カテゴリー「03A 思索」の記事

2015年7月21日 (火)

クザーヌスのお勉強

ツイッターにて

私がクザーヌスを読んだことない、と申し上げたら

哲学徒・うへのさん(鍵付き)から 次のような教示をいただいた

メモ代わりに ここに記しておきます

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私は邦訳でかつ必要な範囲で読んだのみですが、面白いです。もちろんクザーヌス自身を読まれるのが、ベストですが、W.シュルツ『近代形而上学の神』(早稲田大学出版)の中に「クザーヌスと近代形而上学の歴史」という講演録が入っておりまして、これは大変面白いものです。

また同時にここでなされているイコンの議論は現代思想との関係で言えば、マリオンに響いていることが容易に見て取れるかと思います。マリオンについては、関根小織「否定神学化する哲学」(『哲学研究』576号)で、

また我らが佐藤先生の「ありてある哲学者の神」(『基督教学研究』第25号)が面白いです。西田に関して言えば、西田はとりわけ初期にクザーヌスを引きます。西田がクザーヌスをどのように考えているかについては、

旧版の『全集』第十四巻所収の「Coincidentia oppositorum と愛」という講演録に簡潔に出ております。また、手元にないのですが、藤田正勝「後期西田哲学の問い」(『日本の哲学』第6号)で、この講演録を引いて身体論の議論をしていたと記憶しています。

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2015年5月 4日 (月)

儒学を入れるしかなかった近世神道、そして尊皇倒幕へ

山本七平・小室直樹 『日本教の社会学』 からの引用をつづけます

につづいて、四つ目のエントリになります

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山本  それで、日本の神道は儒学を入れないとなんとも方法がないんです。儒学を入れる点では全員一致なんです。熊沢蕃山、浅見絅斎でも山崎闇斎でも水戸光圀でも保科正之でも、みんあ徹底的に神道で、徹底的に儒学なんです。直方[佐藤直方]は例外です。すると神道の方からも、吉川惟足(これたる)などが出て神儒契合ができる。そのほかにも古神道、山王神道、山王一実神道、垂加神道、いろいろいいますけど、これがもっと古い時代、たとえば『神皇正統記』(しんのうしょうとうき)になると仏教が入り、儒教が入り、神道が入り、わけがわからないんです。ところが、その後の絅斎で非常におもしろい点は、各国が全部天をいただいているといい出すんです。そこに一種の対等論が絅斎で出るんです。豊葦原(とよあしはら)の中つ国、ということはつまり豊葦原の中国ということなんだ。中国は中国であるが、ただし、日本も中国である。つまり、中国は中国の天をいただいて四夷を夷狄(いてき)といっている。日本も日本の天をいただいて豊葦原の中つ国、すなわち中国として四夷を夷狄と見ていいはずだと。だから、これ、今度は向こうが夷狄なんです。

小室  これが近代主権概念の発端ですよ。相手国も自分のことを絶対と見ていいじゃないか、わしも絶対と見ると。絶対を概括しての対等なんです。相対的な多くのうちの一つ(ワン・オブ・メニュー)というだけじゃないんです。

山本  ええ、あそこで初めて近代的な国際法的な意識が出てくるんです。この点で、浅見絅斎は非常に進歩的なんです。これは確かに日本人の国家意識をつくった。実は、国学とか水戸学はつまりこれが入っていって初めてできるものであって、それ自身だけではどうしようもないんです。神道といっても、これが入っていって初めて形をなすんであって、神道だけであったら何ともならないです。だから国学とか水戸学が革命の思想だというのはおかしいんです。なぜ栗山潜鋒(せんぽう)が行って水戸学が形成されたのか。朱舜水からのムードはあるかも知れませんよ。だけど体系的にはなっていないんです。これができてくるのはやはり浅見絅斎の結果なんです。

[…]

