ガンディー読むなら

ガンディーに関する新刊書が 最近また少しずつでている。

ネット上での感想や講評をながめていて、 とてもとてもとても大事な翻訳 が ほとんど知られていないのに気づいた。

これはマズイ!! ということで、ご紹介。

  1. 『 真の独立への道 ― ヒンド・スワラージ 』
  2. 『 ガーンディー自叙伝 (1) ― 真理へと近づくさまざまな実験 』
  3. 『 ガーンディー自叙伝 (2) ― 真理へと近づくさまざまな実験 』
  4. 『 南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史 (1) ― 非暴力不服従運動の誕生 』
  5. 『 南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史 (1) ― 非暴力不服従運動の誕生 』

訳者はいずれも 田中敏雄先生 である。

1の本は、ガンディー唯一の単行書 ( ほどの長さをもった論文 ) である。長崎暢子先生が注目なさっている一冊ということで有名。

( なお、「 ヒンドゥ・スワラージ 」 というカタカナ表記は誤解を招く。 「 ヒンド・スワラージ Hind Swaraj 」、すなわち 「 インドの自立/独立 」 である )

2~5の本、これら4冊でガンディーの自伝である。 ( ただし、死ぬ20年前に書かれたものだから、晩年のガンディーの事跡は書かれていない )

2&3、4&5でそれぞれ別のシリーズになっている。つまり、もともとは3冊の本の全訳が、上の5冊というわけ。

2&3が子ども時代から書き起こし、途中の南アフリカ時代のことが4&5で書かれている。インド帰国後のことが、2&3で語られるという構成。

日本での普及版はいずれも、これら4冊を混ぜて編集しなおしたもの。しかも英語からの翻訳である。

さて、、、 この訳業は 本当に偉大なのです。

なぜなら、ヒンディー語文学の専門家であられ、南アジアの歴史と文化に精通した田中先生が、ガンディーの母語であり 原稿が執筆されたグジャラーティー語から訳出したものだからです。

注: ガンディーは自ら ヒンディー語や英語になおされた 『 ヒンド・スワラージ 』 と 2部の 『 自叙伝 』 に目を通し、手直しをしました。しかしやっぱり、原著はグジャラーティー、と言えます。

訳者による用語解説や背景説明も すばらしい。

これ以上のものは、日本語ではありえません。

ガンディー読むなら まずこの本から!! と全幅の信頼をもって申し上げます。

閑話休題、、、

93年だったと思うが、田中先生がデリーの拙宅にお泊りになったことがある。

あの頃から、この訳業をずっとなさっていた。

ガンディー ( ガーンディー ) のコトバは やっぱり 「 ですます調 」 で訳さないとダメですよねぇ

などという話をしたのが なつかしい。

<メモ>

  • 1の書評は こちら
  • 2&3の感想は こちら
  • Infoseek 楽天 では 2&3が電子書籍として買える (→ こちら
  • ぱっと見、4&5の書評、ネット上ではほとんどまったく見かけない。だけど、青年から中年のガンディーが 後の 「 マハトマイズム 」 を見出し、確立していったのは、どこあろう南アフリカである。 だからこそ、こちらもぜひお忘れなく

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金力は救いである

先日、 「 資本主義スピリチュアリティ 」 というエントリを書いた。

そこで言いたかったのは、スピリチュアル・ブームは、 グローバルな企業資本主義 の拡大、ないしは 新自由主義経済理論 のグローバルなヘゲモニー獲得 という事態に対応している、ということだ。

こうしたことを指摘するとき、僕が 「 皮肉ったり、揶揄したりしているのではない 」 のは、その前のエントリ に書いたとおりだ。 僕自身、そうした世界のなかで、たしかに スピリチュアルなものの癒すチカラ を必要としている。

さて、本論である、、、

上のような意味での現代社会において、癒しやエンパワメントは 必ずしも スピリチュアルなものからだけもたらされる とは限らない

そのことを明確に示すインタヴュー記事を、 『 AERA 』 ( 2006.7.3 号 ) でみつけた。

この号の AERA はなかなか面白かった。すでに こちらのエントリ で一つのコーナーを紹介したが、実は またもう一つ別に 紹介したい記事がある。後日!!

下着通販会社 「 ピーチジョン 」 野口美佳社長をとりあげた、人気コーナー 「 現代の肖像 」 である ( 63-67頁 ) 。 ライターは清野由美さん。

記事によれば、PJ の顧客リスト数は300万人、年商は160億。当期利益19億円を 無借金で!! 実現しているとのこと。

社長自身が広告塔になるという PJ の企業戦略・・・ AERAによる勤労女性 ( 笑 ) のターゲット化・・・ こうしたことは先刻承知である。 承知のうえで、のっかっていこうと思う。

以下、引用です。 (ルビ省略)

20代でわけもわからず始まった結婚生活と怒涛の仕事は、男性社会が女に強いる理不尽の連続だった。仕事で生じる責任は同じなのに、女の自分は一方で炊事や洗濯、育児を支えねばならない。そして、そこに少しでも不備があれば、口を極めて罵倒される。仕事では上司、私生活では夫。そんな正二 [ 前夫、野口正二氏 ―― 引用者注 ] に象徴された理不尽は、愛情と憎悪、理想と現実という二極をあざないながら、長い間、野口をふたつに引き裂いてきた。 ( 67頁 )

こうしたところをくぐり抜けて、 「 立身出世 」 を果たした野口社長。

ここまでだったら、 「 女一代記 」 みたいなノリでおしまいだ。

しかし、この記事のクールなところは、ちゃんと次のような問題に言及しているところだ。

とはいえ、今の野口のライフスタイルが、突出した経済力に支えられていることは間違いない。それをそのまま、女性の理想像に敷衍してもいいものか。 ( 同 )

この問いに対して、記事は野口社長自身の考え方を示す。

「 私が切り開いているのは金儲けではなく、自分自身の考えで自由に生きていい、という価値観。それが広まれば、女性はもっとラクに、女のまま、社会になじんでいける。ただ、開拓者には経済力が必要で、たまたま私がその役目に生まれた。後に続く人は、私のようにがむしゃらに稼ぐ必要はない 」

「 開拓 」 はまだ道半ばだ。自分が自由になったら、今度は社員が自由になってほしいし、そこから日本全体、世界全体に自由が広がってほしい。だからこそ、動けるうちに稼ぐと、ハラを決めたのだ。

カネは自由の基礎である 。 チカラは自由の足場である。 金力は救いである

こんなところを考えないと、世界の姿は見えてこない、と思う。

<メモ>

  • AERA は こちら から
  • PJ へのリンクは あえて張りません ( 悔しいから・・・ 笑 )
  • 当ブログで、女性についてのエントリは こちら より
  • 野口社長、7月3日放送の 「 カンブリア宮殿 」 に出演

