ムスリム自己責任論

ヨミウリ・オンライン で検索しても出てこないのだが・・・

7月3日付け読売新聞、国際面の 「 ワールドビュー 」 というコーナーに、「 穏健イスラムが語る改革 」 という記事がのっていた。記者は 寺田正臣さん ( アメリカ総局長 ) 。

マレーシアの元副首相・蔵相であった アンワル・イブラヒム氏 とのインタヴュー記事だ。面白かった。

記事によれば、アンワル氏は、「 マハティール政権下の98年に職権乱用・異常性行為で逮捕、解任され 」 、「 2004年9月に釈放されたものの公務への復帰の道は閉ざされたままである 」 。 現在は、米ジョージアタウン大学の客員教授。 同大 「 イスラム・キリスト教徒和解センター 」 在籍。

内容は、お定まりの ムスリム自己責任論 である。

以下、アンワル氏の発言を記事より引用。 (括弧づけママ)

イスラム諸国は自分たちの手で社会を変えて行かねばならない。米国や英国が ( 民主化などで ) 注文をつける前に動くべきである。教育、男女格差の解消、自由社会の実現などの改革は外からではなく我々自身の義務なのだ

準備がまだできていないとイスラム教徒は言う。しかしそれは違う。 ( 多くのイスラム諸国が独立してから ) もう50年もたっているではないか。2世代、3世代にわたって我々は何をしてきたのか

つまり、「 穏健ムスリムが語る改革 」 のススメ である。

なるほど納得させられる。ここで述べられているのは、たしかにその通りといえよう。ムスリムが果たすべき責任はたしかにある。

しかぁし!!

ぜひとも注意しておかねばならないことがある。

それは、 ムスリム自己責任論は、ムスリム自身が語るときにだけ有意味だ 、ということである。

僕らが、この記事に溜飲を下げて

そうそう そうそう!! まずは連中がしっかりしないとなぁ・・・

などと言ってはいけない。

問題は、極度に政治的で、歴史的である。当事者にもどうにもならない構造的矛盾や心理的ジレンマがある。

ましてや、いわゆるムスリム諸国とイスラーム表象には、 「 大国 」 の恣意的で、利己的な介入と干渉が、大規模かつあけすけな形で、ここ50年間ずっと繰り返されてきたのだ。

このことを思えば、部外者が外側から自己責任をもとめることが いかに不実、不誠実であることか。

読売新聞と寺田総局長が、どのような意図で この記事を執筆、掲載したかはわからない。しかし、そうした配慮は 記事の文面には皆無 である。

いわゆるイスラーム問題の混迷ぶりに うすうす気づきつつある日本国籍保持者たちが、このような記事で、責任を当事者にだけ押しつけて スッキリしよう なんて、考えたりしないだろうか。

それが心配。

歴史と政治と宗教の複雑さに堪えうるような、粘りづよい知性を養うこと・・・

それが、 国際政治における成熟 ・・・ というものだろう。

えっ?! そんなこと興味がないって?!

では、ハヤリコトバでもって 言い直しましょう。

そうしないと、日本の国益 がかえって損なわれてしまうのではありませんか。

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金力は救いである

先日、 「 資本主義スピリチュアリティ 」 というエントリを書いた。

そこで言いたかったのは、スピリチュアル・ブームは、 グローバルな企業資本主義 の拡大、ないしは 新自由主義経済理論 のグローバルなヘゲモニー獲得 という事態に対応している、ということだ。

こうしたことを指摘するとき、僕が 「 皮肉ったり、揶揄したりしているのではない 」 のは、その前のエントリ に書いたとおりだ。 僕自身、そうした世界のなかで、たしかに スピリチュアルなものの癒すチカラ を必要としている。

さて、本論である、、、

上のような意味での現代社会において、癒しやエンパワメントは 必ずしも スピリチュアルなものからだけもたらされる とは限らない

そのことを明確に示すインタヴュー記事を、 『 AERA 』 ( 2006.7.3 号 ) でみつけた。

この号の AERA はなかなか面白かった。すでに こちらのエントリ で一つのコーナーを紹介したが、実は またもう一つ別に 紹介したい記事がある。後日!!

