Dear Dr. Waterman,

あらためまして、コメントありがとうございます。

あまりにも見事な日本語であるため、最初、あなたがアメリカの方だというのを簡単には信じられませんでした。 しかし、もし本当にそうであるなら、海外からのレスポンスをいただくというのは、まったく予想もしていなかった、とても嬉しい出来事です。

さて、、、

すっかり遅くなってしまいましたが、いただいたコメントについて、二つにわけて話をさせてください。

(1)
コメントをいただいたエントリ では、まくらにテロの話題をもってきたため、それを書いた際にわたしの念頭にあった事柄が、あなたをはじめとして読者の皆さんに うまく伝わらなかったかもしれません。

私の主たる関心は、昨今のテロそのものではなく、いわゆる 「 開発問題 」 でした。

最初にはっきり申し上げておきますが、 テロ対策について、私は、ある程度明確な態度をもっています ( もっとも あなたほどの単純明快さは、相変わらず欠いていますが )。

おっしゃるように、今の日本において警察権力の見直し ( 場合によっては 強化 ) は第一の優先事です。 ご存知のとおり、戦前戦中、さらには戦後 ( とくに、マルクス主義運動への弾圧がはげしかった時期 ) の経験のゆえ、日本には、警察権力の強化に対する強い警戒心があります。 それを僕は、的外れで余計な心配だとは決して思いません。 しかしそれでもなお そのことが非常に重要な課題であることは 完全に認められます。 国家暴力装置なくして いわゆる一般人の日常生活秩序が保たれうると考えるほどのアナーキストでは、僕はありません。

さらに、より大きな問題としては、自衛隊の法的形態と活動範囲を積極的にみなおす必要があります ( ただし、自衛隊の存在そのものが法的かつ歴史的、さらには 「 文化的 」 ですらあるような、複雑な諸条件に拘束されているのは、ご存知のとおりです )。 もちろん、在日米軍基地の問題はこれと不可分です。 冷戦期とは大きく様変わりしつつある日本の安全保障を冷徹にみきわめるべき時期が、今たしかに到来しています。

この分野ではどうしても受身に回らざるをえない日本ですから ( 「 受身 」 という表現は、後述する本便の主題に関わりますが、ともあれ 日本を 「 受身 」 にさせる第一の主導要因は、もちろん アメリカ政府の極東戦略です )、その作業はとても大変なものになります。 しかし、それでもなお、日本の外務省と防衛庁、および関係各省庁にはがんばってもらわなくてはなりません。

マスコミ、学者などの役割も非常に大きいことは言うまでもありません。 文学部の、しかも宗教学という、とかく浮世離れしがちな場所に身をおいている私ではありますが、こうした方面での知的な体力が試される時代に 自分が投げ込まれていることを、よく心得ております。

一方、このこととは明確に分けてご理解いただきたいのが、次のテーゼです ―― 干渉や介入は いつも問題含みである。 いよいよこの点こそが、本便の主題になります。

近代化、民主化、自由平等、人権、、、 いろんな価値観で正当化されててさ、まぁそれも分かるんだけどさ、やっぱりさ、「 よそ者 」 による干渉と介入は 「 大きなお世話 」 「 ありがた迷惑 」 なんだよなぁ、、、困っちゃったなぁ、、、

あまりにも日本語的なこの言い回し、ニュアンス、、、 あなたにならきっとご理解いただけると思います。

念のため、ちょっと具体的に申し上げます。

あなたは、日本の戦後民主主義を 「 当時のアメリカン・エリート 」 の功績とお考えですね。 苦笑を禁じえないのは、こうした立場が、日本の側の主体的な関与には全く触れないという点で、典型的な half truth であることです。

しかし、その点についてここで議論するつもりはありません。 ただ、「 苦笑 」 と書いたけれども、私はもちろん、全体主義から解放されたばかりの日本が ( 赤化されることなく ) 急速に民主化しえた事実に 「 アメリカン・エリート 」 が大きく関わっていたことを完全に認めるものである ―― このことははっきり申し上げておきます。

さてしかしながら、これらの全てにも関わらず、歴史上におこったそうした出来事を 立派な功績である と ( あなたが実際になさっているように、あるいは少なくとも 意図されているように ) 単純に言い切ることは、私の考えでは、誰にもできません。