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資本主義スピリチュアリティ

前便 にて 「 現代人 」 という言葉を、括弧づけして使った。

それを 「 現代先進国の都市インテリ・エリート 」 と言いなおすことで、かなり含意をもたせたつもりだったが、もっとちゃんと規定した方がよいことに気づいた。

きっかけは、今朝 ( 28日朝 ) 手にした 『 宗教研究 』 348号 ( 2006年6月、日本宗教学会 ) 所収の、次の書評を読んだことだ。

  • 芳賀学 「 Jeremy CARRETTE and Richard KING, Selling Spirituality: The Silent Takeover of Religion ( 169-74頁 )

芳賀先生 の評から いくつかの部分を引用する。

彼ら [ 筆者ら ] の見解では、 「 現代に優勢なスピリチュアリティ ( capitalist spirituality ) 」 とは、産業資本主義が宗教をひそかに乗っ取って倫理性を排除し新たなラベルをつけて売り出した商品群であり、それゆえ、他者や政治への関心が希薄な反面、自己実現や功利的な関心が濃厚で、現状適応のみを生み出す施行制御システム ( ≒ イデオロギー ) の中核を担う存在であるという。 ( 170頁 )

企業資本主義が人々の思考を制御するために再編集した ( = repackaged ) 宗教が 「 スピリチュアリティ 」 として流通する現状 ( 171頁 )

現代の 「 スピリチュアリティ 」 は、新自由主義という政治的状況や企業資本主義のグローバル化という経済的状況との関連で読み解かれており、その結果示された 「 現代の資本主義システムのイデオロギーとして換骨奪胎された ( = 焼き直された ) 宗教 」 という把握にも説得力を感じる。 ( 172頁 )

「 スピリチュアリティ 」 [ は ] 現代社会のイデオロギーであり、孤立した消費者である個人に絶えず市場での商品購入を通じてその精神的不足を埋めさせようとする ( 173頁 )

一読明瞭なように、スピリチュアリティ批判、精確には 資本主義スピリチュアリティ への批判を展開する本であるらしい。

僕はかつて ハードコアなニューエイジャー だった。そんな本ばかり読み、推奨されている実践はなんでもかんでも試してみた。

しかし、ある時期から そうした世界への関心が 綺麗さっぱり無くなってしまった。

なぜそうした変化が僕に起こったのか、必ずしも明確ではないけれど、上の芳賀先生の評に示されているような、 時代や境遇に限定される不自由さ を、若かりし僕は感じとったのかもしれない、と思う。

結論――

前便で 「 現代人 」 を 「 現代先進国の都市インテリ・エリート 」 と規定するだけでは 不十分だった。 「 新自由主義と企業資本主義のグローバル化の尖兵となっている、現代先進国の都市インテリ・エリート 」 というべきだった。

あらためて、、、

そして もちろん!!僕もそんな 「 現代人 」 のひとりである。

<メモ>

  • See here @ Amazon JP or here @ Amazon US for Jeremy CARRETTE and Richard KING, Selling Spirituality: The Silent Takeover of Religion.

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ワクワクすることを追いかける

AERA に 「 シナプスのつぼ 」 という小さなコラムがある。

有名人 ( セレブ?笑 ) が人生で出会った一冊の本を紹介する、というコーナーだ。

2006.7.3 号では 須藤元気さん がフィーチャーされていた ( 82頁 ) 。 聞き手は原賀真紀子さん。

これがとても面白かった。

須藤さんは 知る人ぞ知る スピリチュアル系格闘家 である。 『 幸福論 』 という本を、ご自分で書いてらっしゃるほどだ (→ こちら @アマゾン ) 。

ここで 「 スピリチュアル 」 とは、要するに ニューエイジとか精神世界とかのこと。 「 霊性 」 と訳されてきたが、最近ではカタカナ表記が普通だ。専門家は、島薗進教授が考案した 「 新霊性文化/運動 」 という概念を用いることがある。

そんな工藤さんが紹介している本は 『 バシャール 』 。 スピリチュアル業界の大人気作品である。 (→ こちら @アマゾン。ただし、工藤さんが読んだのは、もっと古い版のものであるらしい

皮肉ったり、揶揄したりしているのではない。 本当にこのコラムは面白かった。

わずか半頁の短いコラムなので、全文を引用したいところだが、著作権がうるさそうなので、部分的に引用する。

悶々と悩む自分自身に納得できなかった23歳ぐらいのころ、 「 ワクワクして生きる 」 というメッセージが、数年前に読んだときよりも、意味のある言葉としてすーっと入ってきた。バシャールという宇宙人と本当にチャネリングができるとか、できないとか、それはむしろどうでもいいことだった。

高校生になって格闘技を始め、やがてプロになった工藤さん。肉体は訓練で強くすることができたが、精神面が思うようにいかない。

どうすれば成功し、プロになって稼げるのか。成功哲学のハウツー本を読んだ時期もある。悩みながら強さを追究するうちに、 「 パワーゲームに入り込んでいってしまった 」 。

自分自身のネガティヴなイメージに打ち克つことが、本当の強さ。それには自分を変えなければならない。この本は、そのことに気づかせてくれた。頭で考えすぎず、ワクワクすることを追いかける。これを実践したら、物事がうまくいくようになった。

このコラムが面白いと思ったのには、宗教研究のひとつの対象として、というのはある。 しかし、それだけではない。 「 ワクワクすることを追いかける 」 というメッセージが、僕自身にも 非常に強く迫ってきたのだ。

本当にそうだなぁ、、、と思う。 ワクワクすることを追いかけるのが 一番なのだ。

チャネリングについて、僕は研究対象以上の興味をどうしても もてない。しかし、そこにあるメッセージは とても力強いものだ。

スピリチュアル業界の盛況は 「 現代人 」 ( 精確にいえば、現代先進国の都市インテリ・エリート ) の心の問題、生活の問題に密着しているからこそだ、と思う。

スピリチュアル知識人とは程遠い僕も、もちろん!!そんな 「 現代人 」 のひとりである。

<メモ>

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ヴェド・メータ 『 ガンディーと使徒たち 』

日本女子大学で ガンディーと非暴力 についての講義をもたせていただいている。 (→ こちらのエントリ 参照 )

そこで先週、次のようなプリントを配った。

本ブログにTBをはっていただいている 植村昌夫さん の翻訳本を、ぜひ紹介したいと思ったからだ。 

こちらからもTBをはらせていただきます> 植村さん

プリントには、この訳書を読むにあたって注意してもらいたい点を、次のように示した。

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ヴェド・メータ 『 ガンディーと使徒たち: 「 偉大なる魂 ( マハトマ ) 」 の神話と真実 植村昌夫訳,新評論,2004 ( 原1976 ) 年,20頁より.