下着通販会社 「 ピーチジョン 」 野口美佳社長をとりあげた、人気コーナー 「 現代の肖像 」 である ( 63-67頁 ) 。 ライターは清野由美さん。

記事によれば、PJ の顧客リスト数は300万人、年商は160億。当期利益19億円を 無借金で!! 実現しているとのこと。

社長自身が広告塔になるという PJ の企業戦略・・・ AERAによる勤労女性 ( 笑 ) のターゲット化・・・ こうしたことは先刻承知である。 承知のうえで、のっかっていこうと思う。

以下、引用です。 (ルビ省略)

20代でわけもわからず始まった結婚生活と怒涛の仕事は、男性社会が女に強いる理不尽の連続だった。仕事で生じる責任は同じなのに、女の自分は一方で炊事や洗濯、育児を支えねばならない。そして、そこに少しでも不備があれば、口を極めて罵倒される。仕事では上司、私生活では夫。そんな正二 [ 前夫、野口正二氏 ―― 引用者注 ] に象徴された理不尽は、愛情と憎悪、理想と現実という二極をあざないながら、長い間、野口をふたつに引き裂いてきた。 ( 67頁 )

こうしたところをくぐり抜けて、 「 立身出世 」 を果たした野口社長。

ここまでだったら、 「 女一代記 」 みたいなノリでおしまいだ。

しかし、この記事のクールなところは、ちゃんと次のような問題に言及しているところだ。

とはいえ、今の野口のライフスタイルが、突出した経済力に支えられていることは間違いない。それをそのまま、女性の理想像に敷衍してもいいものか。 ( 同 )

この問いに対して、記事は野口社長自身の考え方を示す。

「 私が切り開いているのは金儲けではなく、自分自身の考えで自由に生きていい、という価値観。それが広まれば、女性はもっとラクに、女のまま、社会になじんでいける。ただ、開拓者には経済力が必要で、たまたま私がその役目に生まれた。後に続く人は、私のようにがむしゃらに稼ぐ必要はない 」

「 開拓 」 はまだ道半ばだ。自分が自由になったら、今度は社員が自由になってほしいし、そこから日本全体、世界全体に自由が広がってほしい。だからこそ、動けるうちに稼ぐと、ハラを決めたのだ。

カネは自由の基礎である 。 チカラは自由の足場である。 金力は救いである

こんなところを考えないと、世界の姿は見えてこない、と思う。

<メモ>

  • AERA は こちら から
  • PJ へのリンクは あえて張りません ( 悔しいから・・・ 笑 )
  • 当ブログで、女性についてのエントリは こちら より
  • 野口社長、7月3日放送の 「 カンブリア宮殿 」 に出演

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「 原理主義 」 という言葉

宗教学や宗教研究、あるいは中東地域研究者のあいだでは、 「 原理主義 」 という言葉 を、できるだけ用いないようにしよう、というのが 広い合意を得ています。

その理由は、この言葉には、あまりにも否定的なニュアンス ( 狂信的で、破壊的で、暴力的で、、、云々 ) が つきまとっているからです。

特定の運動/現象をこの言葉で名づけてしまいますと、もう最初っから バカにした感、、、頭がおかしくて、粗暴で、野蛮な連中といった前提、、、があからさまになってしまう、というわけです。

日本語で 「 原理主義 」 だと、まだよいのです。

問題なのは、欧米語です。 fundamentalism なんて言う場合です。 欧米諸語の語感からしますと、上のようなバカにしたニュアンスはかなり強くなってしまいます。 つまりそういった場所では、この言葉は ハナッカラ 悪口、蔑称 なのです。

学会内では 比較的早い段階から この言葉づかいの問題が指摘されておりました。

そのせいかどうかは知りませんが、最近になって、マスコミもそれに同調しつつあります。 たとえば、テレビ・ニュースや大手新聞などで、ハマスは 「 イスラム過激派組織 」 と言われるのが、最近の通例です。 これは さほど悪くない呼称だ、と僕などは思うわけです。 

さらに専門的になりますと、 「 イスラーム主義組織 」 などとなりますが、業界外の方には なんだか 分かったような分からないような 言葉でありましょう。

※ イスラム、、、ではなく、イスラームである点にも注意

※ 「 イスラーム主義 」 という言葉の説明は こちら 参照。

留意点:

