カテゴリー「01B 宗教政治学」の記事

2015年12月17日 (木)

ヒンドゥーの霊的原初主義

こちらのエントリ「コミュナリズムの友敵イデオロギー」

「霊的原初主義」という謎めいた造語を使いました

その簡単な説明文です

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 かれら「ヒンドゥー」の霊的原初主義の立場によれば、「ヒンドゥー」は超歴史的な実在である。「ヒンドゥー」は、起源こそはっきりしないにせよ(超越神から聖者への啓示というできごと、およびその記録としての聖典が、不明確にしか特定できないか、あるいは始原としての絶対的な意味をもっていない、という事情があるにせよ)、はじまりのわからぬ太古の昔から現時点まで、そして未来にわたっても、ひとつの集団として実在しつづけるのだ。そして、この実在は超歴史的であるのと同時に、まったく歴史的でもある。なぜなら、神がみと人びとが、インドという大地において(大地もまた女神そのものである)、具体的ないとなみを各時代の各場所でひとつひとつ、つみ重ねてきたことで、それは永続性をもちえているからだ。


 こういったわけで「ヒンドゥー」は、まったくこの世的かつ霊的でもあるような諸存在のなかでも、特別な価値をもった実在になる。そして、おおくの人びとがその実在と自分との連続性、一体性をみる。ひとりの人間として、「ヒンドゥー」という偉大な実在をみずからの人生へと引きうけ、それを実際に生きるのである。その人生においては、分析的で批判的な理性をもちいて史実をこまかく確認する作業は、必要とされない。「ヒンドゥー」という実在は、根拠などもたない(というより、すべての根拠そのものであるところの)自明の真理なのであって、議論の余地はないからだ(宗教分類学が設定した「自然宗教」「創唱宗教」の区別でいえば、前者の「宗教」のあり方がこれにあたる。しかしわたしは、このような「宗教」という語の特権的使用法にまったく批判的なので、この分類学を採用しない)。


 「ヒンドゥー」の霊的原初主義者にとって、本書の歴史語りは不要で余計な作業である。さらにもし、それが自分たちの世界観を否定するなら、迷惑なことである。わたしはもちろん、かれらの霊的原初主義を「否定」などしない。その人生観、世界観はわたし自身のものとは大きくことなるけれども、それとして価値があり、尊敬にあたいすると考えるからだ。しかしわたしはそれに「反対」はする。なぜなら、ヒンドゥー・コミュナリストもまた霊的原初主義の歴史観を採用するからだ。コミュナリズムへやすやすと引きよせらる歴史観に対して、わたしとしては、尊敬にもとづく慎重さをわすれることなく、チェックをいれておかないわけにはいかない。

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2015年5月 4日 (月)

儒学を入れるしかなかった近世神道、そして尊皇倒幕へ

山本七平・小室直樹 『日本教の社会学』 からの引用をつづけます

につづいて、四つ目のエントリになります

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山本  それで、日本の神道は儒学を入れないとなんとも方法がないんです。儒学を入れる点では全員一致なんです。熊沢蕃山、浅見絅斎でも山崎闇斎でも水戸光圀でも保科正之でも、みんあ徹底的に神道で、徹底的に儒学なんです。直方[佐藤直方]は例外です。すると神道の方からも、吉川惟足(これたる)などが出て神儒契合ができる。そのほかにも古神道、山王神道、山王一実神道、垂加神道、いろいろいいますけど、これがもっと古い時代、たとえば『神皇正統記』(しんのうしょうとうき)になると仏教が入り、儒教が入り、神道が入り、わけがわからないんです。ところが、その後の絅斎で非常におもしろい点は、各国が全部天をいただいているといい出すんです。そこに一種の対等論が絅斎で出るんです。豊葦原(とよあしはら)の中つ国、ということはつまり豊葦原の中国ということなんだ。中国は中国であるが、ただし、日本も中国である。つまり、中国は中国の天をいただいて四夷を夷狄(いてき)といっている。日本も日本の天をいただいて豊葦原の中つ国、すなわち中国として四夷を夷狄と見ていいはずだと。だから、これ、今度は向こうが夷狄なんです。

小室  これが近代主権概念の発端ですよ。相手国も自分のことを絶対と見ていいじゃないか、わしも絶対と見ると。絶対を概括しての対等なんです。相対的な多くのうちの一つ(ワン・オブ・メニュー)というだけじゃないんです。

