カテゴリー「02A 南アジア研究」の記事

2016年6月 7日 (火)

近現代の日印文化交流 ― タゴールと遠藤周作 ―

去る2016年6月4日、 青山学院大学で

「近現代の日印文化交流 ―タゴールと遠藤周作―」

という発表をさせていただきました

全国大学国語国文学会の 60周年記念大会 (第113回大会・平成28年度夏季大会)

60周年記念パネルディスカッション 「日本とインドを結ぶ―交流の過去・現在・未来―」
の二人目の登壇者として、です

当日お示ししたパワポ資料を お約束どおり、アップいたします

こちら ↓ よりダウンロードしていただけます(=゚ω゚)ノ


なお、この発表は論文にするお約束となっております

2015年12月17日 (木)

ヒンドゥーの霊的原初主義

こちらのエントリ「コミュナリズムの友敵イデオロギー」

「霊的原初主義」という謎めいた造語を使いました

その簡単な説明文です

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 かれら「ヒンドゥー」の霊的原初主義の立場によれば、「ヒンドゥー」は超歴史的な実在である。「ヒンドゥー」は、起源こそはっきりしないにせよ(超越神から聖者への啓示というできごと、およびその記録としての聖典が、不明確にしか特定できないか、あるいは始原としての絶対的な意味をもっていない、という事情があるにせよ)、はじまりのわからぬ太古の昔から現時点まで、そして未来にわたっても、ひとつの集団として実在しつづけるのだ。そして、この実在は超歴史的であるのと同時に、まったく歴史的でもある。なぜなら、神がみと人びとが、インドという大地において(大地もまた女神そのものである)、具体的ないとなみを各時代の各場所でひとつひとつ、つみ重ねてきたことで、それは永続性をもちえているからだ。


 こういったわけで「ヒンドゥー」は、まったくこの世的かつ霊的でもあるような諸存在のなかでも、特別な価値をもった実在になる。そして、おおくの人びとがその実在と自分との連続性、一体性をみる。ひとりの人間として、「ヒンドゥー」という偉大な実在をみずからの人生へと引きうけ、それを実際に生きるのである。その人生においては、分析的で批判的な理性をもちいて史実をこまかく確認する作業は、必要とされない。「ヒンドゥー」という実在は、根拠などもたない(というより、すべての根拠そのものであるところの)自明の真理なのであって、議論の余地はないからだ(宗教分類学が設定した「自然宗教」「創唱宗教」の区別でいえば、前者の「宗教」のあり方がこれにあたる。しかしわたしは、このような「宗教」という語の特権的使用法にまったく批判的なので、この分類学を採用しない)。


 「ヒンドゥー」の霊的原初主義者にとって、本書の歴史語りは不要で余計な作業である。さらにもし、それが自分たちの世界観を否定するなら、迷惑なことである。わたしはもちろん、かれらの霊的原初主義を「否定」などしない。その人生観、世界観はわたし自身のものとは大きくことなるけれども、それとして価値があり、尊敬にあたいすると考えるからだ。しかしわたしはそれに「反対」はする。なぜなら、ヒンドゥー・コミュナリストもまた霊的原初主義の歴史観を採用するからだ。コミュナリズムへやすやすと引きよせらる歴史観に対して、わたしとしては、尊敬にもとづく慎重さをわすれることなく、チェックをいれておかないわけにはいかない。

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2015年11月11日 (水)

映画上映会 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』

大学の公式サイトには告知が出てないようですが…

映画上映会やります (。・ω・。)

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インドって、どういう国? 映画で知るインド事情

映画 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』 を通して

日時 2015年11月12日(木) 14:30~17:30

場所 日本女子大学 目白キャンパス ランゲージ・ラウンジ

※ 予約不要、無料
※ 非営利 研究教育目的



留学生など学生さんの企画で お声かけいただきました ('ω')

この映画、実は 「アヨーディヤー暴動」 を背景にしておりまして

私の研究テーマそのものなのであります

簡単な背景説明などをしながら、たのしく映画鑑賞したいと思います

学外の方でお越しになりたい方、いらっしゃれば 私にお声かけを!