「 ありがたいことなんだろ。それは分かってるんだろ。だったらウニャウニャ言わず 黙って受け入れてりゃぁ いいんだよ 」

こうした立場は、政治的には有意味でも、倫理的には無意味です。 有害ですらあります。

そこから僕がすぐに想像するのは、小学校の教室でのイジメッ子 ( とくに、腕力ではなく理屈と正義を振りかざし、クラスの皆をじわじわと支配しているタイプのイジメッ子 ) の姿です。

物理的暴力を必ずしも伴わないような、巧妙に仕組まれた、加害者もそれと気づくことのない、ときに被害者すらもそれと気づかない、制度的で構造的な、心と体に染み入ってくる暴力 ―― インドのある政治学者は、サンスクリット文化の強制力に言及する文脈で、これを pedagogic violence ( 教導的暴力 ) と呼んでいます ( これは単純にヘゲモニーと呼んでもいいのですが、この言葉ではもはや そこに含まれる倫理的なジレンマを言い表すことができないように思われます )。

政治的のみならず、文化的にもヘゲモニーを獲得してしまっているもの ( 上のもの、イジメッ子 ) には、その圧力のもとで少しずつ声を奪われ、自分を見失いそうになっているものたちの、モヤモヤとした、当て所ない苛立ちや焦りに 気づくことは、かなり難しいでしょう。

もちろんこれは、アメリカだけを念頭においた発言ではありません。 まったく同じことは、諸国に対する日本の姿勢にもあらわれています。 沖縄やアイヌや同和に対する大和人の姿勢にも、オンナに対するオトコの姿勢にもあらわれています。 その他にも、私の日常生活の各所に、それはあらわれています。

あなたのコメントから、私はそうした点に関する感性の乏しさを読みとりました。

政治的な正当化言説を、倫理的なジレンマから引き離しておくことが必要だ、と私は確信しています。

私は、無為主義にも諦観主義にも不可知論にも組しないのはもちろん、知識人の役割を批判にだけ限定するようなタイプの批評家にもなりたくありません。 しかし それと同時に、 倫理的な原則をないがしろにしてしまう 「 現実主義者 」 にも なりたくはありません。

行動に対するコミットメントと、倫理的な感性を同時にもちつづけることを、僕は大事にしていきたいのです。

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さて、、、

最後に言い添えておきますが、上で述べたような感性は 決して 「 日本的 」 なものではありません。 私はむしろそれを 欧州やインド、そして一部のアメリカの学者から学びました。

これが、私のコメント返しにおける二番目の話題です。 すなわち、あなたが多用されている「日本」「日本人」という表象を問題視する、ということです。

しかし、もうすでに十分長いお返事となりました。 項をあらためて 書かせていただきたいと存じます。

とりあえずのお返事まで

コンドウ

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パキスタンの現状

「 英旅客機爆破未遂事件 」 がパキスタン・コネクションであった との報道を受けて・・・

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先月18日、 ダバ・インディア にて、大使館時代の友人2人と会った。

とても楽しい時間をすごせて、なんだかまたやる気がわいてきた。

本ブログのことも話題になったのだが、こちらのエントリ について、ありがたいコメントをいただいた。

それは こんな批判だった。

「 ムスリム自己責任論 」 を外部者が軽々しく口にしてはならない、、、そのことは分かる

分かるが、、、外部からの 「 刺激 」 がどうしても必要な場合、どうするのか?

たとえば、パキスタンのような国の場合がそうだ

内部からの建設的な批判、あるいは自浄作用が 構造的にどうしても うまく働かないのが、今のパキスタンである

そういった国では、ムスリム自己責任論を待つだけの姿勢というのは、とても誠実そうに見えて、その実 後ろ向きの対応ではないのか

むしろ ある一線を踏み越えたとしても、苦言を呈したり、アクションをおこしたりすることの方が 大事な場合があるんじゃぁないのか

なるほど・・・ この点はたしかに頭になかった。 考えてみるべきポイントである。 人の意見はいつもありがたい。

さて、、、

パキスタンの現状 は たしかにそのようなものだ、と聞き及んでいる。

  • 出版の自由が 基本的にない
  • 思想信条の自由は 影に日向に抑圧されている
  • 優秀な人材は 次々に国外へ移住していき、 「 祖国 」 から できるだけ距離をとろうとする。 勢い、指導層が空洞化する
  • これに加えて、深刻な経済危機がある。 社会生活のインフラはガタガタで、国家の機能はボロボロ。 心はすさみがちで、建設的な議論を ねばり強くくみ上げていく余裕が どうしてもない。
  • 外交の分野でも いいところなし。 一躍脚光を浴びつつある 隣国で宿敵のインドとは対照的に、アメリカからもすっかり見放されつつある