山本  ええ、あそこで初めて近代的な国際法的な意識が出てくるんです。この点で、浅見絅斎は非常に進歩的なんです。これは確かに日本人の国家意識をつくった。実は、国学とか水戸学はつまりこれが入っていって初めてできるものであって、それ自身だけではどうしようもないんです。神道といっても、これが入っていって初めて形をなすんであって、神道だけであったら何ともならないです。だから国学とか水戸学が革命の思想だというのはおかしいんです。なぜ栗山潜鋒(せんぽう)が行って水戸学が形成されたのか。朱舜水からのムードはあるかも知れませんよ。だけど体系的にはなっていないんです。これができてくるのはやはり浅見絅斎の結果なんです。

[…]

山本  つまり水戸学は、そうした浅見絅斎の系統の理論が入って初めて革命思想として機能しだすんです。それまでの水戸学というのはなんだかわからない。完全に抽象化された理論じゃなくて雑学なんです。もっとも雑学は機能しますけど、しかし現実に機能すりゃいいじゃないかといったら、これは革命の思想になりません。たとえば天下の副将軍の光圀が、尊皇思想が基本であるといえばみんな信じて疑わないでしょうが、尊皇思想からすれば、否定すべき幕府の、自分はその責任者の一人でしょう。保科正之だってそうですよね。それが初めて一転するのは浅見絅斎。

小室  だから、光圀にはいろんな要素があるんですよ。一方において天皇絶対を説きながら、他方において幕府絶対を説く。

山本  彼は絶対に幕府を否定していません。浅見絅斎が出るまでの尊皇思想的なふうに見える思想家は全部そうなんです。山崎闇斎だってそうなんです。絅斎によって、それが一転する。尊皇倒幕のスローガンが明確に打ち出されてくる。



296-98頁: ルビは括弧内に示した



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上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)から



『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本です


2015年4月23日 (木)

近代経済人の宗教的根源

宗教と経済、宗教と資本主義 の関係については これまで

などのエントリで少しずつ考えてきました

んでもって、ここでは そのものズバリのタイトルをもつ

梅津順一 『近代経済人の宗教的根源』 を紹介したいと思います





お察しのとおり、ウエーバーの「プロ倫」テーゼ再考の一冊です





冒頭の二段落を書き抜きますね

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 本書で「近代経済人」というときには、二つの意味で使用されています。ひとつには、歴史的に西ヨーロッパで近代資本主義が発生してくる過程で、それに積極的にかかわった人間類型という意味で、もうひとつには、理論的に経済学が全tネイとする人間像という意味です。今日の世界では、政治における人権思想と同じく、経済における市場原理の普遍的意味が、体制のいかんを問わず、文化のいかんを問わず、広く承認されてるようになりました。「宗教的根源」とは、その市場原理に対応する独立した責任的主体が、禁欲的プロテスタンティズムと深い関わりの中で発生したことを意味しますが、そうした問題設定は、いささか奇異の感をもって受け取られるかも知れません。人権思想が信教の自由をその中に含むと同じく、市場原理に対応する人間もまた、特定の宗教的背景とは無関係であることが常識とされているからです。

 ここでは、近代資本主義の発生を歴史的個性的現象として見るという観点に立っています。今日普遍的と考えられている現象も、それがどのようなものであれ、歴史においては同じ時期にどこにでも同じように現れたのではなく、特定の時と所で、さまざまな諸条件の個性的組み合わせによって発生しました。近代資本主義の発生にあっては、とくにプロテスタンティズムの禁欲の系譜を引く「資本主義の精神」の積極的役割が注目されるのですが、その問いには確立した近代資本主義が暗黙のうちに前提としている人間的条件を明確にするという意味があります。個人を内面的に理解するには、本人も忘れたかも知れない性格形成期の経験を知ることが重要なように、近代資本主義を内面的に理解するには、今日では忘れられた発生期の精神的状況を知ることが有効なのです。もちろん、この本がどれだけその狙いを達成しているかは読者の判断に待つほかありませんが、文化的背景を異にする諸社会の資本主義の構造をめぐる議論や、資本主義の人間的意味とその将来をさぐる思索に、なにほどか寄与するものであって欲しいと願っています。

i-ii 頁

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2015年3月20日 (金)