[ 注: 同上書の表題中 「 マハトマ 」 は 「 偉大なる魂 」 にふられたルビである。本ブログにルビ機能がないので、括弧内にて示した ]

ガンディーが残した数万の著作と演説に展開されている彼の思想の核心は、貞潔と清潔を通じて、人間のあらゆる精神的肉体的欲求と機能の統御を通じて、個人と社会の衛生の追求を通じて、神を求めることであった。

[以下、近藤のことば]

※ 上の引用文について

  • ガンディー思想の全体を非常によくまとめた文。 これだけ手際よいまとめを、私はほかに知りません。 ひとつひとつの言葉 ( 概念 ) をよく吟味しながら、理解するとよいと思います。

※ 上の訳書について

  • この翻訳は、とてもよくできています。 お勧めの一冊。
  • ただし、翻訳はどこまでも翻訳です。 たとえば、上の引用分中で 「 著作 」 とあるのはミスリーディングです。 原語を確認していませんが、おそらくは writings かなにかでしょう。 しかし、ガンディーには著作と呼べるものは1冊しかありません。 2部に分かれている自伝を入れても3冊です。 writings は「書き残したもの」、さらにその後の 「 演説 」 は 「 語ったもの 」 ぐらいの意味にとるべきでしょう。
  • また、 「 衛生 」 という言葉がありますが、これもミスリーディングです。 こちらも原語を確認していませんが、おそらく hygiene や sanitation ではなく ( いずれも医学的な言葉 ) 、 health でありましょう。 だとすれば、それは単なる 「 衛生 」 なのではなく 「 健全さ 」 という意味ももっているわけです。
  • 他にもあります。 「 貞潔 」 はブラーフマーチャリア Brahmacharya 、すなわち性的禁欲を中心にした禁欲の行全般を、そして 「 清潔 」 は浄 'subha; 'suddhi 、すなわち霊的にケガレのない状態を、それぞれ含意するでしょう。 つまり、古代から連綿とつづく南アジア思想を背景にして、これらの言葉は読まれないといけない、ということです。
  • もう一つの注意点。 この本は、ガンディーとその 「 使徒たち 」 の、隠された暗部をあばく著作です。
  • これだけ読むと、ガンディー思想というよりもガンディー 「 現象 」 というものが、インドでなぜあんなにも急速に衰退してしまったのか、よく分かります。 また、ガンディーという人が取り組んだかなり独自な、悪く言えば 「 奇人的な 」 行動が分かります。
  • しかし、もちろんガンディーはそうした面だけで尽くされません。 彼の人生と思想の偉大さとの対比のなかで、この本は読まれるべきでしょう。

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以上が 学生さんにお配りしたプリント ( 一部 ) でございました。

<メモ>

ガンディーについての前便は こちら

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4冊目の現代インド本

去る 6月2日、 「 オモシロ現代インド本 」 というエントリを立てた。

昨年10月27日、 「 お勧めの現代インド本 」 というエントリを立てた。

このリストへの追加として、、、

単に 「 オモシロ 」 ではない 「 お勧め 」 現代インド本として 次の本を ご紹介。

小川忠インド 多様性大国の最新事情 角川書店 ( 角川選書 ),2001年.

聞くところでは、そっち業界では 「 オガチュー 」 の名でとても有名だという著者。 他にも著作はあるが、上の本は とくによいなぁ、と思った。

気づいたことを 列挙しておこう。

①  Japan Foundation のデリー駐在所所長として、「 印日文化交流 」 の達成、課題、見通しを 等身大に描いている 。 「 ならでは 」 の話しが たくさん聞ける。 いずれも興味深い。

②  自分の体験と印象を 研究書など 「 大学型知識 」 とすり合わせている。 ( 実際、本書の大きな部分が、有名なインド人学者の研究の要約で占められています ) アカデミズムがいつも優秀・・・なんてことは 決して!! ありません。 しかし、真剣に南アジアに向き合おうとしている地域研究者のことばは、もっと尊重されてよいと思う。 インドのように 先行理解 ならぬ 先行誤解 がたんまりとある地域を知ろうとするときは、なおさらそうだ。 その意味で、 オガチューさんのとった行き方は とても有効だ。

③  インド人としてインドに生きることの大変さを、「 かわいそー 」 という同情でも、 「 やっぱりねぇ 」 という蔑みでもない、 微妙な立場から できるだけ そのままに抉り出そうとする。 オガチューさんが立ちえた場所についていえば、その試みは十分に成功している、と評価できる。

④  そしてそこから、現代日本の姿を 批判的に とらえなおす。

以上、4冊目の現代インド本 紹介でした。

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ヴェーダとIT企業

思うところあって、新書ばかり 読んでいる。

こちらのエントリ で紹介した次の本、12~3年ぶりに読み直している。

  • 辻直四朗インド文明の曙 』 岩波新書,1967年

辻先生、その 「 まえがき 」 に曰く

インド研究のいかなる時代、いかなる分野に志すにしろ、関係の粗密の程度に従い、多かれ少なかれヴェーダの知識を欠くことは許されない ( i 頁 ) 。

まったくその通り、、、と痛感する。 とくに僕は、ヒンドゥー・ナショナリズムなんてのをやっているので、南アジア古典の知識・教養の不足 に しばしば心底悩まされる。

今さら 印文印哲の研究者にはなれないので、 独学で学んだサンスクリット超初歩 を足がかりに、少しでも知識を仕入れていくしかない、、、 大変ではあるけれど、これはとても楽しい作業だ。

さて、辻先生の言葉が とくに心に残ったのは、並べて読んでいるもう一冊が、たまたま次の本であったからだ。

  • 榊原英資インド IT革命の脅威 』 文春新書,2001年

90年代末以降のインドIT産業の振興ぶりは、ここであらためて述べるまでもない。日本での注目も大だ。

この状況、インドに渡ってみて 肌では実感していたが、ちゃんと本で確認していなかった。そこで手始めに、まだ読んでいなかった同上書を手に取ったというわけ。

こんな本を読みながら、3500年前の祭式書のマントラに興奮したりもする―― ヴェーダとIT企業 、、、 これが僕の接しているインドだ。

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インド哲学チョー入門

九州大学のインド哲学史研究室のサイト、、、 「 新入生のための研究室ガイド 」 というページがある (→ こちら ) 。

そのトップ、、、 原田泰教 さんが、学部新入生の皆さんのために 「 読んでおきたい本 」 5冊を紹介している。

  • 『インド思想史』東京大学出版会
  • 『インド思想史』中村元、岩波書店
  • 『インド文明の曙』辻直四朗、岩波新書
  • 『初めてのインド哲学』立川武蔵、講談社現代新書
  • 『古代インドの神秘思想』服部正明、講談社現代新書