事実上の軍事政権下にある 現在のパキスタン はそんな国だ。

これはもちろん 途轍もなく残念なことだ。 幾人かのパキスタン人の友人の顔が思い出される

このような場所に 外国人として関わろうとする場合、 なるほどたしかに 自己責任論の自然な立ち上がりを待つというのは どこか不十分な態度であるかもしれない。

では どうするのか?

先に結論を言ってしまえば、、、

この問いに 僕は カッコヨク答えることが どうしてもできない・・・

なぜなら、次のような疑問が どうしてもわいてきてしまうからだ。

いったい・・・ 誰がどんな権限をもって パキスタンの現状に手をくわえ、その歴史のコースをつくっていける、つくってもよいというのか?

パキスタンが どのような国になれば、パキスタンの人々が幸せになったと言えるのか?

そもそも 「 幸せ 」 ってなんだ?

自分と自分の周囲の人の幸せならまだしも ( それだって 相当大変だけど、まぁともあれ) 、日本の片隅から パキスタンの人たちにとっての幸せがどのようなものか、 誰が どんな価値観にのっとって 言い切ることができるというのか?

これは なにも難しい問いではない。

アメリカの介入政策と介入文化を想起すればよい。 その 「 嫌味 」 加減は 誰の目にも明らかだろう。 要するに 大きなお世話なのだ。

しかしながら、その全てにもかかわらず、僕は 何もしないだけの諦観主義には堕したくない、と思ってしまう。 それは とても不誠実な態度のように思われるからだ。

でもやっぱり、、、、いやいや それでも、、、だからって それは、、、しかし そうは言っても、、、、、、、、、、、

こうして答えが出ないまま、このジレンマだけがぐるぐる回る。

回りすぎてとても苦しいのだけど、これしか今の僕にはできそうにない。

<メモ>

  • 南アジア専門家のお二人にも ダバの料理は大好評であった
  • 僕は 94年から96年にかけて、在インド日本大使館で専門調査員として働いていたことがある。96年の後半分は大病をして日本に帰国していた。仕事上でも生活上でも関係者の皆さまには、多大のご迷惑をおかけしたのに、一方ならぬお世話とご心配をいただいた。この場をかりて、あらためて御礼をもうしあげたい。ありがとうございました。
  • お二人にはいずれも本ブログを読んでいただいているとの由。いろいろご意見をうかがって、参考になった。

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養護学校

知り合いより、市民運動への協力依頼をうけた。

枚方の障害児教育を発展させる会 」 という。

同会の名前でググってみたが、ヒットなし。このエントリが ネット上で初の言及となる模様。

平成18年3月で廃校となった枚方西高校を、 養護学校 として再出発させたい 、というのが、その活動の趣旨であるという。

私の知り合いというその方も、家族に 自閉症の子どもさん をかかえている。たしか小学4年生のはずだ。 現時点ではほとんど問題なく ( 独自の苦労はあっても、家族の支えあいのおかげで 「 問題 」 なく ) 生活ができているのだそうだ。

しかし、障害児には高卒の資格をとらせてあげることは、本当に難しいのだそうだ。家族の悩みは大きい。 養護学級の過密化というカベもある。

運動は始まったばかりである。

第一歩として、手記集 を発刊したいとお考えのようだ。

以下、いただいたチラシの文面を転載します。 (下線・強調ママ)

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まず、皆さんの思いや願いを文章にしていただき、関係機関の方々や議会の先生方などに読んでいただくことによって、養護学校建設実現への第一歩を踏み出しましょう! ( その後 署名運動も展開したいと思っています )

たくさんの方々の手記 ( 思い ・ 願い ・ 要望など ) があると、私達の熱い心情を知っていただくとともに、府民の声も高まっていることと認められます。

     一人でも多くの方にご協力をお願いしたいと思います。

―― あなたの子どもにとって すてきな養護学校とは どんな学校でしょうか

 今の厳しい現実、今困っていること等を、 そのまま文字にして訴えてください。

    私達の子どもには 養護学校が 今すぐ 必要なのです!!