山本  つまり水戸学は、そうした浅見絅斎の系統の理論が入って初めて革命思想として機能しだすんです。それまでの水戸学というのはなんだかわからない。完全に抽象化された理論じゃなくて雑学なんです。もっとも雑学は機能しますけど、しかし現実に機能すりゃいいじゃないかといったら、これは革命の思想になりません。たとえば天下の副将軍の光圀が、尊皇思想が基本であるといえばみんな信じて疑わないでしょうが、尊皇思想からすれば、否定すべき幕府の、自分はその責任者の一人でしょう。保科正之だってそうですよね。それが初めて一転するのは浅見絅斎。

小室  だから、光圀にはいろんな要素があるんですよ。一方において天皇絶対を説きながら、他方において幕府絶対を説く。

山本  彼は絶対に幕府を否定していません。浅見絅斎が出るまでの尊皇思想的なふうに見える思想家は全部そうなんです。山崎闇斎だってそうなんです。絅斎によって、それが一転する。尊皇倒幕のスローガンが明確に打ち出されてくる。



296-98頁: ルビは括弧内に示した



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上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)から



『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本です


2015年5月 1日 (金)

日本教における自然

前便 「日本教的ファンダメンタリズムの大成者」 にひきつづき

山本七平・小室直樹の対談 『日本教の社会学』 からの引用です

「自然」概念については 独自に研究したことがありますが

日本教論において こんなに中核的な概念であることには

当時、まったく無自覚でした お恥ずかしい

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山本  不干斎ハビアンは[…]いったん棄教するとキリスト教が決定的な問題になってきて、何よりもいけないとなる。何でいけないかといいますと、キリスト教は不自然だからいけないというんです。

小室  しかし、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の考え方からすれば、宗教というのはまず不自然であるべきなんですね。自然のままでいいなんていったら宗教なんて出てきっこない。聖書は[…]人間は自然のままほうっておいたらどんなに悪いことをする動物であるか、その例示で全巻が構成されているといっても過言ではない。それを制御するのが神との契約なのですが、これも自然のなりゆきにまかせておけば、人間は絶対に神との契約を守らない。そこで、神は預言者をつかわして警告し、もし神との契約が守られないのであれば、ユダヤの民を罰し、亡ぼそうとさえする。つまり、自然に価値があるのではなしに、神が作為的にきめた不自然きわまりない契約にのみ価値がある。

山本  日本人の発想はまさに逆ですよ。不自然じゃなきゃいけないんです。内心の規範まで自然的秩序(ナチュラル・オーダー)でなきゃいけないんです。これは前述の明恵上人にも出てきます。ところがそのことをいうと、「じゃヨーロッパの自然法とどう違うんですか」という質問が必ず出てくるんです。つまり自然法という考え方は、自然は本質であるといっても、同時に自由も本質であるという考え方が必ずあるんで、日本だと、つまり自由というのは自然のなかに組み込まれていて、自由という概念そのものが違っちゃう。たとえば、布施松翁(しょうおう)みたいな発想とすると、自然が自由なんですよ。従って、自然・自由は二つの本質ではないんです。
 たとえば、石田梅岩(ばいがん)がそうで、生命あるものは全部、自然の秩序を践(ふ)んでいる。だから「鳥類、獣類、形を践む。されど小人はしからず」なんです。小人というのは鳥類、獣類以下になる。それをどうすれば鳥類、獣類のように形に従って自然を践んで、いけるようにしてくれるかを説くのが聖人だ――といういい方なんですね。この発想はキリスト教とも儒教とも逆転してるんで、これはもう日本人独特の驚くべき宗教観なんです。

小室  これが山本さんのいわれた日本教ですね。[…]


106-8頁: ルビは括弧内に示した

引用者注:
    • 不干斎ハビアン(1565-1621)。もともと禅の修行者だったが切支丹となり、『妙貞問答』(1605)などで儒仏神を批判し、キリスト教の優越を説いた。晩年、修道女と駆け落ちし、棄教。一転、キリスト教の批判書『破提宇子』(1620)を著し、切支丹迫害者となった。
    • 明恵(1173-1232)。鎌倉時代前期の華厳宗の僧。戒律と修行を重んじる立場から、法然の「専修念仏」を激しく非難した。観行での夢想を記録した『夢記』が有名。
    • 布施松翁(1725-1784)。江戸中期の心学者。京都の人。近江地方から各地へと「心学」を開拓した。彼の心学は老荘と仏教思想が濃い。著書『松翁道話』(1812-)は江戸時代の通俗教育書の白眉とされ
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なお、前便にも書きましたとおり