  1. もちろん、蔑称だと分かって、この言葉を使うのなら、それはそれで いたし方のないことです。ただ、言葉のニュアンスがあまりよく理解されていないのだとしたら、問題があります。
  2. 「 イスラム原理主義 」 という言葉が、最初から暴力性を前提としているため、より平和的な部分への注目が、自動的に弱くなってしまうことは、大きな問題です。 たとえば、ハマスに社会福祉部門があることはよく知られたことです。パレスチナは極端な事例なので、なかなか 「 平和的 」 ということが言いにくいのですが、他のイスラーム諸国、諸地域には、かなずしも暴力的ではないような 「 イスラーム復興 」 の潮流もあり、それが 「 イスラーム主義 」 (政治的で、ときに過激化するイスラーム的運動 ) と重なりあっています。 「 原理主義 」 という言葉は、そういった側面を、なにか付け足しのような、二次的なものとしてイメージさせてしまいかねません。

こうした背景がありますので、先便 で J-WAVE が 「 原理主義 」 という言葉をためらわずに使っていた、とご報告したわけです。

※ J-WAVE の名誉のために言っておきますが、僕は このラジオ局の報道センスを、さほど疑ってはいません。その他の番組などでは、実に丁寧なニュースj解説がなされています。まぁ、、、全体的に保守的なのは仕方のないことですが、、、

言葉狩り は実にくだらないことです。

僕も 「 原理主義 」 という言葉を一切使うな!! なんて言いたいわけではありません。

※ むしろ、この言葉を、比較のための分析概念として定義しなおそうとした、臼杵陽 『 原理主義 』 ( 岩波書店、1999年 ) を、高く評価する書評を書いたこともあるぐらいです。 

ただし、、、

  • 言葉づかいが誰かを苦しめる場合があるわけで、そのあたりの事情だけは、ちゃんとおさえておくべきだ、、、と思います。
  • 言葉づかい次第で、よりよい理解が遠くなったり近くなったりするので、ちゃんと考えておいてもよいだろう、、、と思います。

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世界のシェリフ

パレスチナでのハマス大勝、、、武装放棄拒否のニュースを聞きながら。

わけても軽視してならないのは、 犯罪者は裁判上および行刑上の処置そのものを見るというまさにそのことのために、 自分の行為、 自分の行状を それ自体において 非難さるべきものと感じることをいかに妨げられるかということだ。 というわけは、 犯罪者は、それと全く同一の行状が正義のために行われ、 そしてその場合は 「 よい 」 と呼ばれ、 何らの疚しさを感じることもなく行われているのを見るからである。 ( ニーチェ 『 道徳の系譜 』 木場深定訳、岩波文庫、95ページ、強調ママ )

具体的には、 「 警官や検事 」 が弄する 「 探偵・奸策・買収・陥穽 」、あるいは 「 刑罰 」 における 「 褫奪・圧制・陵辱・監禁・拷問・殺害 」 などのことである。

あぁ 世界のシェリフ よ、、、俄か靖国信者の宰相よ、、、

<メモ>

J-WAVE のニュース速報では ハマスは 「 イスラム原理主義組織 」 と言われていた。

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年次改革要望書

いつもいつも申し訳ないが、またも粟津さんのブログ、こちらのエントリ にドキリとやられて、リンクをはらせていただく。

本当にお世話になっております。 > 粟津さん

アメリカ発、日本宛の 年次改革要望書 の話だ。 これは本当に問題なので、いつか書いてやろうとおもっていたら、粟津さんがちゃーーんとお書きになってくださった。

ここでもまた、僕がわざわざ付け加えるべきことはない。 ウィキの当該項目へのリンクも貼ってあり、参考文献も示されている。

ナショナリズム批判をおこなっている僕だって、こんな要望書が当たり前のように出され、それを政府が 唯々諾々と 拝領 している ( ように見える、、、実はそうではなく、政治家、官僚のなかに忸怩たる思いがあるのを、僕はよく知っている、知っているが、それでもやはり そう見える ) と

