたします  (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

2009年10月15日 (木)

電脳コイル

こちらのエントリ につづいて、 アニメ強化月間の報告――

  • 「電脳コイル」 (磯光雄, 2007年)

観ました

切れ味抜群の宗教学者 大田俊寛さん のHP ではじめて知って

これはみなきゃ! と思い知らされ

大田さんも 「夏休みにどうぞ」 と書いておられたので

夏休みをかけて ちょっとちょっと 観ていきました

よかった、 というか 正直 圧巻でした

これだから 星雲賞もそうですが、 日本SF大賞!

信頼してるところがあるんです

VRやARという 最先端情報技術を素材にした近未来SF

ということになるんでしょうが

(1)

テーマが ごくごく古典的なんですね

もちろん これは讃辞です!

少年少女の試練と成長、 別離と友情、 冒険と探検

おとなとこども、 想いと技術、 魂と肉体、 男子と女子

魔術と体術、 親分と子分、 お袋のゴハンに親父のゲンコツ

駄菓子屋と校舎、 謎の転校生、 秘密の場所、 秘密の基地

などなど どれもこれも 《子ども》 の世界につきささります

昔ながらの 良質の 《児童文学》 ですね、 これは!

(2)

そこに、 一方で 神社、 自由研究、 地蔵、 鳥居、 入道雲

なんかの 昭和期日本的なものが

もう一方で、 企業、 行政、 情報技術、 いじめ

なんかの 現代日本社会的なものが

この作品を特徴的なものにしています

昭和40年代生まれの僕には このミキシングはたまりませんが

今の子供たちも これを喜んでくれたのかなぁ・・・

(3)

そして、 想いと魂の領域としての異界/霊界と 電脳空間――

これ以上書くとネタバレになりますから 書きませんが

その二つ (ないしは三つ) の空間相の 絶妙な貫通!

見事としか 言いようがありません

終盤なんか もぉ ハラハラしちゃって かわいそうで

すっかり オッサン目線で 感情移入してしまいました

(韓流恋愛ドラマにはまる おばちゃん、 おばあちゃんのごとし)

====================

DVDだと一気見できてしまうのが かえって残念でした

伏線をはって 思わせぶりに一話を終える

これまた王道の手法は健在

全26話という長さも ちょうどよかったように感じました

毎週毎週 次のお話を楽しみに ワクワクしている

最終回がいやで 悲しくなってしまう――

塾通いでいそがしい小中学生が

そんな体験を もしもってくれたなら、 なんだか

すごくうれしいし、 うらやましいですよ (笑)

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動画は あえてパフュームで

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