『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本ですが、今や入手困難


そこで、上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)からのものです



2015年4月29日 (水)

日本教的ファンダメンタリズムの大成者

「日本教」「空気」で有名な、山本七平の日本学を読んでいる

どうやら、小室直樹との対談 『日本教の社会学』 が定番らしいというので

それに手をつけてみた

なるほど面白い、これまでボクなりに考えてきたことが ビシビシ書いてある

これは、ボクの卓見というよりも、ボクの日本論に影響をあたえてくれた先行研究が

山本日本学の影響下にあり、そこからの間接的影響がボクにおよんでいる、

ということなんだろう

どこもかしかも引用したい部分ばかりだが、まずはひとつをば紹介しますね

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山本 このような日本教的ファンダメンタリズムをつくったのが絅斎なんです。

小室 だから、組織神学的にはこれほどファンダメンタリズムと遠いものでありながら、構造神学的にはまさに日本教的ファンダメンタリズム。これが、今日でも脈々と生きている。

山本 それでいて、なぜ、日本人が絅斎を忘れてしまったか。これは、たいへんにおもしろい問題です。というのは、浅見絅斎の話をしても、「それだ」といったのは小室先生だけで、他の人は名前も知らないんです。

小室 あ、そうですか。これこそあまりにも当たり前すぎる。

山本 浅見絅斎なんて誰も知らないんですよ、いまでは。いまの日本はやっぱり浅見絅斎によって規定されているんじゃないかと私は思うんですが、いったいみなはそれは何ですか、というわけなんです。だから現代の日本は、いかに思想史的にものを見ることができないかということですね。自分たちの規範が何に始まっているかという意識がぜんぜんない。だから「空気」なんです。

小室 自分たちのレイマ(題目)がいかなる神の口から出ているかにまず無関心(インディファレント)。日本人にとっては、どの神でもいいんです。われらが生きている日本教というもののレイマは浅見絅斎の口から出ている。みんな、これにしたがって行動しながら、いかなる神の口から出たレイマだということには無関心。

山本 おもしろいんですね、これ。自分がなぜこんなに規範にしたがっているかというkとおを考えようとしないのか。これが私にとっては戦後のいちばん大きな問題ですね。


286-87頁: ルビは括弧内に示した


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なお、『日本教の社会学』(1981年)はもともと単行本だが、今は手に入りにくい


そこで、上の引用は 『山本七平全対話4』(1985年)からのものです



2014年11月30日 (日)

路上の神様―祈り

石井光太 『地を這う祈り』 (徳間書店,2010年) よりの引用――

この本で、いちばん好きなページを引用させていただきます

ああいった場所のああいった人たちの本当のすがた…

そういったものが本当にあるのかどうかは知りませんけど

ボク自身が そのようなものだと感得するすがたが

ここには、とってもよく表されているように思いました

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神棚の下で眠る

 インドには、数えられるだけで三億以上の神様がいると言われている。

 貧しい人々は、路上で寝起きしながらも、そうした神を信仰している。町の木や塀に神棚をつくり、思い思いの神様を祀る。食費を節約してでも、線香を用意し、朝晩は祈りを欠かさない。

「今日も一日、お父さんが仕事をして帰ってきますように」

「私が仕事にでている間、妻と娘がトラブルに巻き込まれませんように」

「いつの日か、家を借りて、家族が仲良く暮らせますように」

 そんなことを願うのである。

 ある年の夏、ムンバイでガネーシャという象の頭を持った神の祭りがあった。数日にわたって、町の人々は巨大な象をトラックの荷台に乗せて町を行進する。路上生活者たちも列に加わる。知っている人も、知らない人も握手を交わし、お互いの幸運を祈る。