インド哲学チョー入門 ということで、ここに紹介させていただきます。

僕もあらためて勉強しなおします。

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オモシロ現代インド本

お勧めの現代インド本 」 ということで かつて こんなエントリ を書いた。

そのリストに加える、、、まではいかないけれど、、、もう一冊 オモシロ現代インド本 をみつけた。

NHK取材班・岡田正大 『 NHKスペシャル 神秘のインド大紀行 神々の台座・デカン高原 天空の王国・ザンスカール 』 日本放送出版協会,1991年. (→ こちら @アマゾン)

長たらしい表題はご愛嬌。 要するに、岡田さんが中心で書いた 『 神秘のインド大紀行 』 という本なわけです。

岡田さんについては 後述。

この本、街角の古本屋で見つけた。表題だけを見て、怒るつもりで手にした。学生さんたちに 「 浅薄なインド観 」 の代表として紹介するつもりで。

「 神秘 」 なんて・・・まぁ・・・私たち地域研究者には・・・ちょっと・・・

だが、中身はぜんぜん違った。

インドの辺境を二つ、紹介した記録だった。その辺境こそ、長たらしい表題に含まれるデカン高原と、ザンスカールである。

「 デカン高原 」 のどこが秘境なんだよ!! 

事情通のあなた の叫びが聞こえてきます。もちろんこれは、ネーミングがひどすぎるだけのこと。NHK取材班が赴いたのは、旧マディヤ・プラデーシュ州の東端、最南東端 ( 現チャッティスガール州 ) の部族民保護地域なのです。ここに入ったことのある日本人は、ほとんどいないはず。 

「 デカン高原 」 とあるのは、少しでもキャッチーな言葉を使おうとする マスコミ人のならいなのだ と思われるのです。

一読 とても面白い。僕も知らなかったことが、分かりやすく 読みやすく書かれている。初期の人類学者の著作は ちょうど こんな読み物だったのだろう。

「 お勧め 」 までいかない理由は、地域研究者として見過ごしにできない 誤認があるからだ。

「 ヒンズー語 」 なんてのは まだよい。これは明らかに、分かってて書いている。一般の言い方にあわせようというのだ。

しかし、インドでは何千年も前から牛が食べられなかった、、、みたいな記述を読むと、、、フーー、、、ため息が出る。 とてもではないが、そんなことは言えない。食べられにくかった、、、ぐらいのことだろう。牛肉の忌避が ここまで広範に規範となったのは、おそらく19世紀前半のことであり、たかだか200年弱の伝統だ。

小谷先生の本 参照 (→ こちら @Amazon )

言いたいことは他にもあるけれど、まぁ 揚げ足とりになるだけなので、よす。とにかく面白いのだから、読んでみる価値はある。

ポイントは、もちろん!! 「 辺境 」 からのインド・ウォッチ。 通俗的なインド理解の浅薄さに 誰もが気づくだろう。 

<メモ>

  • 『 神秘のインド大紀行 』 に言及している 興味深い文章として こちら
  • 岡田ディレクター、、、 「 やらせ 」 等々の問題が浮上したムスタン取材のチーフだったようだ。残念なことだ。イケイケドンドンのディレクターのようにお見受けするが、、、さて 『 神秘のインド大紀行 』 の方は どこまで信用して読んだらいいものか。。。面白い本なだけに、こういう余計な騒動は惜しまれる。

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イスラームに何がおきているか

ブログ再開の第一弾はこれ↑↑↑

数ヶ月、このブログをのぞきもしなかったら、、、コメントもいっぱいいただいていた。

ちゃんとお返事を書くようにいたします。すいません。

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イスラーム復興についての本は、日本語でもすでに た~くさん あり、はっきり言って どれを読んでいいのか分からない 状態だ。

そこで、、、

  • 小杉泰編 『 増補 イスラームに何がおきているか 平凡社,2001年

を、僕はお勧めしたい。 (→ こちら@アマゾン

集められた論考は、各国、各地域におけるイスラーム復興の具体相を、個別にとりあげている。短めの論考ばかりで、とっても読みやすい。

ただし、南アジアの事例が欠けているのは残念。バングラデシュは、インドネシアにつづいて、世界第2位のムスリム人口を抱える国なのに。パキスタンはもちろん、インドだって、イスラームを論じるにあたっては、とっても重要である。

しかしながら、編者の小杉先生の名誉のために言っておくと、南アジアのイスラームの重要性を、小杉先生はとってもよくわかっている。 こんな本 に 「 イスラーム研究と南アジア 」 という論文を寄稿なさっているぐらいだ。概論だが、文献表はすごく充実している。

『 増補 イスラームに何がおきているか』 は、冒頭から通読する本というよりも、辞典のように使える本だ。 つまり、なにか気になる事例に出会ったら、その国や地域の章を読む、、、という具合にである。

こうした読み方をすると心底納得するのだが、イスラーム研究は、現代における比較宗教の可能性を示す。 メガ地域横断的な 「 比較 」 が ここまでちゃんとできるのは、本当にうらやましいことだ。 イスラーム研究は、現代の宗教学者の必須科目だ、と僕は確信している。

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杉谷滋 編 『 アジアの近代化と国家形成 』

久々の投稿、、、と思ったら、またもや 読書メモ。

まだまだ仕事と生活のペースがつかめなくて、、、忙しいだけ忙しいのに、、、自分でもどうしたもんだか、、、なんだか困ってます。

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先便 で書いたニーチェ 『 道徳の系譜 』 ( 今風に訳せば 道徳の系譜学 ) は、一昨日に読了。 いろいろ心に残るフレーズがあったので、いつか紹介したい。

いま読みはじめているのは、、、

杉谷滋 編 『 アジアの近代化と国家形成 ―― 経済発展とアジアのアイデンティティ ( 御茶の水書房、1996 )

奥付に 「 関西学院大学産研叢書 (20) 」 とあるように、同大学産業研究所の共同研究 「 アジアの中の日本 」 ( 1993~95年度 ) の成果をまとめたもの。