こんのやろぉ、、、米帝めぇ、、、、

とばかりに、僕のなかの、右だか左だかわからない、ナショナリスト感情がわきおこる ( 恥ずかしながら、基本的にマッチョな僕では、なおさらそうだ )。

平静、冷静に論評すれば、これは80年代以降のアメリカによる日本改造計画の一部だ。 バブル経済の発生と終焉も、こうしたアメリカの介入に原因があったことは、もはや周知の事実。 「 コーゾーカイカク 」 を突き動かす、非大衆的な動員としては、これは最大のもののひとつだ。

アメリカを悪にまつりあげて安心しようとは思わない。 しかし、アメリカのやり口 だけは ( それに乗っかろうと、乗っかるまいと ) ちゃーーんと知っておかねばならない。

<メモ>

粟津さんのブログ、上記エントリ は、実は こちらのエントリ の続報である。 そこでは、関良基さんの 代替案 というブログが紹介されている。 粟津さんも、そちらの関さんの論調にインスパイアされたとのこと。 僕も早速拝読したが、なるほど面白い。

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ごまかされたい人々

いつもお世話になっている粟津先生のブログに、なんとも深くうなずくエントリがあった (→ こちら )。 靖国参拝は 「心の問題」 だとする 小泉の強弁 に対する批判である。

僕がなにも言い加えることはない。 ただもう、粟津先生にハゲシクドーイである。

一言だけ、先生も当然お分かりのことを言い添えるなら、 「ごまかし政治」は ごまかされたい人々 がいるからこそ 成り立つのだ、ということ。

ポピュリズムがどんなに隆盛になろうとも、エリート批判をエリートが口にするのがどんなに当たり前になろうとも、 言うべきことは言わねばならない。 高圧的になりたくはないし、衝突が好きなわけでもないけれど、やっぱり そういうことは必要なのだ、と思う。

<メモ>

粟津先生> 遅々のレスで どうもすいません。

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インドの爆弾テロ

ずっと「下書き」状態になっていて なかなかアップできなかった。 インドの爆弾テロ の話。

29日、インドのデリーで 爆弾テロがあった。 先日までの死者は61名にのぼるという。 秋の大きなお祭りであるディーワーリーをすぐにひかえて、楽しげに買い物する市井の人たちをねらったものである。 爆弾が炸裂した3箇所は、いずれも 下位中間層の家庭が 日用品やらなにやらを買い求める 庶民のマーケット地区 である。 僕もよく 買い物にいった。 また、ひとつの地域は デリーの安宿街、 バックパッカーならだれでも知っている メインバジャールであった。 

犯人はおろか、犯行グループの背景もまだ特定されていない。 日本の新聞の記事では、パキスタンに拠点をおく イスラーム過激派組織のひとつによる犯行ではないか、、、カシュミールで活動する 同様のグループの犯行ではないか、、、などと書かれていた。 今回の大地震 を契機とする 印パ融和ムードをこころよく思わない者たちの凶行だ、との見方である。

その可能性は たしかに排除できないものの、 まだそれは単なる予測にすぎない。 事態の推移を冷静にみまもるようにしたい。

ところで、、、

日本のテレビは この事件を 実に小さくしか取り上げていない。 イラクとインドネシアでの爆弾テロがあまりに目立つせいだろうか。。。 その間の地域への注目が すっかり弱くなっているように思えてならない。 インドは ムスリム人口が世界第二位の国である。 南アジア地域ということであれば、 圧倒的に世界一だ。 もっと注目が集まってもよさそうなものなのに・・・ (タイでも イスラーム過激派によると思われる陰惨な事件が起きたばかりである → こちら

<メモ>
日本外務省の渡航情報は こちら
とりあえず目についたものとして、日経の報道は こちら
僕がTBさせていただいたブログは こちら 。 そして こちら

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小泉靖国参拝 #3

なかなかしっかりと書く時間がとれない、、、 小泉靖国参拝 の憲法問題としての側面。

高橋哲哉  「 首相の「靖国」参拝─何が「問題」か 」 は、まずはぜひ読んでいただきたい記事です。

<追記>

先々便 「 小泉靖国参拝 」 (→ こちら ) コメント欄での かんたさんとの意見交換は さらに継続中です。

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小泉靖国参拝 #2

もしや お気づきでない方もいらっしゃろうかと思い、 まったく老婆心ながら お知らせいたします。

先便 「 小泉靖国参拝 」 (→ こちら )のコメント欄にて 「かんたさん」と かなり突っ込んだ議論をさせていただいております。 

ご関心のある方は どうぞご覧下さい。

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小泉靖国参拝、および公明党

小泉靖国参拝、および公明党 の問題 (ただし、いわゆる 学会バッシング ではない。 責任与党としての公明党についての 真っ正直な評価と批判) に関連して、 先日もご紹介した 先生のブログで 立てつづけにエントリがあった。