 祭りの最終日、私は知り合いの路上生活をする親子を町を歩き、夜になって寝場所にもどってきた。すると、壁に掛けてあったガネーシャ神を祀った棚に、甘いお菓子が袋に入ってぶら下がっていた。

 私が「これは?」と尋ねると、父親が答えた。

「町の人が、わしらにくれたんだろ。祭だからな」

 それを聞いた時、この町にはたしかに神様がいるのかもしれない、と思った。

ペーパーバック版184頁; ルビ省略

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この本は フォトエッセイ集でして…

発展途上国の物乞い、貧者たちの あられもない姿がいっぱい収められています

インドで多少なりと慣れているボクでも (あるいは、そんなボクだからこそ)

直視するのがとってもつらくなる写真がおおいです

ぜひぜひ読んでほしいのですが

慣れない方、怖いなって思う方は まずテクストのみの

石井光太 『物乞う仏陀』  からお手にとるのをおすすめします

2013年12月19日 (木)

評論・批評は何をするのか

評論・批評って… いったい「何」をするんだろう…
なんとなく分かっていても、堂々たる答えがみつかっていなかった

次の文章は それにしっかりと答えてくれていて 気持ちよかった

ただし、孫引き。 原著の確認は追い追いやりますね
典拠として 「ポーリン・ケイル、『I Lost it at the Movies』、三〇八ページ」 とあります。
末尾の文献リストによれば この本 (↓) のようです。初版は1965年。


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 批評家の役割とは人々を助けて、作品のなかにあるもの、そこにあるべきでないのにあるもの、あってもいいのにないものを分からせてくれることにある。作品に関して人々が自力で分かるより以上のことを理解させてくれるのなら、それは良い批評家である。作品に対する自らの理解と感情によって、自らの情念つによって人々を熱狂させ、そこにあって理解されることを待ち望んでいる芸術についてもっと多くを体験したいと思わせることができるのなら、それは偉大な批評家である。判定ミスを犯したとしても、それは必ずしも悪い費用かではない(絶対間違うことのない審美眼などありえないし、何を根拠に絶対間違えていないと言えるのだろうか)。好奇心をかきたてることもなく、観客の興味も理解も促すことがないのなら、それは悪い批評家である。批評家の技術とは、芸術に対する自分の知識と情熱を他人に伝えることにある。

ポーリン・ケイル、『I Lost it at the Movies』、三〇八ページ

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ウォーレン・バックランド『フィルムスタディーズ入門』210頁からの再引用

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2013年10月24日 (木)

自然としての都市、あるいは オペレーション・リサーチの数学モデル

宗教学者にとっては鬼門の書 『チベットのモーツァルト』
どれぐらい鬼門かというと、 ボクは今回 初めて読んでいる ってなぐらいなのだ
ともあれ… 読んでみれば やっぱり面白い

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今日、 とあるミーティングの場で ヒト・モノ・情報の流通/通交の話になった

「オペレーション・リサーチ」 という分野があるのだそうだが
それについて、 かなり具体的な つっこんだ話ができたと思う

帰宅後、 冬支度に毛布の洗濯をコインランドリーで行っていた
洗濯機と乾燥機がまわっている間、 最近読みはじめた同上書をひもとく
すると、 夕方に話していたことと響き合う一節に出くわした

メモとして 抜き書きしておこう

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以下 引用

 そこで、密教が「意識の自然成長性」の隠喩にえらびだす都市、つまりかつて実際にはどこにも存在したことはないが、どの都市もおおかれ少なかれその実現にむかおうとして形成をはじめたユートピアとしての都市というものの特性を、スピノザ哲学にならって、次の三つの点にまとめてみることができる。

 (一) 唯物論者としての都市。都市は、力をコード化し、構造化して社会体の上に配分する共同体のやり方をとらない。共同体がそれ自身をささえる超越的な価値にむかおうとするのにたいして、都市は無限の多様体である身体性のほうに、力の直接性のほうにむかっていく。都市は人びとを共同体から引き離し脱領属化して、抽象空間の上に解き放ち、そこを流れる力が自然成長していくにまかせようとしている。したがって都市の「倫理」は、構造の媒介によらない力の直接的社会化の形式である資本主義の「倫理」とおおくの共通点をもっている。