近所の図書館 に行ったら、借りたかった本がなかった、、、せっかく来たからと 他の書棚を物色していて みつけた本だ。

インドの政治史について、ちゃんとまとめなおさなくてはならず、政治学のアジア論を読みなおし、勉強しなおそうと思ったので、借りた。

偶然 手にとったわけだが、とても面白く読んでいる。 

せっかくなので、心に残った一節をご紹介。

最終章は 執筆者全員による座談会の記録になっている。 その中での 岡本仁宏先生 ( 関西学院大学法学部教授 @ 執筆者紹介 ) の発言より。

僕は文化接触の中身に対してどのような組み合わせや融合が新しいものを生み出すかを考えることがポジティヴなのではないかと思う。 ( 182ページ )

普遍性と特殊性、とくに西洋化と近代化 ( ないしは 資本化/産業化/自由化 など ) との関係についての議論のなかでの発言である。

まさしく同じことを、僕も こちらの論文 で書いた。 博論 (→ こちら 参照 ) を書く中で、このことに強く思いいたったのでした。

シンプルなアイディアではあるけれど、とても大切な視点だと思います。

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2005年の4冊目

2005年の面白かった本、こちら で3冊目を追加しましたが、、、またも思い出してしまいました。 2005年の4冊目 です。

  • ヴィンセント・クラパンザーノ 『 精霊と結婚した男 ― モロッコ人トゥハーミの肖像 』 ( 大塚和夫・渡部重行訳、紀伊国屋書店、1991、原1980 )

人類学のモノグラフの傑作をシリーズで読んでいこうと思い立って、信頼する人類学者の方におすすめを一冊だけあげてもらったのですが、その中の一冊。 紹介者はFさん。

正直申しあげれば、これを去年に読んだのか、一昨年だったのか、よく思い出せないのです。

しかし、こちらの本、通称 『 トゥハーミ 』 、ここ数年をとっても もっとも ガツン ときた一冊です。 衝撃の度合いからすれば、イギリスのオックスフォード滞在中に読んだ テリー・イーグルトン 『 イデオロギーとは何か 』 (大橋洋一訳、平凡社、1999) 以来のものでした。

とにかく!! この本はよかったなぁ !! 切なくて 美しくて 泣きそうになりました。

もちろん この本は、人類学、ひいては人文社会科学全般に対する理論的、倫理的な問題提起をしています。

それは実に 深刻で激烈な 問題提起です。つまり、第三世界、アフリカの一 「 狂人 」 の日常を、人類学者が 「 分析 」 することなく 「 記述 」 し、それをモノグラフとして出版、公開するということです。 そこには、深く考えるべき問題が、きわめて意図的に示されています。 しかし、それよりも何よりも 、、、

やはり芸術作品、文学作品として すばらしい、すばらしすぎる、と思うのです。

こんな本が書けたら、もう一生 なにもする気がおきないだろうなぁ。。。

<メモ>

あまりイメージを固定したくないので、控え目に言いますが、『 トゥハーミ 』 は 僕にはちょうど村上春樹の作品みたいに読まれたのでした・・・

  • ひねもじら乃太朗さんのブログ、こちらのエントリ から入って、カテゴリから 「 村上春樹 」 を選択。 僕などには とてもよく納得できる講評がのってます。
  • 内田樹先生のブログ、 こちらのエントリ では、村上好きの僕は力を得たものである。

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2005年のもう一冊

2005年に読んだなかで心に残った本、ということで こんなエントリ を書いたが、 そうだ、三冊目があった!!と 昨晩 電車のなかで思い出しました。 あわてて追加です。

ということで、 2005年のもう一冊 はこちら。

  • ロラン・バルト 『 ミシュレ 』 ( 藤本治訳、みすず書房、1974 )

ある先生に薦められて読んだのだが、とてもよかった。 なんと言うかなぁ、とにかく衝撃的でした。 有名な本ということですが、なんともお恥ずかしい、、、知りませんでした。

これら三冊は、ホント お勧めです。

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憲政と民俗

2006・読み初めの本として 津城寛文 『 日本の深層文化序説 ―三つの深層と宗教 』 ( 玉川大学出版部,1995年 ) を選んだ。 ずいぶん前に買い求めていたのに、斜め読みしかしていなかったのだ。 例によって例のごとき現状にあっては、いずれにせよ 電車のなか、風呂のなかしか読書の時間はとれないのだが、 できるだけ頑張っていこうと思う。

この本のテーマは 「 民俗 」 。 「 日本の深層 」 に関する諸学説を整理していくなかで、民俗という問題がしめる位置を見定めようとする本だ。 

民俗 は 僕にとって宿題みたいなものである。 津城さんは 本書のなかでこう書いている。

支配のイデオロギーは 「 民衆の生活世界 」 や 「 民俗世界 」 のリアリティに根ざすことなしには受容されない ( 333頁、注12 )

本書は 「 民俗主義 」 という独自の概念で 島薗進教授 をとても高く評価しているが、 僕はそのゼミの出身者である。 島薗ゼミでは、「 普通の人々のささやかだが尊い日常生活 」 へのまなざしが いつも問われていた。 そこではじめて宗教学を学んだ僕が、 いまやヒンドゥー・ナショナリズム研究を専門とし、宗教政治学を掲げている。 (→ こちら、 とくに こちら

諸事情から、インドのヒンドゥー教徒の民俗に直接切りこむような研究が 僕にはまだできていない ( その手の研究には できるだけ目を通すようにしてはいるが・・・ ) 。 エリートの言説分析 が主な仕事である。

しかし、憲政と民俗 とのあいだで蠢いているのが、 ヒンドゥー・ナショナリズムである。 そのことを 僕は誰よりもよくわかっている。 また、ヒンドゥー教において 民俗がいかに重大な意義を帯びているか、 ここであらためて述べるまでもない。

憲政と民俗 ―― この落差が 僕の研究に独自の緊張感をあたえてくれている。 たしかにそうは思うのだけど、 やっぱりいつももどかしい。 だからどうしても、政治理論の書よりは この津城先生の本のようなものを手にとってしまうのだ。

民俗を研究するのはどうしたらよいか、、、 この積年の疑問に なにか答えが見つかればいいなぁ、と思う。

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2005年の二冊

佐藤啓介さんのブログ、こちらのエントリ を拝読。 なるほど 年末ブログはこういうことをすればよかったのか、と気づきました。

ということで 早速 便乗 ( パクリ )。

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昨年はあまり本が読めませんでした。 それでも心に残っているのは、、、

  • 酒井隆史 『 暴力の哲学 』 ( 河出書房新社、 2004 )
  • 竹中千春 『 世界はなぜ仲良くできないの?― 暴力の連鎖を解くために 』 ( 阪急コミュニケーションズ、2004 )

せめて三冊 あげられるといいのですが、、、 ともあれ これが僕の 「 2005年の二冊 」 でした。

今年はちゃんと本を読む時間がとれるといいなぁ。

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バイクメ~~ン

宗教学をやっていると、宗教マンガ とか 宗教アニメ とかが気になる。

本当にたくさんの象徴やら言葉やら観念やらなにやらが、とっても宗教的で、なおかつ それがなかなかよいからだ。 サブカルチャーとはいうけれど、そのレベルの高さは もう皆が知っていることだ。

その手の作品はいくつも思いつくのだけど、 望月峯太郎 『 バイクメ~~ン ( 講談社、1990~91年、全4巻 ) なんかは、僕のお気に入りだ。 ( こちら @ アマゾン

そしてお気に入りの台詞は、、、月並みだけど、、、

ボニ~~~

お前・・・・は

やっぱり カッコイイッ!!