いずれも短いものではあるが、参考になる。 僕としては、とくに後者のエントリに 強く印象づけられた。

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小泉靖国参拝

宗教政治学宣言 をかました身としては、 はやく書かなくちゃ、はやく書かなくちゃ、、、と 気ばかり焦っています。 小泉靖国参拝 問題!!

時間がないので 要点だけ。

  • 首相、閣僚の靖国参拝に 断固反対
  • 外交問題、憲法問題だけに 反対の理由を限定してはならない、と考える (もちろん 双方とも 本質的に重要な問題ではあるが、、、)
  • 戦争責任、不戦の誓い、、、そういうものへの 態度不十分さが問題だ! と提言したい
  • 次の条件がクリアされて はじめて、 首相の靖国参拝の当否を議論することができるようになる 、と考える (ご注意: してよい、、、すべきだ、、、ではない!!)
  • すなわち、隣国、世界各国の 「追悼施設」 「戦争記念施設」 への 「 公式 」 参拝を、継続的に 日本の首相、閣僚がおこなってきた という実績が積み重なること
  • それについて 各国の (反日過激派 以外の ) 良心派とのあいだで 一定の理解が積み重なること 
  • 外交問題、憲法問題も、、、行政+民間のこうしたイニシアティヴにより 大きく様変わりするだろう
  • しかる後に、 国内の問題として 憲法論議(主として 政教分離、信教の自由、良心の自由)をすることができるだろう。

走り書き ご容赦ください。 大して煮詰まってもいないアイディアの羅列です。 また必ず、これについては書きます。

<リンク>

いつも回覧しているブログでは まだ全然 議論がもちあがっていない。 現時点で 素早い反応を示したのは、次のエントリのみでした。

  • おそらくは 公明党支持者/共鳴者だと思われる 大学の先生による エントリ → こちら
  • 政治問題についていつも迅速な反応を示し、なおかつ 明確な立場を決して崩さない リベラル派の大学の先生による エントリ (日記形式のもの) → こちら

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パキスタンの地震

何度も書いては消し 書いては消しをくり返した このトピック、「 パキスタンの地震 」。

これはもちろん通称である。 間違えてはいけないのは インド側カシュミール(インドが実行支配するジャンム&カシュミール州)でも 多大の被害がでているということだ。 「パキスタン地震」という呼び名は便利すぎて、事実を覆い隠してしまいかねない危険がある。 コトバが先行して、そこから事後的に理解ができあがる というのは、まぁ、よくある話なのだが、、、 こういったことをきっかけに、日本の皆さんのあいだで 印パ分離の歴史(→ こちら 、 あるいは こちら )についての関心が増してくれたらよい、と思う。

死者2万数千から4万人、被災者250万人、、、もう僕は 何を言ってよいか 分からない。どんな不幸がそこに生まれ、どんな悲劇や希望がそこで交差しているのか、、、 現地の人々、救援活動をなさっている人々、その他諸々の関係者の皆さん、、、心からのエールを送りたい。

カシュミールにもパキスタンにも 実は 僕は行ったことがない。しかし、南アジア研究者としては やはり身近な問題のように感じられて仕方がない。 インド洋津波があり、今回はまた地震。。。 南アジア西部の大災害ということでは、グジャラート地震(2001年1月)も 思い出す。。。 僕自身が人生をかけて関わりつづけている地域で、恐ろしい天災がつづいている。

こうしたことを どのように受け止めていくのか、、、これは 僕にとってまったく解決されていないままに残されている問題だ。(→ こちらのエントリ も参照)

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こんなブログごときに コトバを連ねてみても仕方ない、、、と思っていたが、ひとつ 僕が書いておかねばならないと思われることがあったので、ここに エントリすることにした。

それは、 谷川秀善外務副大臣の訪パ の話題である。

小渕さんか森さんか小泉さんか、その辺りから、外務副大臣が海外の現場に飛ぶというスキームができあがっている。 これを日本の皆さんは どう思っているのだろう? 脱官僚/政治家主導の行政・外交、、、ということで これを歓迎するのだろうか?