田中智学の八紘一宇

「八紘一宇」という言葉が いきなり話題になってる

ハフィントン・ポストの記事がすごくよいので 助かる

「八紘一宇」とは何か? 三原じゅん子議員が発言した言葉はGHQが禁止していた

まぁいろいろ論じることはあるが… 上の記事を補足する情報をちょいとメモしておこう

島薗進先生の 『日本仏教の社会倫理』 の一節である



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 では、日蓮主義および在家主義という新形態をまとった田中智学の正法理念は、国家神道とどのように関わりあったのだろうか。初期の田中智学は国体論にふれることはなく、日蓮宗による仏教国家の樹立を展望していた。ところが、一九〇〇年代の初期に智学は「国体」、すなわち神聖な天皇による統治の理念を取り込んでいく。日蓮宗の正法理念と国家神道とを折衷したような主張を展開し、そのことによって国家神道体制の下での影響力拡大に成功するのだ。

 一九〇四(明治三七)年に公表された『世界統一の天業』で、智学は『日本書紀』に記された神武天皇の即位の際の言葉に注目する。「養正」と「重暉」というあまり知られていない語(それぞれ正義と明智を表すとされる)が、徳治の理想を示すものであり、この理念に基づいてなされてきた歴代の天皇の統治は神聖だった。だから、万世一系の統治がなされてきたとする。これは万世一系の天皇による統治の神聖性が、天照大神との血縁や天照大神の神勅により神聖性として示されていないという点で、正統の国家神道の教えから逸脱している。だが、「国体」の語を積極的に用い、歴代天皇の統治を神聖なものとする点では国家神道体制を受け入れる姿勢を示すものだ。「八紘一宇」の語が国体の理想を示すという用法は、田中智学が用い始めたもので、この点からも近代の「国体」理念の展開という点で智学は無視できない存在だ。

223-24頁: ルビは省略

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 ここまで述べてきたように、その日蓮主義は在家主義という新しい考え方とも深く関わっていた。出家者=僧侶や寺院ではなく、在家信徒こそが仏法実践の主要な担い手だという立場だ。田中智学は在家主義的な法華=日蓮仏教の宣布を理想としたが、当初からそれを、国家が正法(法華=日蓮仏教)に帰することによって平和と発展を、ひいては世界統一を実現することと結びつけた。

 やがて国家神道が優勢になってくると、それに妥協しながらも、法華=日蓮仏教と世界統一国家の「理想」を追求するようになる。この転機となったのは、一九〇〇年代前半に国体論を取り込み、国体論と法華=日蓮仏教とを合体させたことである。これにより、救済論的な使命をもった国家を支える法華=日蓮仏教という政治的な理念が強力に作動することになった。

 これは元寇の危機に際して法華仏教による国家救済を唱えた『立正安国論』(一二六〇年)の日蓮の国家救済思想の側面にインスピレーションを得たものだ。ほかの仏教潮流を厳しく否定しつつ、自ら信ずるところの正統仏教による統一を主張する宗派主義的な正法で、石原莞爾や井上日召をはじめ政治的関心の高い多くの人々をひきつけた。さらに、宮沢賢治のように政治的関心というより、高度に洗練された宗教的理念と文化実践を結びつけようとした人も、また田中智学の強い影響を受けたのだった。

225頁: ルビは省略

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2015年2月26日 (木)

中華民族主義、もしくは漢民族復興主義

2015年2月25日付 朝日新聞 朝刊に

(インタビュー)「中華民族復興」 パトリック・ルーカスさん

という記事がのった。 ネット上でも読める

ナショナリズム研究者の端くれとして言わせてもらえば

これぞまさに 最も基本的なナショナリズム論!

そしてこれが全てといってよい! アルファにしてオメガである

なお、記事によれば、ルーカス先生は 中国語で 「民族主義」 という概念を使っていたらしい。 nationalism と 民族主義 (中) との異同については、別に議論する必要はあろうが、ともかく これは秀逸な 「文化ナショナリズム」 論だ

以下、部分的に抜粋しておく

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愛国主義には健康的な部分もあり、必ずしも他者を傷つけるわけではありません。民族主義はそもそもが差別意識であり、他者を必要とする。そして往々にしてその他者に害を与えます。『我々は別の人々よりも優れており、特別』、だから、『我々はやりたいことができる』。それが基本理論です。

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共産主義はいわば淘汰され、民族主義が統治に使われ始めたのです。

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民族主義を広めるのは実はびっくりするくらい簡単です。理論が簡単、というより空っぽですから。

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指導者やエリートが『我々の社会は元々こうだ』と言い出すと、人々はわりと簡単に歴史認識を変えてしまいます。それだけ民族主義は、統治者にとって使いやすい道具ということなのです。

