カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2015年11月11日 (水)

映画上映会 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』

大学の公式サイトには告知が出てないようですが…

映画上映会やります (。・ω・。)

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インドって、どういう国? 映画で知るインド事情

映画 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』 を通して

日時 2015年11月12日(木) 14:30~17:30

場所 日本女子大学 目白キャンパス ランゲージ・ラウンジ

※ 予約不要、無料
※ 非営利 研究教育目的



留学生など学生さんの企画で お声かけいただきました ('ω')

この映画、実は 「アヨーディヤー暴動」 を背景にしておりまして

私の研究テーマそのものなのであります

簡単な背景説明などをしながら、たのしく映画鑑賞したいと思います

学外の方でお越しになりたい方、いらっしゃれば 私にお声かけを!

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<追記 151113>

うえで「アヨーディヤー暴動」云々と書きました

しかし、映画を実際にみたら アヨーディヤーかどうかはわからないな、と気づきました

「ボンベイ」ではなく「ムンバイ」という語を易々ともちいるなど(改名は1995年)

むしろ、「アヨーディヤー暴動」ではないのかな、その後の暴動かな、と

劇場で一回観ただけだったため、勝手な思い込みをしてたようです

インド研究者の端くれとして、お詫びして訂正します

2014年11月18日 (火)

[ワークショップ] 映画の撮影の現場に立ち会う!

新企画ライン 第5弾は ふたたび「映画」ッ! 皆さんのご参加、お待ちしております
 ・ 第1弾は 「映画」 でした (140302 開催)
 ・ 第2弾は 「食」 でした (140426 開催)
 ・ 第3弾は 「哲学」 でした (140517 開催)
 ・ 第4弾は 「音楽」 でした (140621 開催)

※ 大変急なのですが、開催五日前の告知となってしまいました

※ 16時半から17時のあいだにセッションが終了します。その後、18時ごろまで 参加者の交流会をもちます。どうぞふるってご参加くださいませ。

※ 企画運営は 「エコノミメーシス R&D」。 この 「エコノ…なんとか…RD」 という集まりは 「藝術の宗教学 研究会」 を改名したものです

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エコノミメーシス R&D 第7回 ワークショップ 》


        映画の撮影の現場に立ち会う!


日頃からご協力頂いている

榎本憲男監督の長編最新作『森のカフェ』撮影現場を見学します。

参加希望を表明頂いた方には、

当日撮影予定部分の「脚本」と「絵コンテ」を事前にお渡しします。

どのように「脚本」から「絵コンテ」になっているのか、

どのように「脚本」と「絵コンテ」が、映像になっていくのか、

この2つを実際の撮影現場に立ち会い、考察してゆきましょう。

スケジュールが急ですが、奮ってご参加ください。

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日時 2014年11月22日(土) 14時-17時
           セッション終了後、18時まで 参加者の交流会をもちます

場所 日本女子大学 目白キャンパス 百年館 高層棟 ⇒ マップ

公開・参加費無料
Peatix  http://emrdspecial.peatix.com  ← 参加申し込みはこちら

コーディネータ
  ・ 榎本憲男 (映画監督・日本大学非常勤講師)
  ・ 近藤光博

趣旨

 私たちは日ごろ、さまざまな「作品」に接しています。作者たち(作り手)と私たち(受け手)とは、「作品」を介して、実はとても密な、そして複雑な関係を、いくつもいくつも交わしつづけています。「メディア社会」という言い方もあります。

 作り手は自由です。自分たちの作りたいものを、かかる経費や時間とのかねあいのなかで、一生懸命に生み出します。そして受け手もまた自由です。「作品」をどのようにあつかおうと、だれも、なにも、それを止めることはできません。無視してもいいし、命がけの応援をしてもいいし、するりと消費してみせるだけでもよいわけです。

 さて、ここで考えてみたいことがあります。メディア作品であふれかえる私たちの人生において、当の「作品」はどこにあるのでしょうか。

 なるほど、フィルムやブルーレイディスクやスクリーン、あるいは印刷物、それらの媒体のうえにあらわれる、あの視聴覚情報こそが「作品」なのだ、ということでよいような気もします。

 しかし、それは少々単純すぎる考え方ではないでしょうか。もう一歩さきにすすんだとき、こんな見方があらわれてきます――「作品」とは、作り手(オーサー、パブリッシャー、エンジニアなど)のねらいと主張と技術の表現である。

 いかがでしょう、この見方は、受け手を文字どおりの単なる「受け手」においてしまうわけですが、私たちはそれで本当に満足できるでしょうか。受け手と作り手が微妙に、あるいは大胆にすれ違うことのほうが、私たちの「作品」経験において、むしろ多いのではないでしょうか。実は、受け手はもっともっと能動的に、「作品」を生み出す役割をはたしているのではないでしょうか。