<メモ>

このマンガ、望月峯太郎さんの転機になった作品ではないだろうか。 望月ウォッチャーの方、どうぞ教えてください。

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現代の説話

今日は バイト先の塾が休み。 二ヶ月ぶりぐらいで 美容室にいった。

待合所で 『 女性セブン 』 を読む。 楳図かずお先生 の 『 おろち 』 第1話 「 姉妹 」  が載っていてビックリ。 「名作コミックリバイバル」 と銘打たれている。

女性週刊誌にオカルト、占い系の記事が多いのは よく知られたことだが、まさか楳図先生でくるとは。 どういった経緯でこうなったのか、編集部にインタヴューしたいぐらいだ。

ところで、、、 久々に ( 小学生のとき以来? ) この作品を読んで、楳図作品は 現代の説話 なのだなぁ、と思った。 時代や場所などの舞台設定も描かれず、人物の内面語りもされないまま 次々と展開していくお話し。 これはやはり説話だ。

<メモ>

楳図作品で ぼくが一番すきなのは 『神の左手 悪魔の右手』です。(→ こちら @アマゾン

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IAHR特集号

不払いの学会費 を納めたので、『宗教研究』が三冊、一挙に届けられた。 電車のなか、風呂のなかで、それらに目を通す。 先ほど、その作業がおわった。

やはり熟読してしまったのは、 IAHR特集号 (2005年9月号/第345号)であった。 七つの全体会議、特別セッションの報告がなされている。 どれもこれも、報告者の先生方が実にしっかりとお書きになっておられ、とても勉強になった。

個人的にもっとも興味深いのは、やはり ユルゲンスマイヤー、アサド、マスザワ 各氏の基調講演と質疑応答の記録、および報告者(山中弘、澤井義次、深澤英隆各氏)のコメントだった。 

まごう方なき世界トップクラスの論者らによる議論ではあるが、これまで僕が書き上げてきたものや、考えてきたことから、あまりに遠く 先を行かれているという感想は、正直もたなかった。 もちろん不足ばかりの歩みではあるけれど、すでにたどり着いている場所や、行くべき方向に 大きな間違いがないことを確認できた。 「 宗教政治学 」 という自己規定も、決してアホらしいものではなかろう、と (→ こちら )。

<メモ>

『宗教研究』 は 日本宗教学会 の機関誌です。

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国際政治事典 今度こそ

国際政治事典 今度こそ 出ました。 (前便は こちら

お値段、2万1千円!! とてもじゃないが、個人では買えませんね(笑)。 どこかで見かけたら、どうぞお手にとってみてください。

<メモ>

私未見ながら、 こんなの もあるようですね。

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popular religiosity

前々便 で、カサノヴァの近代主義的な議論からは どうしても「民俗」のレベルがぬけおちることになる 、と書いた。

ずっと精読している この 『近代世界の世俗宗教』 で、「民俗」 と関連が深そうな概念として目立つのは、 popular religiosity である。 第5章「ブラジル」のところに頻出する概念で、津城さんは 「 民間の宗教性 」と訳出している。

しかしカサノヴァは、最後までけっきょく 「民間の宗教性」 そのものを主題化することはない。 彼の議論で、それは ただひとつの資源 ――すなわち  「国家」 「政治社会」 「市民社会」 などのレベルが担う 正当なる 「公共の討議」 に与えられた ひとつの資源―― であるかのようだ。

「アフロ・ブラジリアン宗教」 という範疇も登場するのだが、 それも主題化されることはない。

こうした点は、前々便 でも書いたように、たしかに不満が残るのだ。

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明確な近代主義の立場

前便 で、カサノヴァの 『近代世界の公共宗教』 が 「 明確な近代主義の立場 をとっている」 と書いた。

カサノヴァ自身の言葉でいえば、その近代主義とは 「 リベラリズム 」 ではない。 「リベラルの壁」 という表現が この本では繰り返しもちいられているが、それは 宗教と公的領域を絶対的に隔てようとする壁のことだ。 その「壁」が 経験的にも、思想的にも 無根拠であることを示すのが、カサノヴァの議論の要点である。 したがって、 カサノヴァは 「リベラル」 ではない

しかしカサノヴァは、ハーバマス的な近代合理主義者ではある。 そのことは たとえば、アメリカのカトリックについて論じる章の結論部に出てくる 次のような概念によくあらわされている。

  • 公的討論 (邦訳 261頁)
  • 合理的な公的討論、論争上の倫理 (同)
  • 開かれた合理的な討論 (同 264頁)

これらはいずれも、同定された実体概念であると同時に、 規範的に措定された価値概念 でもある。 これらのものは、カサノヴァにとって、多元化という「近代化」の本質を形づくるプロセスにおいて確保された公共性確定の場として 正当化されうる 事実上唯一の選択肢 なのである。

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市民社会と民俗

たった今 前便 で市民宗教について書いたが、 そこでは実はまだ 僕がもともと書きたかったことに触れていない。 それは 市民社会と民俗 という問題だ。

カサノヴァ 『近代世界の公共宗教』の邦訳(→ 在庫切れながらも こちら )の「訳者あとがき」で 津城寛文さん は次のように書いている。 思い切って ちょっと長めに引用させていただく。

カサノヴァは、国家レベルの公共宗教、政治社会レベルの公共宗教、市民社会レベルの公共宗教がありうるという風に、公的領域のレベルに応じた公共宗教の諸形態を区別しているが、私は……公共性・集合性をもった宗教には、これ以外の形態もあるのではないか、という気がしてならない。前著 『日本の深層文化序説――三つの深層と宗教』(玉川大学出版部)で、日本(人、文化)論のイデオロギー性に言及した際、イデオロギー批判に解消されない宗教性が民俗的レベルに存在することを示唆しておいたが、カサノヴァの「公共宗教」論を参照することで、国家的、政治社会的、あるいは市民社会的ななんらかの動員をめざす公共宗教とは異なる、「深層文化としての宗教」の位置付けが、もう少しはっきりしてきたように思う。 (邦訳 389頁)

ここでの問題は二段階に分けてみるとわかりやすい。

  1. 市民社会と民俗 (公共性論のレベルで): 民俗とは どのような公共性/集合性なのか? それは 市民社会/政治共同体/社会共同体/国家などと どのような関係にあるのか?
  2. 市民宗教と民俗宗教 (宗教論のレベルで): 上の問題に応じて、宗教の様態や機能はどのようなものになるのか? その上であらためて宗教とはなにか?