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正確に言えば、中国の民族主義は中国人全体の民族主義ではありません。漢族の民族主義です。

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誤解のないように言っておきたいのですが、中国のすべてが民族主義というわけではありません。民族主義だけで中国を定義してはいけません。


<引用おわり>


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さて、ここでむずかしいのは 「宗教とナショナリズム」 論である

一見するとむずかしそうでないのだが、 これは本当にむずかしい問題だ

公理は次のふたつ

  • 宗教とナショナリズムとは相いれない
  • 宗教とナショナリズムをつなぐのは 「文化」と「歴史」 である

ここから、どういう論を展開していくか…

現代宗教の動態を精確にみすえた理論は 世界のどこでも出てないと思う

ユルゲンスマイヤーでは もう全く! ダメ! だと思う

2015年1月28日 (水)

「宗教紛争」「宗教戦争」という名づけはあまりに問題含みである

いま書いている文章の一節――

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「宗教紛争」という名づけはまったく表層的で、真相はきっとおそろしいほど複雑であるにちがいない ―― 多くの人びとはどこかでこのことに気づいている。

わたしたちの調査でもそのことは十分示唆されているし、また最近の報道でも、「宗教紛争」をめぐって政治や経済、教育やメディアなどの要因を強調的に論じることで、問題がそう簡単には記述説明できるものではないことが示唆されるようになっている。

しかし、それらの語りのいずれにおいても、すっきりとした見通しが立っているわけではない。

せいぜい複数の要因を列挙して問題の複雑さをにおわせたり、ときに真の「原因」は経済なのだ(経済的な利害対立が宗教集団のかたちをとって現れている)とか、紛争において宗教は「政治に利用され」ているのだ(政治家や官僚、宗教的指導者の扇動によって宗教集団が対立へと導かれる)とかの断定がなされたりするぐらいだ。

こうした見立ては完全な的はずれではない。むしろ最も重要な理解ですらある。

しかしあまりに多くの事柄が説明されないままのこされている。政治や経済が決定的な要因としてはたらいているのは確かだとして、では「宗教」はそこにどう関わっているのか。こういう最も基本的な点はあいかわらず不明なままである。

こうして結局のところ、宗教を紛争や戦争の「原因」「主特徴」とみなす単純な言説が前面へとしゃしゃり出てきて、お茶をにごしてしまう。

そのような語りが、実際に起きている深刻な事態の理解把握からほど遠いことや、当の信仰者にとってきわめて侮辱的であることなどには、もはや十分な関心がはらわれなくなってしまう。

「宗教紛争」についての語りは明らかに、きわめて不安定なまま放置されている。

そろそろわたしたちは「宗教紛争」論を精緻化のうえ整理せねばならないだろう。そして、その整理は「宗教紛争」の特別視をひかえ、「民族紛争」や「地域紛争」との無理のないつながりを発見させるものとなるだろう。

より的確な語り(概念と理解と用語法)を提供するのは専門家の仕事である。実際、この問題は宗教学者、政治学者、地域研究者などにより熱心に取り組まれており、蓄積された成果は大きい。

しかし、理由はどうあれ、いまだ定説と呼べるようなものもコンパクトな理解の仕方も確立していない。一般の言説状況の混乱は、そうした専門家サークルの停滞を反映しているとみてよい。

熱心に問われてはいるのに、まだまだ定説をもつには程遠い問い ――

  • そもそも「宗教紛争」とは何なのか。宗教が「原因」の紛争のことなのか、「主要因」の紛争のことなのか。あるいは単に、宗教となにか関わりがあるといった程度のことなのか。
  • ある紛争に「宗教(的)」という接頭辞ひとつを付すという言葉づかいは、歴史と現状についてのどのような理解にもとづいているのか。
  • 「宗教紛争」と呼ばれる事態が起こる背景や仕組みはどのように理解したらよいのか。

そして、より根底的な問いはこうだ ――

  • 「宗教紛争」という名づけは本当に妥当だろうか。
  • つまり、「宗教紛争」なるものは本当に実在しているのだろうか。
  • それは単なるラベリングにすぎないのではないか。
  • 「民族紛争」「地域紛争」などと呼ばれるものと、それは本当にことなるのだろうか。
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2014年10月 6日 (月)