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<追記 151113>

うえで「アヨーディヤー暴動」云々と書きました

しかし、映画を実際にみたら アヨーディヤーかどうかはわからないな、と気づきました

「ボンベイ」ではなく「ムンバイ」という語を易々ともちいるなど(改名は1995年)

むしろ、「アヨーディヤー暴動」ではないのかな、その後の暴動かな、と

劇場で一回観ただけだったため、勝手な思い込みをしてたようです

インド研究者の端くれとして、お詫びして訂正します

2015年4月 4日 (土)

【公開講座】 インド現代史

昨年秋、 「インドの今を知る」 という講座をさせていただきました

受講者の皆さんにご好評をいただいた、ということで(^^)

この春にも 同様のものをさせていただくことになりました 感謝です

ぜひご参加くださいませ ⇒ 申し込みはこちらから (要 無料会員登録)

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インド現代史 ―政治や経済のうごき、社会や文化のしくみ―

 インドへの関心が高まっています。きっかけは経済。巨大な市場として、有望な投資先として、以前とはくらべものにならないほどの注目を、インドはいま集めつづけています。その余波でしょうか、旅行、映画、料理など、より身近な興味をかきたててもいます。日本とインドとの距離は、日一日と近づいているようにわたしには感ぜられます。

 この講座は、インドの現代史の入門です。わたし自身があの亜大陸で見聞きしてきたことをおりまぜて、わかりやすい解説を心がけます。複雑で多様なインドのすがたを、できるだけコンパクトに、具体的にお伝えできたら、と願っています。



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2014年11月30日 (日)

路上の神様―祈り

石井光太 『地を這う祈り』 (徳間書店,2010年) よりの引用――

この本で、いちばん好きなページを引用させていただきます

ああいった場所のああいった人たちの本当のすがた…

そういったものが本当にあるのかどうかは知りませんけど

ボク自身が そのようなものだと感得するすがたが

ここには、とってもよく表されているように思いました

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神棚の下で眠る

 インドには、数えられるだけで三億以上の神様がいると言われている。

 貧しい人々は、路上で寝起きしながらも、そうした神を信仰している。町の木や塀に神棚をつくり、思い思いの神様を祀る。食費を節約してでも、線香を用意し、朝晩は祈りを欠かさない。

「今日も一日、お父さんが仕事をして帰ってきますように」

「私が仕事にでている間、妻と娘がトラブルに巻き込まれませんように」

「いつの日か、家を借りて、家族が仲良く暮らせますように」

 そんなことを願うのである。

 ある年の夏、ムンバイでガネーシャという象の頭を持った神の祭りがあった。数日にわたって、町の人々は巨大な象をトラックの荷台に乗せて町を行進する。路上生活者たちも列に加わる。知っている人も、知らない人も握手を交わし、お互いの幸運を祈る。

 祭りの最終日、私は知り合いの路上生活をする親子を町を歩き、夜になって寝場所にもどってきた。すると、壁に掛けてあったガネーシャ神を祀った棚に、甘いお菓子が袋に入ってぶら下がっていた。

 私が「これは?」と尋ねると、父親が答えた。

「町の人が、わしらにくれたんだろ。祭だからな」

 それを聞いた時、この町にはたしかに神様がいるのかもしれない、と思った。

ペーパーバック版184頁; ルビ省略

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この本は フォトエッセイ集でして…

発展途上国の物乞い、貧者たちの あられもない姿がいっぱい収められています

インドで多少なりと慣れているボクでも (あるいは、そんなボクだからこそ)

直視するのがとってもつらくなる写真がおおいです

ぜひぜひ読んでほしいのですが

慣れない方、怖いなって思う方は まずテクストのみの

石井光太 『物乞う仏陀』  からお手にとるのをおすすめします

2014年10月16日 (木)

【公開講座】 インドの今を知る

こんな公開講座をさせていただきます

日本女子大学 生涯学習センター のプログラムです

ご関心の方は、ぜひぜひおいでくださいませ ⇒ 申込はこちらから (要 無料会員登録)

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インドの今を知る ―2014年総選挙から見る「立ちあがる巨象」の姿―

 世界はますます混迷の度合いを深めています。日本の不安や動揺もその一部です。政治経済、科学技術、宗教文化など、全ての面をどこかへ運び去る地球史の大きなうねりが、私たちをすでに飲みこんでいます。
 こうした時代、方向の見定めがとても難しくなるのは必然です。ひとつの抜け道は、外国の情勢に目を向けてみることでしょう。私たちと同時代を生きつつ、歴史的に別様の体験を経てきた場所について、多少なりとも踏み込んだ知識と理解を得ること、それは私たちの視野をおのずと広げ、現状と未来について豊かで鋭い理解を与えてくれるかもしれません。
 この講座では、こうした関心から「インドの今」を解説してみたいと思います。