これはとても面白い論点だと思った。 カサノヴァの議論自体が、ハーバマス以降の公共性論にのっかっている。 ハーバマスの批判的再検討をおこなっているとはいえ、カサノヴァ自身、 明確な近代主義の立場 をとっているのだ。 こうして 彼の議論からは どうしても「民俗」のレベルがぬけおちることになる。

僕自身、「民俗」をどのようにあつかっていいのやら、あまりよく分かっていない。 ヒンドゥー教のことを考えてみれば、まさに「民俗」と呼ぶべきものが 巨大な役割をはたす一方、 ヒンドゥー・ナショナリズムは 国家、政治社会、市民社会などに本質的にかかわる。 これらの間には、 断絶とともに連続がある としか、いまの僕にはいえない。 

ここをちゃんと説明できれば、とっても素晴らしいとは思うのだが・・・

<メモ>

津城先生の著作一覧は こちら

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お勧めの現代インド本

先日 久しぶりに Hさんとお会いした。 お話のなかで 「 現代インド をとりあげた、信頼に足る、新書ぐらいの手軽さの 書き物」  つまり 「 お勧めの現代インド本 」 はないか、とたずねられた。 大変ありがたい問い合わせだった が、、、 僕の答えは 「なかなか ないんですよねぇ」 だった。

先日(25日) 東大に行く用事があった。 30分ほど時間があったので、いつもと違うルートで 根津駅まで歩いていくことにした。 古本屋があるのに気づき、入ってみた。 昔ながらの品揃えのくせに、どこか今風のところを感じさせる店だった。 なかなかお目にかかれない一冊を みつけた。

  • 吉村文成 『 インド同時代 』

1985年にめこん社から出ている本である (→ こちら )。 なかなか手に入らない本だと思っていたら、まだ絶版じゃなかったんですねぇ。。。 喜ばしいことです。

この本を最初に手にしたのは、勤務していた在印日本国大使館でのことだった。図書館にあったこの本を何気なく手にし、かなり強く感銘をうけたのを覚えている。

今回 読みなおしてみたが、 現代インドの社会や政治や文化やら を、 なんというか 現地の人々の視線に立った外国人として ちゃんと知る ためには カッコウの本だと 確信しなおした。 専門的な研究書ではない。 エッセイというか 紀行文というか、なんだか独特のジャンルなのだけれど、まぁ そんなことはどうでもよくて、とにかく とてもよい。

表紙の煽り文句からして イカシテいる。

インドでこじきの目に感動してはならない。そこで感動してしまっては、何もかもぶち壊しだ。いわば、”異文化”に近づく戸口で回れ右をするようなものだ。

「神秘にして悠久の」精神世界をインドに見つける人たちを、わたしは疑っている。

これは 本書169~80頁あたりに書いてあることだ。 現代インドの研究者であれば、大方の人が 同じ思いを胸にいだいている。

本の作りも なかなかどうして 味わい深い。 わざとなんだろうけど、わら半紙の分厚いやつみたいな紙で、 粗雑な感じでつくってある。 この頃のめこん社の本を 僕はとても愛している。

とにかくお勧めの本だ。 この方面に興味のある方は、ぜひ一度読んでいただきたい と思います。 ただし、これは85年の本です。 今から20年前のインドということは 頭に入れておいていただきたい。 変わったところ、変わっていないところ、、、 当然のことながら そうした事柄が 読者である僕の頭には いくつもいくつも 去来します。

Hさん> なんでしたら、いつでもお貸しします。お申しつけください。

ちなみに、、、

もう一冊 一般書として心に残っている本を紹介しておきたい。

  • 藤原新也 『 インド放浪 』 (→ こちら

いわずと知れた、超メジャーな本である。 吉村さんの本より さらに古いもので、 消費されつくした感もあるが、 この手 の本 としては 僕は いまだに一番好きです。 写真の付いていない版も出されていますが、 ここはやはり 写真付きの方を お手にとっていただきたい。

もちろん これは、その手 の本であって、吉村さんの本とは かなり違う方向から インドにアプローチしている。 しかし、 やっぱり 面白い、 と僕は思うんだなぁ。。。

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高橋原 『ユングの宗教論』

川瀬さんのところにも届いたようだが 、 僕のところにも 著者謹呈をたまわった。

  • 高橋原 『 ユングの宗教論 キリスト教神話の再生

お金がない今、 こうして本をいただけると 本当にうれしい。

高橋さん> どうもありがとうございます。 ご家族にお変わりはございませんか。 また 酒でもご一緒致しましょう。

斜め読み1時間半 。 高橋さんへの ささやかなお礼として、 以下 簡単なコメントを書かせていただく。

斜め読み書評 であるのに加えて、 僕は、 ユング研究のなんたるか、 精神分析のなんたるか、、、を知らない 素人 である。 だから 高橋さんのご研究が どういった意義をもつのか、 どこが新しいことなのか、 本当のところはわからない。

そんな限界はあるけれど、 何かのお役に立つこともあろうかと思い、コメントを寄せさせていただくことにした。 「 素人の斜め読み 」 だからこそおもしろい、、、ということも、 まぁなくはないので。。。

業界外の皆さんへ> 書評っぽいコメントですから、 いわゆる 「 ネタバレ 」 が含まれます。 高橋さんの労作の ナマの衝撃を感じたい方は、 以下の拙文など読まないほうがよいです。 老婆心ながら、この点 最初に明記しておきます。

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大変 おもしろく拝読した 。 お世辞ではない。 ユングの姿が ずいぶん違って見えてきた。 

上で「素人」と書いたけれど、実のところ 僕は 「 ズブの素人 」 ではない。 大学入学時、 ユング心理学か 異常心理学か トランスパーソナル心理学をやりたい、、、と真剣に考えていた。 当時 バリバリ ハードコアなニューエイジャーだった頃。 

結局、 母校の心理学科が 実験心理学中心のところだというのがわかり、 僕は なんの素養もなかった哲学科にすすんだ (さらにその後 大学院からは宗教学にすすみ インド研究を社会学的なアプローチでするようになった)。 こうして ユングに本格的にとりくむことは ついぞなかった。 