たしかに そういった面はあろう。 外交において「顔」をしっかり売り込むというのは、本質的に重要なことであり、政治家がその役割をはたす、ということなのだろう。 それはそれでよい。 あとは 個々の政治家の実力が問われるだけだ。 はてさて 谷川さんは どれほどのモノだろうか ・・・?

ただし、かつて在印日本大使館で勤務していた僕には 言っておきたいことがある。 それは、こんな大災害のときに 大臣なんかが来たら、現地の外交官は 本当に、本当に、本当に 大変だ!! ということである。

地震が起きて、現地の外交官の仕事量はハンパじゃないものとなっているはずだ。ほとんどの人が、ほとんど眠っていないはずだ。 そこに、、、 大臣が、意気揚揚と 、、、なんて、自分のことと思ったら、そりゃぁもうゾッする。 政治家が「顔」になってくれるのはよいが、そして (なかなか ありえないことだとは思うが、まぁ それでも もしも)それが 本当に困っている現地の人ひとりひとりの助けになるのなら、素晴らしいことだが、 谷川さん、ちゃんとはたらいている外交官の皆さんを どうかちゃんとねぎらってやってください。 主権者であるわれわれは、そうした外交の現場を 少しでも身近なものに感じていくのが好ましいと思う。

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実践的理想主義者

右翼ともいわれ、左翼ともいわれる 私の政治的立場。

つらつら考えてみるに、結局 僕の政治観は マハトマ・ガンディー から ほとんど一歩も抜けだしていないのです。 それは、政治について僕が勉強をはじめたのが、修士論文にガンディーをとりあげたのが きっかけだったからです。

ガンディーは 自分のことを 「 実践的理想主義者 a practical idealist」 と呼んでいました (→ こちら あるいは こちら を参照)。 

理想の実現のために現実的な対応をおこなう、 つまりは・・・
妥協や制限、方針転換などをおこなうけれど、決して 理想そのものをすてることはないのであって、 むしろ、そうすることで・・・
理想のたしかさを、理想が空想ではないことを 積極的に証しちゃおうとする人

ってな意味でしょうか。

おかげで ガンディーは 一方からは 

  • 「どうしようもない策士」
  • 「無定見の宗教家きどり」
  • 「政治の世界に迷い込んだサードゥー」

みたいなことを言われつづけ、 また もう一方からは

  • 「頑迷なる狂信者」
  • 「傲慢不遜な権力者」

とも言われつづけたのでした。

僕は そうしたガンディーのバランス感覚が 好き なのです。 欠点があることは知っているし、ガンディーと対立した人たちが どれほどイライラさせられたかも知っています。 しかし、それにも関わらず 僕はガンディーの行き方を 理想化しているところがあります。 良きにつけ悪しきにつけ、政治のど真ん中を渡りあるいた ウルトラ理想主義の宗教家というのは、歴史上でも ほとんどいなかったのではないでしょうか。

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中道左派と左派の大同団結

前便「 民主党の役割 」で 次のような課題を示しました。

  • どんな条件がそろえば、民主党は解体するのか?
  • どんな条件がそろえば、社民/共産勢力は現実路線をより大きくとり入れることになるのか?