 社会のメディア化がますます深まっていくなか、私たちは、じぶんの人生を、「作品」との関わりにおいて決定づけています。意識的にであれ、無意識的にであれ、個人的にであれ、集団的にであれ、そうなのです。だからこそ、もうすでに日常的にもたれている「作品」経験をとらえなおしてみることは、きっと、この混沌とした時代を上手にきりぬけていくための、たしかな足がかりになるはずです。

 私たちのワークショップは、映画撮影の現場にお邪魔します。そこで私たちは、滅多にもつことのないタイプの「作り手と作品と受け手との関係」をもつことになるでしょう。そこでなにかが生まれれば、こんなに嬉しいことはありません。皆さまのご参加をお待ち申し上げます。

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公式サイト http://www.workshop.economimesis.com/
Peatix    http://emrdspecial.peatix.com ← 参加申し込み

企画運営 エコノミメーシス R&D
主   催  日本女子大学 文学部・文学研究科 (仮)

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2014年9月18日 (木)

映画の宗教学 ―映画の層構造と《底》あるいは《魔》―

去る12日、日本宗教学会で 標記のような発表をさせていただきました

ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました

当日、フロアよりいただいた質問への応答、時間切れで言えなかったこと

書き加えたものを 「配布資料 第2稿」 としてアップさせていただきます

冒頭にしゃべったのはこんな感じのことでした

  • 私は宗教学でなぜ映画論をやるのか。 《世俗》を究明できるはずだ、と考えるからです。
  • 映画を《世俗》の制度としてとらえ、映画の《世俗性》をより稠密に解明すること。
  • そうすることで、《世俗》そのものを究明すること。
  • ポスト宗教概念批判の宗教学には 「《世俗》の宗教学」 が要請されている、というのが私の考えですが、そのために映画論に精をだしているわけです。
  • しかしこうした研究は、欧米圏の Religion and Film においてすら、ほぼまったく未発達です。(というよりも、独自すぎるのかもしれません)
  • そこで本発表は、その予備的な考察をすることで満足するしかありません。
  • 具体的には、観客の映画体験から映画の成り立ちを解明することに取りくみます。
  • ハイライトは、「えも言われぬ体験」 「表しえないもの」 と私が名づけたことです。
  • しかし、発表時間は15分しかありませんから、そこへの着目が必要なんだ、と指摘するところまでで、今日のところはおわるしかありません。
  • それでは、本論に入ります。
いかがでしょう、ご興味をもたれますか?

下記リンクより、この資料をご笑覧いただければ幸いです

2014年3月28日 (金)

『それでも夜は明ける』(12 Years A Slave) を語る

始めてみました 「ミツコチャンネル mittsko channel」

こちらが第6弾になります

米アカデミー作品賞をとった話題の一作 『それでも夜は明ける』

どうぞご笑覧ください(*^_^*)


2014年3月20日 (木)

『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』を語る

先週から始めました 「ミツコチャンネル mittsko channel」

昨日につづき今日も! 映画語りをやってみました

(明日ももう1本、あげちゃいます 三日連続ですよ)

どうぞご笑覧ください(*^_^*)


2014年3月19日 (水)

映画批評 「ミツコチャンネル mittsko channel」 始めました

「観賞メーター」にて 映画感想をさんざん書いてきました

この度、動画で映画批評をやり始めました(*^_^*)

「mittsko channel ミツコチャンネル」 といいます

最新、第3回を下に貼っておきます、ご笑覧くださいませ


2014年1月24日 (金)

[ワークショップ] 映画は宗教である――藝術と産業のはざまの「永続的なもの」「非合理的なもの」

※ 16時半から17時のあいだにセッションが終了します。その後、18時まで 参加者の交流会をもつことにしました。どうぞふるってご参加くださいませ。【140228  追記】

※ 予算審議、無事通過しました 本日現在、予算面で学内の審議を経ていないので 勇み足ですが… 日程も迫っていますので 告知させていただきます

※ 「日本女子大学文学部・文学研究科」主催、「エコノミメーシス R&D」企画運営。 なお、この 「エコノ…なんとか…RD」 という集まりは 「藝術の宗教学 研究会」 を改名したものです