 (二) 不道徳な都市。都市は、共同体をささえていたような価値体系としての「道徳」をないがしろにして、人間関係を価値体系によってではなくエソロジーとしてつくりあげようとしている。都市の「倫理」は、すこしも「道徳」的である必要はない。

 (三) 無神論者としての都市。都市は「生」の力を委縮させ、その自然成長性を歪めようとするいっさいの超越的なものを否定しようとする。都市を「ツリー」状にイメージすることは、ほんらい無限の多様体にむかおうとする都市の「倫理」を隠蔽してしまうことでしかない。「都市はツリーではない」と、この「倫理」も言うだろう。ルサンチマンの感情も都市の抽象空間にはふさわしくないものだ。都市は歓びのパッションにみちあふれた遊戯的な「生」を切り開こうとしている。

引用おわり 講談社学術文庫版 229-230頁

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「ヒト・モノ・情報の流通/通交」、「オペレーション・リサーチ」の数学モデルは
例えばこのようなものにならざるをえないだろう、 というお話



2013年4月25日 (木)

あらゆる原理主義に反対する多元主義― テッサ・モーリス=スズキ(2002)より

テッサ・モーリス=スズキ『批判的想像力のために』ハードカバー版より

「あらゆる原理主義に反対!」 ――

ボク自身、掲げつづけてきたスローガンだが、それは

「原理主義者(最広義)」 の人びとを単に“ぶっ叩く”ということではない

明確に「反対」の立場をとり、そのうえで

  • 問題の本質を知的に探り当て
  • 問題の解消・低減のため具体的で、効果的な対処をおこなう

という実践をしっかり視野におさめている (歩みは亀で お恥ずかしいが)

モーリス=スズキ先生は そういうボクにはとても参考になる

全く賛成、というわけでは決してないが

(というのも、あまりに知的に洗練されすぎているので 効力に疑問があるのだが)

(また、原論文が95年刊と かなり古いということもあるのだが、それでも)

間違いなく とても参考になる

かなり長くなりますが、思い切って引用させていただきます

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 私が「原理主義」という名で呼ぶ第一の見方は、急速な変化と経済的な国際化を伴う世界において、政治体制の安定は一連の「伝統的な」価値の権威を復活させることによってこそ維持できるという想定に基づいている。国民の構成が多民族化の度合いを強め、物質文化が国際化すればするほど、消滅しそうな差異の境界線を強調するシンボルや思想を堅持することが重要になってくる(と原理主義者は主張する)。

 これらのシンボルや思想は「アメリカン・ドリーム」のイメージや、イラクのナショナリズムが喚起した古代バビロンの記憶のような、厳密な意味でナショナルなものである場合もあれば、イスラムの理念、儒教の社会関係、そして西欧の「偉大な文学的伝統」のような、国境を越えるものである場合もある。しかしながら、「原理主義」が守るべき伝統の核には、二つの重要な特徴がある。それは固有のもの、すなわち、何世紀にもわたる歴史によって深く刻み込まれたものであり、絶え間ない変化に応じて変わっていくものでもなければ、様々な利害集団のその時々の都合に合わせて簡単に選び取られるものでもない。またそれは、分割不能な性格を持っている。言葉を換えれば、伝統の核の様々な局面は国境を越えることができるかもしれないが、一つの国民国家の内部には、たった一つの伝統の核、すなわちアイデンティティ体系しかありえず、すべての国民が支えなければならないものである、と彼ら彼女らは考える。