  • 養護学級に通う生徒の中学校卒業後の進学先がないという現実。
  • 養護学級の過密化
  • 寝屋川養護学校 ・ 交野養護学校の過密、過大の実態と通学時間の問題・・・
  • 広汎生発達障害の子どもをはじめ、障害のあるすべての子ども達の成長、発達、教育、そして相談活動などへの支援・・・
  • 地域に住んでいながら、枚方市の方々との交流が少ないこと・・・ etc

短い文章でも、ひとことでも 結構です。 ( もちろん、長い文章は大歓迎です )

それぞれの切実な思いや願いが、一枚一枚の手記に重みを持たせることと思います。

そして、私達の熱い心情が、養護学校建設実現の礎となることを確信しています。

     是非、ご協力よろしくお願い致します!!

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チラシでは、このあとに連絡先 「 わかたけ 」 の住所、電話等が書いてある。

しかし、こちらはどうも個人のお宅のようなので、ここに記すことはよす。

ご関心のある方は、私近藤までご連絡ください。

<メモ>

  • 僕も身体障害者である。ただし、嗅覚がないというもので、日常生活にはほとんど支障ない (→ こちら 参照 )

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そうしたところのやるせなさ (2)

前便 からの完全連続投稿です ( もともと一つの文章を二つに切りました )

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榊原氏のような考え方、行き方に 親近感をおぼえる人は多かろう。 ( 本ブログの読者はそうでもないだろうが、なんと言っても 多かろう!!)

一方、小川忠さんのスタンスは これとはかなり違う。

日本から帰ってきた多くのインド人の友人が、日本で受けた小さな親切や高潔なプロ意識、責任感の強さについて語る。 そうした数字で表せない財産を日本社会はまだまだ蓄積している ( 214頁 ) 。

日本社会について語った文章だが、ここで言う 「 数字で表せない財産 」 なるもの、これへの感性の高さこそが、小川さんの本の要になっている。

ちなみに、榊原氏の本は、小川さんの別の論文 ( IT関連のもの ) を引用しているが、小川さんの 「 優しさ 」 、あるいは 「 人間くささ 」 には言及していない。

どちらが良い悪いではなかろう正解、不正解ではなかろう

ごく図式的に言ってしまえば、要は バランスの問題だ。

たとえば、 高橋英彦 『 インド発、国連職員の日々 』 ( 日本放送出版協会,1995年 ) は次のように書いている。

国や地域の経済規模の拡大が問題解決の万能薬ではないにしても根幹を癒す特効薬であることは疑う余地がない。わが国のような先進工業国の政府援助とともに企業の投資や技術移転がこの分野で多大の貢献をしてきたことも間違いない。

 その一方、それだけでは真の解決にはならない問題が山積しているのも事実である。平和と社会治安の維持、人口問題への対応、人権の尊重、教育レベルの向上、健康への配慮などについて官民による国際協力が求められているのだ。 ( 14頁 )

実際、優等生的な正解があるとしたら こんなものになるだろう。

<経済開発 → 社会開発 → 人間開発 → 開発倫理> という 例の国連的軌跡を想起のこと

そして問題は、そうした諸要素のからみ合いのなかで、 「 わたし 」 はどこに立って、なにをするか、である。 ここにこそ、この種の問題 ( 終極的には 開発倫理 の問題 ) の根底がある。

私 近藤はどうだろう・・・・・・

上記バランスのイメージを保ちつつ、小川さんの 「 ヒトくささ 」 に深ぁぁい共感をおぼえる ――

今の僕のスタンスは 到底!!そうした域を出るものではない。

あまり ミットモヨイものではないが、正直 そんなものである。長々としたエントリを書いたが、結論はそんなものである。

それでも、この問題には ずっと真剣に悩んできたし、これからも悩んでいきたい、と思うのだ。

<おわり>

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<メモ>

  • 「 開発倫理 」 で日本語頁をググってみたが、驚くほどヒットしない。専門的な頁は皆無!!こんなにも認知されていないコトバだったとは・・・
  • 一方、 「 development ethics 」 をフレーズでググってみたら、7万件オーバーのヒット。この違いは大きい!!