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エコノミメーシス R&D 第3回 ワークショップ 》

           映画は宗教である

―藝術と産業のはざまの「永続的なもの」「非合理的なもの」―



日時 2014年3月2日(日) 14時-17時
           セッション終了後、18時まで 参加者の交流会をもちます

場所 日本女子大学 目白キャンパス 新泉山館1F 大会議室 ⇒ マップ

公開・参加費無料

パネリスト
  ・ 榎本憲男 (映画監督、日本大学芸術学部 非常勤講師)
  ・ 宮台真司 (首都大学東京 都市教養学部教授)
  ・ 近藤光博 
ファシリテータ
  ・ 重枝義樹

趣旨
  映画について「宗教」という観点から理解をすすめる―― このテーマにおける「宗教」とは通常の意味ではない。すなわち、キリスト教、仏教、イスラーム教などのひとまとまりの諸伝統ではなく、民俗習慣にしみ込んだ霊的な世界観や行いのことでもなく、個別の宗教法人・宗教団体のことでもない。そうではなく、人間そのものの根底を形づくる、ある一般的な性質・機能・特徴、ないしは「永続的なもの」「非合理的なもの」を指して「宗教」と呼びたいのである。このように定義された「宗教」ないしは「宗教性」は、人間的現象のあらゆる場所に見出される。映画についても当然そうである。
  映画は色々な要素から成り立つ。藝術性、経済性、社会性、政治性、認知科学的なもの、心理学的なものなどなど。これらの全体にダイナミズムを与えるものとは何か、これを指す概念として、上のような意味での「宗教性」を考えたい。この考察を通じて、私たちは、あふれかえるほど供給される娯楽商品のなかで、映画が有しつづけている独自の魅力を解明できるのではなかろうか。
  映画の「宗教性」そのものにアプローチすること。本ワークショップの映画論は、現代の日本と世界がたどり着いた場所がどのようなもので、それがどの方向へと建設的に抜けだしていきうるのか、これらの問いに取り組むものである。

公式サイト http://eisyu.businesscatalyst.com/ ← ツイッタやメアドあり

ツイプラ http://twipla.jp/events/81284 ← カレンダーに予定自動入力

企画運営 エコノミメーシス R&D
主催    日本女子大学文学部・文学研究科

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2014年2月28日 加筆訂正 六回目
2014年2月16日 加筆訂正 五回目
2014年2月7日 加筆訂正 四回目
2014年2月5日 加筆訂正 三回目

2014年1月31日 加筆訂正 二回目
2014年1月30日 加筆訂正

2013年12月16日 (月)

大衆向け物語作品の保守的機能、もしくは神話としてのジャンル映画

「観客が解決したいと望んでいる疑問や問題を解決してくれる」…
これは、とてもよくわかる論点だなぁ、と思った

簡潔明瞭な言葉で、包括的な論点を整理してくれているので、とても参考になる
(無論、この立場はごく素朴な文化主義にすぎないのだが、それはまた別の話)

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 ジャンル映画は期待を作り出し、この期待が私たちの反応を条件付けします。ジャンル映画は広く親しまれているので、観客は次に現れることを先取りし予測することが可能です。ジャンル映画は希望と約束を設定し、この希望と約束が成就されることで快がもたらされるのです。ジャンル映画を研究するなかで最初にせねばならないのは、繰り返し現れるパターンとテーマを取り出すことです。ジャンル批評家にとって、これら繰り返し発生するパターンは単なる形式的なパターンではありません。反対に、これらのパターンはある社会の基礎にある疑問、問題、不安、困窮、心配、そしてずっと一般的にはこの社会の基礎をなす価値観を反映しており、そして社会の構成員がそうした疑問と問題に取り組もうとする仕方を反映しているのです。そうすると、ジャンル映画が観客を満足させるのは、観客たちが解決したいと望んでいるこうした疑問や問題を解決してくれるからだ、ということになります。ジャンル映画は集団的な表現形式、社会に向けて掲げられた鏡なのであり、この社会で共有されている問題や価値観を具体化し、映し出しているのです。

 ジャンル映画は、これらの問題の解決法を提供することも、そして社会の価値観を強化することもしています。もちろん、ジャンル映画が現実の疑問や問題に現実の解決法を提供できるというわけではありません。その解決法は空想上のものであり、理想主義的なものです。しかしこのことは映画、とりわけジャンル映画の魅力の一つを説明してくれるのではないでしょうか。それは現実の問題に空想上の解答を与えるということです。空想上とはいえ、映画作品のなかでは、これらの解答は単なる絵空事以上のものに見えます。家に帰ろうとして映画館を後にするとき、あるいはテレビを消した後で初めて、現実の問題は再び頭をもたげてくるのです。

 ジャンル映画の機能に関するこうした議論からすると、ジャンル映画を見ることは文化的な儀式の一形態なのだと主張することができます。ジャンル映画を研究することは、このジャンル映画を生産し消費している文化を研究する方法の一つなのです。 […]