コミュナリズムの友敵イデオロギー

また、こんな文章を書いてみました

「コミュナリズム」とは、インドにおけるいわゆる「宗教紛争」のことです

また、途中で「霊的原初主義」という表現がでてきますが、ボクの造語です

あんまり気にせず どうぞ読み飛ばしちゃってください _(._.)_

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 ムスリムのものであれヒンドゥーのものであれ、コミュナリズムに特徴的なのは、友敵関係の絶対化である。だれが味方でだれが敵方かという枠組みが、認知全体の根底にすえられているのだ。コミュナリストによれば、この関係は、目にみえる物理的な戦闘としてあらわれることもあれば、抑圧や差別や不正義などとして構造的にあらわれることもある。弱肉強食の闘いがいままさにくり広げられているなか、自分たちはそこにまきこまれている。しかも、劣勢におかれるか、一方的な被害者の側におかれている(コミュナリスト・イデオロギーの内容について、具体的で実証的な比較研究のためには別の一冊の本を要しよう。インド研究がもっともさかんな英語圏ですら、それにふさわしい本はまだない。ヒンドゥー・コミュナリスト・イデオロギーについては、わたしの博士論文を参照していただきたい)。


 こんな戦況はなぜ生じたのか。コミュナリストは明確にこたえる――「われら」の陣営が、激烈な友敵関係がそこにあることをみうしない、味方の結束がどれだけ大事であるかをわすれ、かえってそれを乱すことで、敵方に有利な状況をみずからつくり出してしまっているからだ。こうした認識がみちびき出す処方箋は、ごく簡単なものだ。すなわち、ヒンドゥーであれムスリムであれ、自陣営はまず覚醒し、それから団結して、戦闘能力をあげよ。そして、暴力のそしりをおそれず、なすべき対処はこれを断固としてなさねばならない。わたしたちは生死をかけた闘いにのぞんでいるのだから。


 コミュナリズムの根底にある友敵イデオロギーは、さらに、その友敵関係を歴史的なものとみなす。かれらにとってこの闘いは、つい最近はじまったものでは決してない。個々人の生い立ちや人生をはるかにこえて、数百年にわたりつづく戦闘状態がみいだされているのだ。たとえばヒンドゥー・コミュナリストの場合、「ムスリム」こそが敵である。「ムスリム」は千年もの昔から「ヒンドゥー」とその大地インドを蹂躙しはじめ、いまもそれをつづけている。当初は勇猛にたたかった「ヒンドゥー」であったが、敗北のすえ闘志をうしない、そればかりか、非暴力の理想を云々しながら、敗北主義者としていきながらえることに慣れきってしまった。今ここでの「われらヒンドゥー」の苦境は、こうした歴史の果実である。だから「ヒンドゥー」よ、いまこそ目覚め、団結し、勝利せよ。


 ここにおいて、霊的原初主義はコミュナリズムへと、いきおいよく引きよせられていく。霊的原初主義はそれ自体なんの攻撃性もふくみもたない。しかし、友敵イデオロギーに対する免疫(それを拒絶するための論理)をもちあわせていない。一人ひとりの人生そのものであるような実在の集団(ヒンドゥーであれムスリムであれ)が危機におちいっているのに、あなたはそれをしらない、なにも行動をおこさない、そんなことで本当によいのか。このように問われたとき、善良でまじめな人物ほど、コミュナリズムの友敵イデオロギーを批判することができないどころか、その呼びかけに心を動かされてしまうだろう。


 ここに、わたしのような立場のものが、霊的原初主義への「反対」(「否定」ではなく「反対」)をしめさねばならない必然性がある。ここではとりあえず、「ヒンドゥー」についてそのことを主題的に論じているわけだが、「ムスリム」についてもまた、同様の忠言を、わたしはおこないたい。ただし、「ムスリム」の集団性の存立要件は「ヒンドゥー」のものとはかなりことなる。明確な始原が集団性の維持発展が初期条件として設定されており、なおかつその維持発展が当初から最重要課題として設定されているからである。

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2014年2月21日 (金)

「宗教紛争は宗教が原因」 という端的に誤った観念 その2

前便「その1」は こちら

もうひとつ例があったのでご紹介

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「でも、宗教が必ずしもその人にとって有益とはかぎらないでしょう? この前の事件みたいに、宗教的信念のせいで生命を落とす人もいるし、キリスト教だって昔はひどく弾圧されて、殺された人も多かったんでしょう?」

「まったくその通りです。昔から宗教はしばしば虐殺の原因になってきた。キリスト教徒とイスラム教徒、カトリックとプロテスタントが、何百年も血で血を洗う闘争を続けてきました。今も世界のあちこちで宗教的対立が原因の殺し合いが続いています。アイルランド、ボスニア、スリランカ、ティモール……」