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2014年10月 9日 (木)

「ヒンドゥー」の概念史

以前、 「ヒンドゥー教概念の誕生」 なんていうエントリを書きました

その続報になりますかね、こんな短文を書いてみました

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 インド亜大陸にはかねてから、多種多様な、ほとんど無数といってよいほどの慣習や伝統が自生してきた。しかし、その全体を包括してあらわす一単語は、ながらく存在しなかった。まさにそのような一語として、「ヒンドゥー」という語をわだかまりなく通用させることのできる現代人の感覚からすれば、これは意外なことかもしれない。「ヒンドゥー」という語が、包括的、統合的、かつ超歴史的な概念(とくに慣習・伝統・文化のカテゴリー)として成立してくるのには、千年単位のながい期間がかかっている。それは、劇的な断絶をともなわない連続的な変化であった。


 かいつまんでいえば、「ヒンドゥー」の概念史は次のような歴史絵図としてしめすことができる――


  1.  古代ペルシアで「ヒンドゥー」という語が地誌的な概念としてうまれ


  2.  当のインドで、4世紀から6世紀あたり、のちに「ヒンドゥー」という言葉に充填されることになる文化的な諸要素が標準的なワンセットとして大方とりそろい


  3.  11世紀以降、そうしたセットがゆるやかに「ヒンドゥー」という語で包摂されはじめ


  4.  13世紀から15世紀あたりをさかいに、その傾向が明確になるとともに、かなり広範囲におよび


  5.  18世紀前半、イギリス植民地支配がはじまる直前にはもう、「ヒンドゥー」という名詞はかなり一般化し、同時にインド住民の大きな部分(現代であれば迷いなく「ヒンドゥー」と自称もし他称もされるだろう人たち)のアイデンティティの一部をにないうる概念になっていた。


  6.  そして19世紀初頭、ヨーロッパ、とくにイギリスの知識人たちにより、「ヒンドゥー」という語があらたに定式化され、現在通用しているような概念カテゴリーとなった(ヒンドゥー・イズムというヨーロッパ諸語の概念もここから生まれている)。


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2014年10月 6日 (月)

コミュナリズムの友敵イデオロギー

また、こんな文章を書いてみました

「コミュナリズム」とは、インドにおけるいわゆる「宗教紛争」のことです

また、途中で「霊的原初主義」という表現がでてきますが、ボクの造語です

あんまり気にせず どうぞ読み飛ばしちゃってください _(._.)_

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 ムスリムのものであれヒンドゥーのものであれ、コミュナリズムに特徴的なのは、友敵関係の絶対化である。だれが味方でだれが敵方かという枠組みが、認知全体の根底にすえられているのだ。コミュナリストによれば、この関係は、目にみえる物理的な戦闘としてあらわれることもあれば、抑圧や差別や不正義などとして構造的にあらわれることもある。弱肉強食の闘いがいままさにくり広げられているなか、自分たちはそこにまきこまれている。しかも、劣勢におかれるか、一方的な被害者の側におかれている(コミュナリスト・イデオロギーの内容について、具体的で実証的な比較研究のためには別の一冊の本を要しよう。インド研究がもっともさかんな英語圏ですら、それにふさわしい本はまだない。ヒンドゥー・コミュナリスト・イデオロギーについては、わたしの博士論文を参照していただきたい)。


 こんな戦況はなぜ生じたのか。コミュナリストは明確にこたえる――「われら」の陣営が、激烈な友敵関係がそこにあることをみうしない、味方の結束がどれだけ大事であるかをわすれ、かえってそれを乱すことで、敵方に有利な状況をみずからつくり出してしまっているからだ。こうした認識がみちびき出す処方箋は、ごく簡単なものだ。すなわち、ヒンドゥーであれムスリムであれ、自陣営はまず覚醒し、それから団結して、戦闘能力をあげよ。そして、暴力のそしりをおそれず、なすべき対処はこれを断固としてなさねばならない。わたしたちは生死をかけた闘いにのぞんでいるのだから。