<中略>

 こうした見方とは対照的な立場を、「多元主義 pluralism」と呼べるかもしれない(ここではこの言葉を通常とはいくぶん違った意味で用いている)。この立場は、個々人の文化的アイデンティティを複合的なものととらえるもので、一つの国家や単一の「文明」と結びつくだけでなく、一度に多種多様なもの――拡大家族、仕事上の集団、ジェンダー、宗教集団、世代、言語集団など――と結びつくと考える立場である。また、この立場は、異なった歴史的環境の下では、同一の人間でも異なったアイデンティティが強調され、アイデンティティを表明したり強化するために用いられる重要なシンボルは、絶えざる選択や交渉の産物であると考える。したがって、これらのシンボルは、時の経過とともに、急激に変化することが可能で、同一のシンボルが、一つの集団の中においてすら、まったく違うことを意味する可能性もある。この立場の論理によれば、アイデンティティとは不動の固定したものではなく、世代が変わるたびに形成し直され、練り直されるものである。

<中略>

続きを読む "あらゆる原理主義に反対する多元主義― テッサ・モーリス=スズキ(2002)より" »

2013年4月20日 (土)

ポピュラー・ナショナリズムを支える大情況― テッサ・モーリス=スズキ(2002)より

テッサ・モーリス=スズキ先生の『批判的想像力のために』

東大での非常勤講義の参考書にあげた

その「あとがきに代えて」から引用させていただきます

なお、文庫版もありますが ボクが読んだのはハードカバー版です

スズキ先生は

「ポピュラー・ナショナリズム(大衆受けを狙うナショナリズム)にその選挙区を置くコメンテーターや政治家たちは、大衆の持つ不可視の不安を、明瞭に見ることが可能なものへの置換によって生き残りを試みる」(271頁)

との状況把握について

その「生き残り」戦略を有効にしている「大情況」を次の二点に要約する

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 一、いわゆる「グローバリゼーション」の過程が、資本・雇用・思想・宗教・情報・商品等々の越境化を急激に増大させるなか、資本から商品等々に至る越境的フローを容認し制度化するレジュームは、ここ三〇年間で、その基層において変容した。それにもかかわらず、この変容は人間のフローを制度化する部分には、ほとんど触れられていない。すなわち、各国民国家内での移民政策、国籍政策、あるいは国際的な難民条約等々の基層を成す想定や政治力学には、第二次大戦終結以降、ほとんど変化がみられなかった。

 この制度と現実間の矛盾の存在は、時間の経過とともに拡大した。したがって、新しい問題を古い制度によって解決しようとする試みが、不条理で非人道的な結果を生むのだ。

 二、いわゆる「グローバリゼーション」では、社会的経済的構造の変容が起こり、その構造が複合化することにより、全体図が見えにくくなる。その不透明感、そして個の次元で感じる不安の原因を、人々は「外部化」することにより確かな砦を築き上げ、自衛の策を取る場合が多いのではなかろうか。

 また、それに加えて、国民国家内部での、実際の経済諸条件ならびに資本の流出入等は、国民国家の次元での政策のみでは、ほとんど統轄不可能な状態であるという現実が存在する。

 この実際的権力の侵蝕作用に際し、政府は多くの場合、象徴的権力の強迫的補強により埋め合わせを狙おうと企てる。その好例が、一九九九年、日本における「国旗・国歌法」の制定であり、「強制はしない」と閣議決定をしながら、公立学校の入学し、卒業式での君が代斉唱、日の丸掲揚の実質的「強制」だった。一方、これは、オーストラリアにおいては、ジョン・ハワードが興味深くも名付けた国家の「絶対主権 absolute sovereignty」という、水の上に引かれた想像の境界線によって囲われた神聖なる「固有の領域」を条件なしに保持し続けることでもあった。

269-71頁

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2013年4月 5日 (金)

1970年代~90年代の日本サブカル史― 要約『サブカルチャー神話解体』

以前

という二つの記事を書きました

その続報です

次の対談記録における宮台真司先生の発言です

ちょっと長くなりますが、思い切って引用します

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 簡単な話です。同じ「内容の距離化」だとしても、「追い込まれたもの=依存的なもの=オブセッシブなもの」か、「内発的なもの=自立的なもの=ノンオブセッシブなもの」か、の違いが重要だということ。ところが、近代が成熟期を迎え、生活世界が空洞化するにつれて、「ベタなアイロニー」「オブセッシブなアイロニズム」が支配的になってくる。