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そうしたところのやるせなさ (1)

インドにはたくさんの 貧困や困窮 がある。もちろん日本にもあるが、インドには おそらく質量ともに数段きびしい 貧困や困窮 がある。 だから、日本人がインドに行くということは、別の種類の、普段は気づかないままでも許されるような種類の 貧困や困窮 を目の当たりにするということだ。

そしてもちろん、インドは貧困と困窮 だけ の地ではない。 素敵なことや素晴らしいこと が これまたたくさんある。

そんなインドとちゃんと付き合おうとするのは、思いのほか 大変である。

哀れみでも蔑みでも、讃えでも侮りでもない立場 ―― むしろ、自分が 「 誰 」 なのかを 考え直させられる体験 ―― それがとても大事なのだと思う。

インドだけではないだろうが、いわゆる 「 第三世界 」 についての見聞とは、 そうしたところのやるせなさ が大事なのだと思う。

とまぁ、、、こんな書き出しをもってきたのは、、、

こちらのエントリ で紹介した 小川忠インド 多様性大国の最新事情 は、とっても優しい本である

と言いたかったから。

この種の問題に 「 正解 」 なんてないだろうが、小川さんのこの本は 彼なりに出したひとつのスタンスが、優しい優しいそのスタンスが 明確にあらわれていて、感銘をうける。

それがどういうものかを言う前に、 もうひとつ別の 「 明確なスタンス 」 を紹介しておこう。 対照例を先に示しておこう、というわけ。

すなわち、、、

こちらのエントリ で紹介した 榊原英資インド IT革命の脅威

「 明確なスタンス 」 という点では こちらも何ものにも負けてはいない。

この本 ( 著者は榊原氏だけとなっているが、実際には 榊原氏を含め3名の人がこれを書いた ) のスタンスは これ以上ないくらいスッキリしている。

インド国民経済の浮揚、 「 パイ 」 の最大化、マクロ経済指標の改善、滴下理論、雇用創出、教育の推進、先端科学技術、金融、、、 古典的な近代化論 の実際的効用を 「 情報化 」 「 ネットワーク化 」 が進む現代において主題化すること

これが著者らのスタンスだ。

ここから容易に想像されるように、そこには ヒトたる 「 わたし ( たち ) 」 が

・・・ 念のために申し上げておきますが、ここでの 「 ヒト 」 とは、文学部的/人文諸学的な感性によって想像されるような 「 ヒト 」 のことです。 そんなものがどこまで重要なのかとの異論はございましょうが、ともあれ、榊原氏の本には そうした意味での 「 ヒト 」 が

登場することは ない

政策を提言したり策定したりする者、企業活動に参与したり賛同したりする者 ( 引退組、予備軍を含む ) ―― そのような 「 仕事 」 をこなす人、あるいはそういう仕事人が関心の的としている人口 ―― これらが、この本でいう「 わたしたち 」 であり、また 「彼ら 」 である。

そして 「 日本 」 とは、かつて アジアの雁行型発展の先頭をきっていたのが、やや後退しはじめたという、そのエコノミーである。

そうした 「 私たち 」 「 日本人 」 にとって、インドは あらたに選択されるべき外交・貿易上の戦略パートナーである。 インドの 貧困や困窮、素敵なことや素晴らしいこと に、この本が触れないということではない。しかし、それはごくごく周辺的な言及にとどまる。

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<長くなったから、ここで切ります。次便につづく>

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<メモ>

  • 本便に関連するのは こちらのエントリ です
  • ニュースによれば、榊原氏は 2006年4月から 早稲田大学インド経済研究所の所長に就任している模様 (→ こちら ) 。しかし、同研究所のHPがどうしてもみつからない

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開発と開発学

開発と開発学 に関心がある

と 公言しているので、それがどういったものか、ときに問い合わせを受ける。

専門家ではないので、包括的な答えをあたえることはできない。 けれど、たとえば

http://www.fasid.or.jp/index.html

をご覧になると、開発学の方向性のひとつがわかると思う。

ただし!! よくよくご注意いただきたいのだが、、、

きわめて自己反省的な この分野は、多様な方向へと拡散している。 それらのベクトルは、互いにクリティークをくりだしあいながら、茫漠としたひとつのまとまりを なんとか保っている。

その知的努力は 本当にすごい。

現場とアカデミズム、官と民と学、ローカルとナショナルとグローバル、人文諸学と社会科学と理系学問、などなどなど、、、

日本の大学関係者がいま取り組みつつある 多くの重複領域は、この業界では むしろスタート地点である。

そんな見方も ありだ。

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パキスタン北部大地震 近況報告会

パキスタン北部大地震 近況報告会 のお知らせが来た。 転載させていただくことにしました。 京都開催であり、 僕は残念ながらうかがえませんが、 ご関心のある方は ぜひ!!