ユングとその心理学説、セラピーについて 断片的な知識を一定量もっている私だが、 「 キリスト教徒としてのユング 」  という切り口については ほとんど何も 知らなかった。 高橋 『ユングの宗教論』 は まさにそれを主題とする本である。

非常に独自の 異端すれすれの神秘体験と直感を 「もうすでに」 もってしまったユング。 その彼が キリスト教の枠内で みずからの生と理論を 意義づけ 位置づけようとする、、、高橋は ユング思想を そのようなものとして描き出す。  それは 僕にとっては 実に新鮮なユングの姿だった。  だから 面白かったのである。

さて、 こうして書いてきて すでにお分かりかと思うが、 正確にいうならば、、、この本 実は  「ユングの宗教論」については ほとんど何も語っていない 。 この本が語っているのは、 正しくは・・・

  • ユングのキリスト教論 (18頁)
  • ユングとその思想を、キリスト教というコンテクストにおいて理解すること (23頁)
  • ユングの、あるいは分析心理学の「神学的傾向」 (24頁)
  • ユングの葛藤、論争を通じて、あらためてキリスト教文化――あるいは一神教文化と呼んでもよいだろうか――という異文化を対象化する[こと](25頁)

などである。 表題と内容が やや(かなり?)ズレているように思う。。。が いかがか。。。?

まぁ しかし、 上で列挙した目標について ということであれば、 この本は 本当にちゃんと書けている。 表現も論旨展開も明晰で、 とっても読みやすい。 ユングの罠にはまったような人に、 ぜひ一読をすすめたい本だ。 そして 19世紀末から20世紀前半の 西洋思想に興味をもつ方にも おすすめの本だ。

高橋さん どうもご苦労さまでした。

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以上が 昨日(18日)夜8時の時点に 書いた内容である。 現在 19日の午前10時。 「 素人ななめ読み書評 」では あまりにひどいので、、、 せめて その後 ちゃんと読んだ部分についてのコメントは、 コメント欄に随時 書き加えていきたいと思います。 

ご興味のある方は そちらもご覧ください。

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ホセ・カサノヴァ 『近代世界の公共宗教』

ホセ・カサノヴァ 『近代世界の公共宗教』 (→ こちら @アマゾン) を読みなおしている。 言うまでもなく、 宗教政治学のお手本 の一冊だ(→ こちらのエントリ も参照)。

まだ1章を読んだところだが、 自分がどれだけ強く この本に影響されていたのか 気づいて、びっくりしている。

最初に読んだのは、 出てすぐのことだから もう7~8年前。 そんなに熱狂して読んだわけではなかった。 でも、、、 基本的な主張、 細かな論旨展開、 記述のスタイル、、、 今の僕と すごくよく似ている 。 とくに 最近の自信作 「 宗教復興と世俗的近代 」が まるでカサノヴァ的であるから、 自分でも ちょっととまどっている。 

全面的に絶賛、、、というわけではない。 注文を二点 つけておこう。

  1. カサノヴァ本人も認めていることだが、あまりにも「 西洋中心 」すぎる。 なんてったって、キリスト教のことしか書いてないのだから。。。 僕の研究は、カサノヴァの理論枠組みを ヒンドゥー・ナショナリズムの事例から検証するもの、、、という位置づけができそうだ。 同じ疑問は、 矢野秀武さん からも提出されている( こちら @アマゾン)。 カサノヴァの議論では、タイの仏教のことがさっぱり分からない、 というわけだ。 さもありなん。
  2. 宗教概念の定義問題 が 完全に脇におかれている。 これはマズい。 この問題は、宗教復興論、世俗化論、「公共宗教」論の本質に関わる。 僕自身、上記拙稿で これらの諸問題のリンクを ほのめかすだけでおわっている。 一度、ちゃんと論じておかないといけない。 来年の宗教学会ででも 発表させていただこうかしら・・・

こうした注文はあるけれど、 やっぱりよくできた本だ。 カサノヴァの頭の良さが サラリと表されている。 これからも しばしば読み返すことになるだろうなぁ。。。

なお、2004年9月、カサノヴァさんが来日した折の動向については、 川瀬貴也さんがレポートしてくれている(→ こちら )。

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ジル・ケペル『宗教の復讐』

宗教政治学のお手本がない!! と書いたが(→ こちら)、 ヒンドゥー・ナショナリズム研究をやっていくに際して (正確には、ヒンドゥー・ナショナリズムの世界史的な位置づけについて考えるに際して) 僕は 徒手空拳であったわけではない

もっともよく参考にしてきた一冊は ジル・ケペル『宗教の復讐』 (→ アマゾンなら こちら) である。 (英訳も読んでいるが、、、 お恥ずかしい、、、 僕はフランス語が読めない、、、原典を読んでいない、、、)

この業界ではもはや「古典」のおもむきすらある この本。 『 現代宗教事典 』に独立項目が立っていたりする。

たしかに役に立つ。 しかも 世界的にみても、この分野ではもっとも早い業績でもある。 (最初の著作が一番よい、、、というのは よくあること。 まさに 古典!!) 

ただし 難点がある。 

第一に、 ケペルが近代性と宗教性を 比較的単純なしかたで 対立的に理解しているところだ。 この本・・・ 各地の情勢 (政治と社会の情勢。 「社会」も入っているところが、この政治学者による著作の長所のひとつだ)を かなり繊細にフォローしている。 また、 いろいろな限定をつけて、 現代史の厚みを描こうとしている。 けれども!! フランス的な発想なんだか、 ヨーロッパ的なんだか、 西洋的なんだか よく知らないけれど、 結局 大枠が 宗教 vs 近代性 という おなじみの 二項対立図式 になってしまっている。 (この図式の不毛については こちらの論文 で論じさせていただいた)

第二に、 これまたよくあることだけど・・・ いわゆる「原理主義」の比較研究が目指されているこの本、、、 やっぱり セム的一神教 (ユダヤ教、キリスト教、イスラーム) だけが対象になっている。 インドのことなんて、ほんのちょっと ポロッとふれられるだけ。 これは やっぱり 「宗教論」 としては 弱いです。 仕方ないこととはいえ、 どうしてもこうなっちゃうんだよなぁ・・・ 実際、 僕もそういことできていないし・・・

このような批判はあるのですが、 ともあれ 今でも折にふれ 手に取る一冊なのでした。

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国際政治事典

国際政治事典 が発刊されるよ、との知らせが 弘文堂からきていました。もう出たのかと思って調べてみたら、実際の発売は11月になるみたいで