つらつら読み返してみまして、、、老婆心ながら これを書いただけでは、読者に誤解をあたえかねない と思い、補足説明をさせていただくことにしました。

上の二つの課題、、、

  • 民主党は解体すべきだ
  • 社民/共産勢力は現実路線をより大きくとり入れるべきだ

という 主張ではありません!! そうではなく、政界再編の軸となる課題は この二つになるだろう、という だけ のことです。

僕は――いくらか消極的であるとはいえ――護憲派ですから、社民/共産勢力には あまりに「現実主義」に寄ってもらっては困ります。(僕は 「現実主義」批判の論文を書いたことすらあります) また、いま民主党が解体すれば、政権交代の芽(せっかく わずかながらも 芽生えた可能性)は ついえてしまいかねません。 

こうしたことを了解しつつ なお 非自民党勢力の整理整頓――はっきり言いますと 中道左派と左派の大同団結 ――、これはほとんど不可避だろう と思うのです。(小選挙区制では、そうしないと 決して勝てないからです) あれだけ悪口を言っていた公明党と ガッチリ ニコニコ 連携できる自民党は、主義信条の面で美しさのかけらもありませんが、強いです。図太いです。

これを見習えとはいいません。しかし、政治とは どこまでもそのようなものなのでしょう

そういう微妙なバランスを頭のなかに入れながら、先の二つの課題について 政治家は「現実的」な対応を模索してほしいし、僕は 評論家の一人として 知的な整理をしていきたい、と思います。

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民主党の役割

民主党は どうしてあんなに自信喪失し、混乱しちゃってるんだろう・・・?

小選挙区制での議席数予測なんて、ほんとのところ 誰にもできやしない。議席数の激減よりも、得票率をみてみればいいじゃないか、と思う。小選挙区で36.4%(自民 47.8)、比例区で31.0%(自民 38.2) っていうのは、立派な数字じゃないか。

「議席数はあれですけど、国民の直接の支持では ここまできてるんですよ!!」 って、テレビでもっと言えばいいのに・・・・・・ なんで あんなに 負け犬っぽい所作 をするんだろう・・・? 党内政治、支持者に対するパフォーマンスなのかなぁ・・・? 得票率なんて、普通の国民は知らないんだから、もっともっと アピールすればいいのに・・・・・・

それよりも、本当に大事なのは 小泉の勝利のわけだ。

守旧派=自民党、刷新派=民主党――これが 当初の図式だった。でも、「ジュンちゃんのコーゾーカイカク」が登場して、この図式は 根底から無意味になった。民主党の役割の第一段階は、そこでもうすでに終わっていたのだ。 そこがはっきりされなかったから、有権者もなんだかボンヤリしている。

今回の選挙ではっきりしたこと:

  • おそらくは無駄におわるだろうけど、国民の小さからぬ部分が 「ジュンちゃんのコーゾーカイカク」にまだ期待を寄せている。
  • 郵政民営化法案をめぐる国会内でのやりとりを、お茶の間は、「ジュンちゃん vs テーコーセーリョク」の図式で見ていた。マスコミは「抵抗勢力」という言葉を ぜんぜん使っていなかったけれど、やっぱり「ジュンちゃん、かわいそう」なのである。

これを「劇場政治」「ワイドショー政治」「愚衆政治」「ポピュリズム」と呼ぶかどうかは、長くなるので ここでは論じないでおく。  ともあれ・・・  日本の構造改革と政界再編を真剣にもとめる人が今すべきことは、中期的な展望の組みなおしではないか、と思う。

それはつまり、次のような課題に取りくむことだ。

  • どんな条件がそろえば、民主党は解体するのか?
  • どんな条件がそろえば、社民/共産勢力は現実路線をより大きくとり入れることになるのか?

こうした課題について、政治家は戦術戦略を練り、僕ら評論家は理解枠組みとコトバを練りなおす――それが いま本当に求められていることだ と思う。

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今回の総選挙

川瀬さんのブログにもコメントさせていただきましたが・・・

やはり ここにも書かないわけにはいきません、 今回の総選挙!

===< 以下、同上コメントの文面を少し変えたものの 再録御免 >===

背筋の寒くなる結果でした。ただ、得票率が国民の真の声ですから、そこは間違えたくない。

また、小泉を「稀代の喧嘩師」などとは決して言いたくない。結果の大きさにまどわされず、その要因を冷静に分析したい。  で・・・

  • 小選挙区制 のもとでは、ちょっとしたウェーブも大増幅される
  • 小選挙区制 のもとでは、選挙協力をした政党が勝つ

こうした制度的要因に加え、選挙政治における次の大鉄則がほとんど言われてないようですね。

  • マクロの経済指標 が好調なときには、与党が勝つ

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続きは 次便にて。。。

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