 コミュナリズムの根底にある友敵イデオロギーは、さらに、その友敵関係を歴史的なものとみなす。かれらにとってこの闘いは、つい最近はじまったものでは決してない。個々人の生い立ちや人生をはるかにこえて、数百年にわたりつづく戦闘状態がみいだされているのだ。たとえばヒンドゥー・コミュナリストの場合、「ムスリム」こそが敵である。「ムスリム」は千年もの昔から「ヒンドゥー」とその大地インドを蹂躙しはじめ、いまもそれをつづけている。当初は勇猛にたたかった「ヒンドゥー」であったが、敗北のすえ闘志をうしない、そればかりか、非暴力の理想を云々しながら、敗北主義者としていきながらえることに慣れきってしまった。今ここでの「われらヒンドゥー」の苦境は、こうした歴史の果実である。だから「ヒンドゥー」よ、いまこそ目覚め、団結し、勝利せよ。


 ここにおいて、霊的原初主義はコミュナリズムへと、いきおいよく引きよせられていく。霊的原初主義はそれ自体なんの攻撃性もふくみもたない。しかし、友敵イデオロギーに対する免疫(それを拒絶するための論理)をもちあわせていない。一人ひとりの人生そのものであるような実在の集団(ヒンドゥーであれムスリムであれ)が危機におちいっているのに、あなたはそれをしらない、なにも行動をおこさない、そんなことで本当によいのか。このように問われたとき、善良でまじめな人物ほど、コミュナリズムの友敵イデオロギーを批判することができないどころか、その呼びかけに心を動かされてしまうだろう。


 ここに、わたしのような立場のものが、霊的原初主義への「反対」(「否定」ではなく「反対」)をしめさねばならない必然性がある。ここではとりあえず、「ヒンドゥー」についてそのことを主題的に論じているわけだが、「ムスリム」についてもまた、同様の忠言を、わたしはおこないたい。ただし、「ムスリム」の集団性の存立要件は「ヒンドゥー」のものとはかなりことなる。明確な始原が集団性の維持発展が初期条件として設定されており、なおかつその維持発展が当初から最重要課題として設定されているからである。

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2014年9月19日 (金)

宗教分類学を生きる

またひとつ、断章ができてしまいました

眠らせておくのももったいないので、公開させていただきます

ご関心の向きは どうぞご笑覧くださいませ(^^)

なお、冒頭にあります「コミュナリズム」とは、南アジア、とくにインドにおけるいわゆる「宗教紛争」のことです。

「宗教紛争」という概念はおおざっぱで、しかも間違い含みですから、ボクはまったく指示しないんですけどね、まぁ いわゆる、ってやつです

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 コミュナリズムにおいて前面へと浮上してくる集団において、その構成員はいずれも、集団名と同じ宗教的帰属をもつ。インドでは通常、宗教的帰属は親から子へと明確に受けつがれていくから、人びとは家族もしくは血族の単位でその「宗教」範疇におさまっている。「ヒンドゥー」とは「ヒンドゥーイズム」(ヒンドゥー教)の信徒であり、「ムスリム」は「イスラーム」(イスラム教)の信徒であるというわけだ。このことはインドの社会生活の常識である。自分が一族ともども「ヒンドゥー」であるとか「ムスリム」であるとかいった明確な自認は、日常生活のあたり前のことがらであり、そこにタブーにあたるものはない。

 そしてこの自認は、単なる形式的な集団分類というだけにとどまらず、人びとの生活のなかで積極的なはたらきをしている。すなわち、歴史や文化、血縁や社会、価値観や世界観などに、私という存在を結びつけ位置づけるというはたらきである。人生の喜びや悲しみを「宗教」帰属と織りあわせながら、人びとは毎日をつみ重ねていく。それはたとえば、「ヒンドゥーとしての誇り」とか「ムスリムとしての生きる道」とかいった言葉で表わしうるものによって、それぞれがそれぞれの人生をささえていくのである。「ヒンドゥーイズム」「イスラーム」などの「宗教」範疇自体は、近代の正統的な宗教分類学、およびそれをそのまま採用する政府公式の法的な「宗教」区分としてあたえられたもので、そのかぎりでは形式的な区分にすぎないのだが、一方では、国民一人ひとりのアイデンティティと呼ぶにふさわしい内面性をささえてもいるというわけだ。

