田中智学の八紘一宇
「八紘一宇」という言葉が いきなり話題になってる
ハフィントン・ポストの記事がすごくよいので 助かる
まぁいろいろ論じることはあるが… 上の記事を補足する情報をちょいとメモしておこう
島薗進先生の 『日本仏教の社会倫理』 の一節である
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では、日蓮主義および在家主義という新形態をまとった田中智学の正法理念は、国家神道とどのように関わりあったのだろうか。初期の田中智学は国体論にふれることはなく、日蓮宗による仏教国家の樹立を展望していた。ところが、一九〇〇年代の初期に智学は「国体」、すなわち神聖な天皇による統治の理念を取り込んでいく。日蓮宗の正法理念と国家神道とを折衷したような主張を展開し、そのことによって国家神道体制の下での影響力拡大に成功するのだ。
一九〇四(明治三七)年に公表された『世界統一の天業』で、智学は『日本書紀』に記された神武天皇の即位の際の言葉に注目する。「養正」と「重暉」というあまり知られていない語(それぞれ正義と明智を表すとされる)が、徳治の理想を示すものであり、この理念に基づいてなされてきた歴代の天皇の統治は神聖だった。だから、万世一系の統治がなされてきたとする。これは万世一系の天皇による統治の神聖性が、天照大神との血縁や天照大神の神勅により神聖性として示されていないという点で、正統の国家神道の教えから逸脱している。だが、「国体」の語を積極的に用い、歴代天皇の統治を神聖なものとする点では国家神道体制を受け入れる姿勢を示すものだ。「八紘一宇」の語が国体の理想を示すという用法は、田中智学が用い始めたもので、この点からも近代の「国体」理念の展開という点で智学は無視できない存在だ。
223-24頁: ルビは省略
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ここまで述べてきたように、その日蓮主義は在家主義という新しい考え方とも深く関わっていた。出家者=僧侶や寺院ではなく、在家信徒こそが仏法実践の主要な担い手だという立場だ。田中智学は在家主義的な法華=日蓮仏教の宣布を理想としたが、当初からそれを、国家が正法(法華=日蓮仏教)に帰することによって平和と発展を、ひいては世界統一を実現することと結びつけた。
やがて国家神道が優勢になってくると、それに妥協しながらも、法華=日蓮仏教と世界統一国家の「理想」を追求するようになる。この転機となったのは、一九〇〇年代前半に国体論を取り込み、国体論と法華=日蓮仏教とを合体させたことである。これにより、救済論的な使命をもった国家を支える法華=日蓮仏教という政治的な理念が強力に作動することになった。
これは元寇の危機に際して法華仏教による国家救済を唱えた『立正安国論』(一二六〇年)の日蓮の国家救済思想の側面にインスピレーションを得たものだ。ほかの仏教潮流を厳しく否定しつつ、自ら信ずるところの正統仏教による統一を主張する宗派主義的な正法で、石原莞爾や井上日召をはじめ政治的関心の高い多くの人々をひきつけた。さらに、宮沢賢治のように政治的関心というより、高度に洗練された宗教的理念と文化実践を結びつけようとした人も、また田中智学の強い影響を受けたのだった。
225頁: ルビは省略
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