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 ジャンル映画は、社会の内部でいかに振る舞い、現下の問題と不安にどう対処するのかを教えてくれます。しかし社会問題に対処する中立的な方法を与えてくれるわけではありません。反対に、次のようなものにとって望ましい価値体系を指図しているのです。すなわち、個人の所有権・民間企業・個人資産という意味で個人を強調する資本主義のイデオロギーにとって、さらに、道徳的・社会的等々のしきたりに順応することの必要性を備えた、妻が家庭にとどまり夫が働きに出るという核家族にとって――。

ウォーレン・バックランド『フィルムスタディーズ入門』143-44頁

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2013年6月18日 (火)

【上映会】 素晴らしきホラーの世界へようこそ

※ 全6回、無事終了いたしました。ご参加の方がた、ありがとうございました

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ホラー映画… お好きですか?

お好きでない方が多いのは知ってますが… 一度ちゃんとご覧になりませんか?

  • 真っ当な「ホラー映画」 ×3 
  • 「え?なんでこれがホラー?」の映画 ×3

まとめて上映会 やっちゃいます(*´Д`)

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日本女子大学映画研究会 定期上映会

素晴らしきホラー映画の世界へようこそ
― ジャンルホラー3本と 《ホラー》3本を まとめて観てみよう ―

  • 日時: 各日とも18時~
    • 5/10(金) 『エクソシスト』  ジャンルホラー① 悪霊系 <済>
    • 5/17(金) 『悪魔のいけにえ』  ジャンルホラー② 殺人鬼系 <済>
    • 5/21(火) 『きみに読む物語』  《ホラー》① ドラマ <済>
    • 5/28(火) 『エイリアン』  ジャンルホラー③ モンスター系 <済>
    • 6/11(火) 『酔拳2』  《ホラー》② アクション <済>
    • 6/18(火) 『崖の上のポニョ』  《ホラー》③ ファンタジー/童話 <済>
  • 場所: 日本女子大学・目白キャンパス
    •  参加ご希望の方 私までご連絡を 教室名をお伝えします
    •  右リンクより「プロフィール」頁へどうぞ メールアドレスがございます 

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各回とも 私の簡単な 「解説」 をつけさせていただきます_(._.)_

無償非営利・教育研究目的

皆さん どうぞお集まりくださいませ

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続きを読む "【上映会】 素晴らしきホラーの世界へようこそ" »

2013年3月27日 (水)

《映画の宗教学》 もしくは 「宗教と映画」論の課題 その2

以前、「《映画の宗教学》 もしくは 「宗教と映画」論の課題」 というエントリを書きました

その続編です

今日、 ツイッタで書いたのを ちょっと手を入れて再録しました

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ある《境位》が人間の内面に生ずることは間違いない

それは厳密な分析を拒否すること自体で成立するものだから

領域や範疇という通常の理知的営みにはなじまず

結果、超領域的・脱範疇的な《なにごとか》として人的経験の臨界をになう

==========

その《なにごとか》がベロリと日常性のただ中に顕われ出る回路は

(こうして書くと尋常でないような印象をもたれやすいが、実のところ)

私たちの日常性そのものに複数、多様な仕方でセットインされている

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教団的宗教性、スピリチュアリティが代表的なものだが、それは

《世俗》の屹立圧力においてスケープゴート化するよう

あらかじめ定められている 一方

その圧力にあらかじめ馴化されている回路も制度的に制定されている

==========

「文化」の諸形態がまさにそうだ

祭りに代表される、有形無形の「伝統」はその一つ

そしてとくに「ベロリ」感そのものが称揚されるもの

(その意味で《世俗》の屹立圧力からは警戒されやすいもの)が

「表現/表出」の諸範疇である

==========

映画はその範疇の典型のひとつである

そこには「藝術」と「思想・哲学」という範疇との連接がはたらく

同時に 「商業」「娯楽」「大衆性」、

さらには「童話」「民話」「神話」などとの範疇との連接もはたらく

これら二つの筋が

映画という表現/表出の範疇(端的に形式性において定義される)に合流している

==========

20世紀、映画という表現/表出の新たな形式が世界を席巻したのは

そうした文明論的なリズムの賜物だった

そのことの事実性を歴史化して

あの《境位》や《なにごとか》へと

歴史/経験を超領域化・脱範疇化すること

==========

「藝術の宗教学」「映画の宗教学」としてボクは

そういうことを知的に探究している

その知がどういう役立ちをするのか――

そこまでは視野におさまってこないけれど(オレ、バカだから)

知的な営みとしてはやらざるをえない、と確信している

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