なお、参加申し込みは ナガイさんという方にすることになっておりますが、そのフルネーム、メールアドレス等 個人情報に関する事項は 下記では削除 してあります。 お手数ですが、ご関心のある方は まずは このブログにおいて 近藤までご連絡ください。

<メモ>

  • こちら も参照
  • この情報は JASIDというMLで回ってきた(→ こちら )。

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ML参加者の皆様、  こんにちは。       

ナガイ@京大です。
下記の通り報告会を開催いたしますので、ご案内いたします。

平日の昼間の時間帯ですが、ご都合のつく方のご参加をお待ちしております。


(下記、転送歓迎です。ML・HPへの掲載時は事前にご一報をお願いいたします。)

  ■□公開セミナー 「パキスタン北部大地震 近況報告会」 ■□■□■□■

   パキスタン北部での大地震から、はや1ヶ月が過ぎました。
  死亡者は8万人を超え、被災地には雪が降り始めているそうです。
   この度、被災直後から緊急支援で活躍中の督永忠子さんの一時
  帰国の機会にあわせ、現地の状況を報告いただく機会を得ました。
  みなさまのご参加をお待ちしております。
(会場準備の都合上、事前のお申込みをお願いいたします。)


  ●日時   12月5日(月)  14:30 ~16:30

  ●場所   京都大学医学部 G棟2階セミナー室A
                    (京阪丸太町駅または出町柳駅より徒歩15分)

  ●報告者 督永忠子さん
     パキスタン在住25年。
           日パ・旅行社の経営者、パキスタン・アフガニスタンのテレビ取材を
     専門に手がけ、コーディネイトした番組の数は250を超える。
     2002年度JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞受賞。        
     現在はNGO「日パウェルフェアアソシエーション(NWA)」でも活躍中。

  ●報告者より
   「10月8日午前8時50分 マグニチュード7.6の激震がパキスタン北部を襲い
    ました。NWAでは、最も醜い被災地に歩いて入り、医療支援にあたり
    ました。また、飲料水、防寒着、毛布、テントなどに加え、日々の暖かい
    食事も配布しました。現在では、緊急医療支援にも一区切りがつき、
    次の支援段階に取りかかっています。被災者が冬を越すお手伝いが
    できればと、イスラマバード郊外にテント村を設置中です・・・」     


  ●主催    京都大学東南アジア研究所 人間生態学

  ●共催   京都大学大学院社会健康医学系専攻 健康情報学

  ●問合・申込先  健康情報学 担当:永井

  ※ NGO「日パウエルフェアアソシエーション(NWA)」のWeb Pageには、
      現地の様子が細かく記載されています。ぜひご覧ください。
    (督永忠子さんの講演日程や、現地ボランティア募集案内もあります)
        http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pearthquake.htm

  ※ 会場の詳細につきましては、下記WebPageをご参照ください。
http://square.umin.ac.jp/healthim/hiaccess/healthinfoaccess001.html

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8万人を超える

パキスタン地震 (ただし これは通称 → こちら 参照) で 死者が 8万人を超える とのことである。 先便 で 4万7千 と伝えてから 10日しかたっていないのに・・・ 

あの極寒の地で これから数ヶ月、 被災者はどんな暮らしに耐えねばならないのだろう・・・

どうしようもない、、、とは 分かっているけれど、 自分の無力さ と 世界の不条理 に なんだか もぉ クラクラする。 他者にちゃんと同情できる感性を保つ一方で、 そうした不可能にも耐えうる、、、 そんなチカラを 僕のなかで きたえていきたい、と 強くつよく思う。

<メモ>

大阪外大のウルドゥ語専攻の皆さんが、現地の新聞情報等を 直接 日本語にしてくださっている。 ありがとうございます。 ご関心のある方、必見です。  (→ こちら

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4万7千人を超えた

10月12日付けでエントリした際には (→ こちら ) 死者4万人に届きかねない、、、との報道だった パキスタン地震 。 今朝方のNHKのBSニュースでは その数が 4万7千人を超えた 、 とされていた。 ますます コトバもない状況になってきた。 

ドラえもん募金 で百円だかいくらだか、、、僕ができた 具体的な貢献といえば それだけだ。

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