山本弘 『神は沈黙せず』 上巻,角川文庫,220頁



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この部分で明らかなように、「宗教紛争は宗教が原因」という端的に誤った観念は

二つの認識に起因するもんです

  1. 小集団、もしくは1名以上の個人による「宗教的信念」にもとづく特定の犯罪行為を 数十万~数億の人たちが 何十年にもわたり苦しめられる、大規模な「紛争」と混同すること
  2. 古代から現代まで、世界各地における各種紛争を 無条件に一範疇におさめてよいと判断すること

これらの点がまさに当てはまるということから

このテキストは実に典型的、 ないしは症例的なんであります

2014年2月19日 (水)

「宗教紛争は宗教が原因」 という端的に誤った観念

【追記 140221】
続報を書きました。 ちょっとだけ立ち入って論点を整理してみました

==========

「宗教紛争」 というコトバがある

英語でも religious conflict というぐらいだから まぁふつうの表現なんだろう

このコトバにこめられた観念は

ある紛争は宗教が原因である、あるいは少なくとも 宗教が主要特徴である

というものだろう

ボクの研究によれば、 この観念は 端 的 な 間 違 い なのだが…

なかなかそれを納得してもらえない

説得のためには ちゃんとした研究をねばり強く出しつづけるしかないんだろう

ということで…

「宗教紛争は宗教が原因だ」 という素朴な観念の、無邪気な表出の例をひとつ

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 私はインターネットで見たニュースを思い出し、悲しくなった。アメリカでは中絶反対を唱えるキリスト教原理主義者グループが、中絶を行なっている病院を爆破し、八〇人の死者を出した。北アイルランドではプロテスタントとカトリックの反目が再燃し、過激派による爆弾テロや銃撃事件が続発していた。インドではイスラム教徒とヒンドゥー教徒の衝突が起きていた。イランでは、イラク・シーア派の過激派組織が、イラン・シーア派の現体制に対して大規模な武装闘争を展開していた……。

 子供の頃、地下鉄サリン事件の報道を見て抱いた疑問が、また浮上してきた。宗教は人を幸せにするものではなかったのか? なぜそれがこんなに多くの不幸や争いの原因になってしまうのか?

山本弘 『神は沈黙せず』 上巻,角川文庫,152頁

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2013年5月 6日 (月)

占領軍、政教分離、天皇制、そして靖国

ある授業で 宗教法人法の成立過程 を学生さんたちと一緒に調べている

今年度(2013年度)は 「神道指令」 にフォーカスしている

これまで、このブログに書いた関連記事としては

の三つを書いてきました

この関連で 以下、 磯前順一先生のご研究から 一節を引用いたします

学生さんが ここにたどり着いてくれるといいなぁ… (`´)

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 そして、アジア・太平洋戦争での敗北後、占領軍であったアメリカ合衆国はそのような日本の諸宗教および天皇制の侵略的・排他的性質を修正し、日本が [ママ] 冷戦体制下の極東戦略を担うのにふさわしい政体へ変えようと試みた。そのような占領期の宗教政策を集中的に研究したものとして、井門富二夫編『占領と日本宗教』(末來社、一九九三年)がある。とりわけ興味深いのが、高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書、二〇〇五年)や赤澤史朗『靖国神社――せめぎあう〈戦没者追悼〉のゆくえ』(岩波書店、二〇〇五年)が示すように、戦後における靖国神社の政治的・社会的地位の変化の軌跡である。

 それは、戦後になって占領軍によって導入された政教分離体制をどのように天皇制に節獄するか、そのもとでの戦没兵士の国家祭祀をいかに実現可能とするかという政府および民間の保守層の願望をめぐる日本社会のせめぎ合いを通して、戦後日本における「宗教」領域の社会的位置を如実に物語るものとなっている。それは戦後天皇制の性質とともに、戦後日本社会における宗教的なもののあり方を考えるさいの大きな手だてとなろう。(21) さらに、靖国論に関しては、そもそも生者による死者祭祀自体が可能なのか否か、その根源的な部分から問題が議論されなければならない時期にきていると思われる。(22)

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(21) 島園進「戦後の国家神道と宗教集団としての神社」(圭室文雄編『日本人の宗教と庶民信仰』吉川弘文館、二〇〇六年)。

(22) 磯前順一「死霊祭祀のポリティクス――慰霊と招魂の靖国」(前掲『喪失とノスタルジア』)

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