 しかし、である。ここで忘れてはならないのは、こうして生きられる「宗教」範疇には「共同体」と呼ぶにふさわしい共同生活がともなっているわけではない、ということだ。インド国内だけでも「ムスリム」2億弱、「ヒンドゥー」10億超の人たちがいる。家族や村落のような、顔つき合わせ、姓名素性を承知する関係性は成りたちようがない。つまり、この「宗教」範疇には、きわめて高い程度の観念性、想像性のレベルがふくまれているのである。

 私はここで、人間の集団的生に一般的な、具体性のレベルと抽象性のレベルとの継ぎ目ない連続体のことを問題にしている。具体的に説明したほうがよかろう。たとえば、次のような人物を想定してみよう――「わたしはヒンドゥーである」。わたしは願い事をするとき、職場の近くや自宅の近くの寺院にでかける。いつもきまってシヴァの寺だ。そこでは顔見知りの「ヒンドゥー」にしばしばあい、挨拶をかわす。僧侶の「ヒンドゥー」もよく知っている人物だが、人格者だとは思わない。唱える祈りのことばは、幼い日、家族とならんで、実家つきの僧侶より教わったもの。これがわたしの「ヒンドゥー」としての人生である。さてところで、世界には、わたしが会ったこともない「ヒンドゥー」が大勢いる。その人はわたしと同じ神を崇拝しているかもしれないし、していないかもしれない。祈りのことばは同じであるかもしれないし、違うのかもしれない。「ヒンドゥーイズム」とはそのような多様性を許容する。どのような人であれ、私たちは同じ「ヒンドゥー」なのである。そこには個別具体的なふれあいや根拠なぞはなくてよい。アカデミズムの偉い学者が認めたのか、ヴェーダにそう書いてあるのか、わたしは了解していないが、とにかくわたしは、他の人たちとともに、「ヒンドゥー」という抽象的で超歴史的な集まりにもうすでにおさめられているのだ。

 宗教分類学が設定した範疇を人びとが実際に生きるということは、こうした二面性を矛盾なく生きるということである。人と人との触れあいのなかでいとなまれる具体的な考えや行い、それによってよく見知った人たちのあいだにそだつ仲間意識などがある。そして、それらの個別具体的な出来事にはいつも、超歴史的で普遍的な概念が、根拠をもたない自明の真理としてさしはさまれている。

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2013年4月25日 (木)

現代インドの religion 概念をめぐる言説空間 (仮説)

これはメモです

仮説を思いついたので、文字通りの「備忘録」です

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特定の語が、日常的な用法にまで拡散していくとき

(その語の 権力的=言説論的配備が 上々にすすんだとき)

その(再)定義は かなり困難になる

こういう場合、形式的な整理をおこなうのが有効だ

すなわち、 《原義・狭義・広義・比喩的用法》 という四つに

拡散し乱反射する作用体としての、特定概念の意味内容を附分けする――

これがとっても有効だ

(と、ボクは発見したけど きっと何かの教科書にはもうすでに書いてあるんだろう)

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まずは 「原義」 を確定すると、見通しはつけやすかろう

これも、形式的に引き出される智恵だ

例えば…

現代日本の「宗教」概念の「原義」は、「宗教法人法の前文」に対応した観念である

これがボクの研究成果だ

【130426追記】

現代日本の「宗教」概念の「原義」として もうひとつ

  • 世界各地域における諸伝統としての諸宗教(宗教分類学)

というのも加えたい

すなわち、現代日本語の「宗教」は いわば二つの核をもつのだ

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南アジア地域研究者のはずのボクが 何故日本のことなんかをやっているか…

それは、南アジア(とくにインド)の religion 概念をめぐる言説空間が

とにかく複雑すぎて ボクの手には負えない、

まずは 扱い慣れた日本語で、宗教概念をめぐる言説空間をとらえてみよう…

こういう研究デザインによっていたわけです

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そうこうしているうちに、早4年!

そろそろ、現代インドの religion 概念をめぐる言説空間 に手をつけてみようか…

ということで 考えてみました――

現代インドの religion 概念(英語)の「狭義」は…

  • Census(国勢調査)における調査項目のひとつとしての Religion
  • 西洋のオリエンタリズムにおける Spirituality; Meditational

という二つに対応する観念である…

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以上、備忘録でした

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