 『サブカル』 [宮台ら著『サブカルチャー神話解体』 原1993年・増補版2007年] では、マンガと音楽を素材にして、[がきデカ的なもの/マカロニほうれん荘的なもの] [原新人類的なもの/新人類的なもの] [新人類的なもの/団塊ジュニア的なもの] [シャレ的なもの/オシャレ的なもの] などという対立として、[オブセッシブなもの/ノンオブセッシブなもの] の差異を描き出しています。

 そこで細かく議論したように、サブカルチャーの画期は七三年、七七年、八三年、八八年、九二年、九八年です。七三年からは「若者的なもの」「政治的なもの」「団塊世代的なもの」が空洞化し、かわりに「シラケ文化的なもの」「アングラ的なもの」「シャレ的なもの」「諧謔的なもの」「原新人類=原オタク的なもの」が上昇します。

 七七年からはこの「原新人類的=原オタク的なもの」が空洞化し、かわりに「韜晦的(オタク的)なもの」「オシャレ的(新人類的)なもの」が分化しつつ上昇します。でも「アングラ的なもの」「シャレ的なもの」もかろうじて残る。ところが八三年からは「アングラ的なもの」「シャレ的なもの」も一掃されて、「記憶が消去された新人類の時代」になります。

 ちなみに七三年は北田さん [対談相手の北田暁大氏] のいう「反省の時代」と「抵抗としての無反省」の時代の境目です。八三年は「抵抗としての無反省」と「抵抗としての無反省」の境目です。ディスコブームや湘南ブームが起き、『ポパイ』がカタログ雑誌からマニュアル雑誌へと変化する七七年前後の頃から、「抵抗の忘却」が進みはじめます。年少世代から徐々にね。

 『サブカル』の時代区分をつづけると、八八年からは「オシャレ的(新人類的)なもの」の席巻がオタク差別をもたらす時代が終わり、「新人類的なもの」と「オタク的なもの」がトライブ(小集団)として横並びになる。僕の言葉では「島宇宙化」「総オタク化」「団塊ジュニア的なもの」です。彼らは地味で、メディアや街との相性があまりよくない。

 そして九二年からは、ブルセラ&援交の上昇に象徴されるように、「団塊ジュニア的なもの」が衰退し、かわりにメディアや人間関係の流動性をうまく乗りこなす(かのように見える)派手な「ポスト団塊ジュニア的なもの」が席巻します。ちなみに「ポスト団塊ジュニア手なもの」という場合に、僕は取材経験をベースにして、七七年生まれより若い世代を指します。

 最後に九八年からは、社交的な子たちが「第四空間」である街に繰り出すくぁりに友達の部屋にタムロする「お部屋族化」が進み、街に繰り出すことと結びついた常習援交が衰退します。並行して、ひきこもり化・鬱病化・メンヘラー化・2ちゃんねる化が進みます。これが八三年生まれよりも若い「ポスト・ポスト団塊ジュニア的なもの」です。

 「自由闊達なアイロニー」から「オブセッシブなアイロニー」への頽落は、すべての段階で進みます。この頽落は、いろいろに表現できます。「開かれた諧謔」から「閉じられた韜晦」への頽落。「ズレること」から「ズラすこと」への頽落。「わかる奴にしかわからないシャレ(非シャレ)」から「誰にでもわかるオシャレ(非オシャレ)」への頽落。「敷居の高いもの」から「誰でも参入できるもの」への頽落。

 『サブカル』では、七七年から四回の画期を経て段階的にアイロニーが「大衆化」すると同時に「オブセッション化」していく動きを、明確に「頽落」だとしています。それ以前の七三年から七七年までの原新人類=原オタク的なアイロニーは、「文化エリート」にしかわからないと同時に、きわめて「自由闊達」なものでした。質はこちらが上です。

349-52頁: ルビは省略

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